私の中で過去の摂食障害のことは大体のところをこれまで書いてきて向き合えた。
摂食障害のところを書いた時に当時の異性関係のことをサラッとしか書いていなかったけれど、しばらく自分の中で向き合ってた。
20代の摂食障害の当時は異性関係がめちゃくちゃだったなあ・・って。。
(同じ病気の方がそうだとは言ってなくて、あくまで私のことを言ってる)
なぜ当時は異性関係がめちゃくちゃになっていたんだろう・・って自分の中で考えて、なんでそんなことになっていたのかも当時は良く分からなかったけれど考えてみた。
前回、益田裕介先生の話になったけれど、異性とのことも時にはなぜその問題が起こるのかをこの先生は精神医学的に説明してくださってるのが一歩踏み込んだ説明になっていて勉強になった。
デリケートなことだけれど、目をそらしすぎちゃってタブー視し過ぎたりスルーしてしまうと、性犯罪とか色んな問題ってなくならないから、まだ私の子供は小さいけれど、段階・段階で4人それぞれのキャラクターにあわせつつ、きちんと教えていこうと思ってる。
(私の20代の反省も含めて)
私の20代の異性関係がめちゃくちゃだったと書いたけれど、書ける範囲で書いてみると、私は告られてそれ以上のことを要求された時に当時の私は断れなかった。。
告られて、それ以上を要求されるという状況にもこの時の私の背景には色々とあったんだろうなあって思う。
相手に好意を抱いてなくても、20代当時の私は断れなかった。
当時の私をおとすのは相当にチョロかっただろう。
ただ告られただけだったら、「ありがとう」って伝えて終われるけれど、あの頃はそれ以上のことを求められてしまうと断れなくて、そうなった時には私の中で諦めが生まれてた。
そして、自分のことがもっと嫌いになる。
私の異性関係がめちゃくちゃだったというのは、こんな感じだった。
なんでだろう・・って振り返った時に、過去のことだからはっきりとはしないけれど、もしかしたらこうだったのかなあって浮かんだ。
①これが1番の理由。
トラウマがあり、断ったら怖いことが起こるのではないかどうしても思ってしまって恐怖を抱えてた。
→告られて、時にはそれ以上のことを要求される状況になった時には、この記憶がいつも頭に浮かんで、断ったら怖いことが起こるのではないかと怖くなってた。
(過去に書いた私のトラウマを載せるけれど、同じことを経験してしまった人がフラッシュバックを起こしたら困るので、何があったかはここにも詳しくは書いてない。3度目に事件に巻き込まれそうになったシドニーのノースヘッドの時には、だいぶ過去に向き合えた後だったので、これがきっかけで20代と同じことにはならなかった。)
②お酒弱いのに飲み過ぎて2回くらい失敗して苦しい記憶がある
→当時は自分のことが本当に嫌いだったし、許せなかった。自己評価が低かったので、自分自身の価値も低くて、諦めも早くて許してしまってたところがあった。
③ASDの特性もあるんじゃないかなって自分で思ってる
私はまだ受診できていないので(落ち着いたら自分のことを知って、育児に生かしたいなあって思ってる)自分に特性があるのかきちんとは分からないけれど、でも私自身では誰にも気づかれてなかっただけでASDじゃないかなあ・・って自分では思っている。
そして、それを思う理由をたくさん言える。
曖昧な中で書くのは良くないかなとも思うけれど、そう思ってる。
なんとなく、ここの過去を振り返った時に、はっきりとはしないけれど私に特性が本当にあるとしたら特性も絡んでいたんじゃないかなあって思う。
(他の特性がある方がそうだとは言ってなくて、あくまで私の中での予測)
益田裕介先生の女性の神経発達症のところで説明されていたのをみて、自分の過去を振り返った時に特性があったとしたら、それも絡んでいたんじゃないかなあって思ってる。
④自分の気持ちを伝えるのが苦手だった
自分の気持ちを伝えるのが本当に苦手で、摂食障害を治していく中で自分を見つめたときに、そのことに気づいて、それを改善していった。
私が摂食障害になった理由の1つに、自分の気持ちを伝えるのが苦手だったというのがあるなあって思ってる。
そして、この自分の気持ちを伝えるのが苦手だったのも20代の異性関係の時に断れなかった理由だと思う。
うーん・・自分の過去を振り返って背景には何があったのかなあって考えてみたことを書いた。
私の過去には色んなことがあったから、どんどん成長していっている子供達のことを思うと何か起こらないかとか不安になる時もあるけれど、だからといって不安で過干渉になりすぎたり、先回りして私が手を出しすぎちゃうと、それも良くない影響を与えると思うから、それぞれのキャラクターにあわせて教えつつ子供たちを見守っていこうと思う。
いやー、20代は色んなことを経験し過ぎて、私はちょっとのことじゃ動じなくなったよ。。
20代の摂食障害の頃、摂食障害だけじゃなくて色んなことがあって20代の私はいつでも自分のことを終わらせたかった。
それでも、自分なりに色んなことを積み重ねながら生き続けた。
30代になって家族ができたのもあるし、自分の病気で気管支喘息が念々と重くなっていき、その中で命には限りがあることが日々私のそばに漂っている。
20代の頃に感じていたように自分で終わらせなくても誰にでもいつかは終わりがくる。
命に限りがあることを実感しているから今の私は時間を大切に感じる。
ただ、20代の頃に感じていた苦しさも忘れていないから、そうした自分のことを終わらせてしまいたいという感情は否定しないで忘れないで、この先に何かの形で生かしていこうと思ってる。tutuzi