過去の自分と向き合って、その後に精神医学を勉強していき、過去の自分を見つめ直してみている(まだ始まったばかり。そして、他には自分の目標があって精神医学を勉強している)
勉強することでこれまでよりも色んな角度から考えられるし、じゃあどうしたら良いのだろうっていう解決方法も考えられるのだけれど・・
疲れる。。
そして、過去の自分のことにもっと踏み込んで向き合うことで自分のことが嫌になる時もある。。
(更には、過去に向き合う前に予測していた通りに、自分の母との間に更に深い溝ができてる・・)
過去の心の病気をした時に自分だけじゃなくて、私は発達特性がある可能性が高いなと自分自身で思っていて、その点からも勉強して過去を振り返った時に見えていくこともあるけれど、疲れるし、自分のことが嫌になる時もある。。
、自分に本当に発達特性があったとして、過去を振り返った時にもし定型発達に生まれていたとしたら、ここの部分の問題は起こらなかったのではないかな・・とか究極のことを考えてしまって、そう思う自分が嫌になる。。
(→発達特性のある方を否定している訳じゃ一切ないです。むしろ、それをしたくない理由と事情が私にはちゃんとある)
こうやってマイナスに考えてしまうと、本末転倒になるし、闇に落ちる。
そうやって、過去の自分と向き合う中でマイナスな感情が出始めたら、向き合うのをやめて、一呼吸ついて視野を広げることにした。
こうやって、心病んだ時の自分と向き合うときに私の中ではピッタリな歌があって、闇に落ちそうな時にはこれまでも聞いてきた。
米津玄師さんの「サンタマリア」
この方もこの「サンタマリア」の頃から(いや、もっと前のハチ時代の歌から)今に至るまでの変化を見ていくと、自分の内面と向き合い続けてきたのだなあ・・と感じて励みになる。
今日は米津玄師さんの「サンタマリア」を聴きながら、私の中で狭まってきた視野を気持ちを落ち着かせて広げようと思う。tutuzi