摂食障害の始まりからは20年くらい経った。

症状がなくなってからは10年ちょっと経っている。

 

これまで、摂食障害を通して自分自身と向き合ってきて、その中で心を打たれた言葉にもたくさん出会ってきた。

そうした心を打たれた言葉から自分のそれまでを見つめ直して修正して少しずつ直したりしてきた。

 

でも、1番心を打たれたのは、このテーマで一通り書き終わって「マチネの終わりに」を読んで、その作者の平野啓一郎さんの自己愛に関するTED動画だったなあって。

 

摂食障害を思い返していた中で、それが私に1番欠けていたことで、本当は1番必要なことだったからだって自分でも気づいてる。

 

『最後の最後には自分の面倒を見るつもりで自分を愛する』

 

このスピーチを見てから少し時間が経ったけれど、時々ふとした時に思い返してる。

 

摂食障害の症状はなくなったけれど、でも、今も自分のことよりも子供優先で毎日慌ただしく過ぎているから、忘れないでいたいなあって思って書き残しておくことにした。

 

うーん・・でも摂食障害の時に自分に向き合ってきたからか、今も気持ちが下がったりする時もたくさんあるけれど、その心を立て直すのが昔よりも多少なりとも上手にできるようになったかも。

 

昨日は新年度で置いてけぼりを感じてしまうことを書いたけれど、最後には自分で「今、私にしかできないことに日々向き合って積み重ねができているはず」って思えた。

だからか、置いてけぼりを感じていたのが薄らいだ感覚になった。

 

 

人間だから気持ちの上がり下がりはある。

でも気持ちが下がっている時にも、自分がどうしたら無理しないでいられるかも分かるようになったり、自分自身に向けて心を立て直す言葉もかけられるようになったなあって、それは摂食障害を通して身につけられてきたなあって思う。

 

昔だったら気持ちが下がっていても、何でもないようにして、自分の無理の頑張りでカバーしていたところがあったから、こういうところも変わったなあって思ってる。

 

少し前に、「もしも」のところで自分の病気もあって後20年・30年生きることができたら100点満点越えてるって書いた。

 

後20年・30年あるとしても、例えばお互いに忙しかったり、住むところが離れていて4年に1回くらいしか会うことができない友達がいたとする。

それを残りの時間で計算してみると生きている間に後5回くらいしか会えないことになっちゃうなあって改めて思ったりした。

 

後20年・30年あったら子供達の成長を見届けることができる。

それにプラスして、日常の慌しさで家族以外の付き合いってなかなか時間をゆっくりとはとるのが難しい年代になったなあって。

 

家族のことも大事にする。

でも、それ以外の人付き合いもちゃんと大切にしていこうって改めて思えた。

 

普段は意識していないだけで、本当は誰にでも同じように残りの時間は減っていってる。

気管支喘息が年々重くなる一方で、残りの時間が割と自分の身近に感じていることで、何年か前の私には全く意識にのぼらなかったことも考えるきっかけをもらってる気がする。

 

 

残りの時間って言っても、状況から今すぐのことではないのは自分でも分かってる。

でも、確実にたくさんの時間が残っているかどうかは分からない。

 

 

残りの時間と書くと、怖さや寂しさや「もっと生きたいなあ」っていう感覚がまず出るけれど、でも、その危機感が少し身近にあることで、今まで当たり前のように過ごしていたことも大切に感じるなあって自分がその状況になって思ったことだった。

 

 

本当はどうなんだろう。

残り時間が分からないからこそ、日々を大切にしていきたいなあって思う。tutuzi