大学3年の話にうつる前に、思っていることを書き残しておこうと思う。

 

前回までの2回の書いたところを見ると、

私の拒食症の要因は思春期のやせ願望なのかな。

他に要因があるとしたら幼少期から折り合いのあわない母子関係のこととか

元々の性格がストイックだったり、真面目?なところだったり、かと。

 

ずっと自分でも要因はそう思ってきた。

 

 

でも、30代後半になって、昨年くらいかな。

自分はもしかしたら自閉症スペクトラムなんじゃないかと思うようになった。

 

子供4人がもう少し大きくなって落ち着いたら、医療機関受診してみたり、WISCとか受けてみようかなと思っていて、発達特性の診断も出ていないので曖昧なことを書くのもどうかと思うんだけれど

幼少期の頃とかからさかのぼったりして考えたり、これまでの友達の何気ない一言とかを思うと、もしかしたら私は自閉症スペクトラムじゃないかな?と思っている。

 

それで、気にかかることがあり論文とかを探したときに

・摂食障害と発達障害の関連

・拒食症とASD

・過食症とADHD

の可能性について述べている論文を見かけた(書かれている論文はたくさんはなかった)

 

それで、30代後半の私は20代の拒食症を思い出したときに、果たして自分自身は本当はどちらだったのだろう・・って思った。

①定型発達の中での摂食障害・拒食症

②自閉症スペクトラムが背景にある中での併存として拒食症があった。もしくは2次障害として拒食症が起こっていた。

 

もう20代の摂食障害から20年経っているから、誰に聞いても答えが出ないような気がする。。

私、一体どっちだった??

 

低栄養状態のときは評価が難しいかもしれないけれど、摂食障害の回復途中にWISCを検査したり、生育歴とかとあわせて診断を受けたら、私の抱いた疑問が解決をしていたかもしれなかった。

そして、その後の生き方へ、多少なりともプラスになる助言があったんじゃないかな・・なんて、摂食障害から20年経った今、思ったりしている。

 

そんなこと、当時はちっとも思い浮かばなかった。。

 

仮に自分に発達特性があったとしても悲嘆はしていなくて

むしろ、発達特性の良さを生かして生きてやる‼︎という気持ちでいる。

 

もし、自閉症スペクトラムの発達特性があり、その中での摂食障害を起こしていたとしたら、もしかしたら大学の自由な時間感覚の中で精神面を崩していったのかも、とか当時抱いていた要因以外のものも要因として考えるようになった。

 

摂食障害って、サクッと分かる要因だけではなくて、複雑に絡み合って色んな要因が重なって起きているように私は自分が経験して感じた。

自分が経験して感じた・考えたことは、自分が思ってもみなかったことが実は摂食障害の要因の1つになっているということもあるんじゃないかな。

なんて思った。

 

 

現在30代後半の私の疑問。

全員が全員そうではないというのは分かっている。

でも、摂食障害と発達特性って、実際はどのくらい関連していて、どれくらいのパーセンテージなのだろう・・。

 

 

 

 

私の当時の病院受診はというと

 

今、思い返して思うんだけれど、ほんとは1人で受診すべきじゃなかったと思う。

でも、じゃあ誰と一緒に受診すれば良かった?

折り合いの悪い母? 育児に無関心な父? あまり会話がないきょうだい?

誰と一緒に受診をすれば良かったのか分からない。。

ただ、20代過ぎていたとはいえ、やっぱりあの時の精神状態とか考えると誰かしらと一緒に受診した方が良かったように今は思う。

 

 

20歳。

大学3年生 前期(季節忘れた) 

大学2年生の秋・冬は友達に勧められても受診する気が起きなかった。

それには、病院受診をしたら体重を増やすことになるんじゃないかという恐怖と、鏡を見ても痩せては見えなかったので自覚症状のなさがあった。

 

でも、大学3年に入って、それまで仲が良かった友達とうまくいかなくなった。

友達としては、病院勧めたのに受診もせず、どんどん痩せていく姿を見ると見離したくなる気持ちもあったのかな。

どう接して良いのか分からない気持ちもあったと思うし。

仲が良かった友達とうまくいかなかった。

ただ、そうサラッと書いて終わらせられるだけではなくて、そこには本当に色々とあった。

→後々、両親のことと、同級生のことで苦しくて自傷行為が始まる。

 

 

私の摂食障害を書く中で、大学生活のことと、友達関係のことは摂食障害の回復途中ですごく関わっていたのだけれど、友達と何があったとか、大学生活のことを細かく書くのはムズカシイ。

 

 

とにかく、私は学部イチの問題人間になっていた。

 

 

病院受診に話を戻すと。

大学2年の冬は友達から勧められてもはぐらかしていた。

大学3年になって、ようやく病院を受診しようかなという気持ちが芽生えた。

ただ、周りの環境としては友達から見放されて1人で時間を過ごしていた。

1人になって、ようやく病院を受診した方が良いのかもと思う気持ちが少し出てきた。

遅かったね。

 

でも、摂食障害を治したいから受診しようという意思をもっての受診よりは、周りも言っていたし受診した方が良いのかな・・という受診への気持ちも弱かった。

(このテーマの最後の方に、どうしてこの時に拒食症による低栄養状態を改善する必要があったのかを書いた)

 

 

痩せ願望の症状がある摂食障害の人が病院を受診するってすごく勇気が必要だと思ってる。

心は痩せ願望があるけれど、病院受診をするってことは、単に治療をするっていうだけじゃなくて、体重が増えていく事も向き合って受け入れなければならないから。

 

だから、今の私は受診した自分に頑張ったねって言ってあげたい。

確かに受診は続かなかったけれど、でも、たった1人で最初の受診を頑張ったねって言いたい。

 

摂食障害があって受診されている方にも、同じようにまずはきちんと受診されたこと、本当に頑張った事だなあっていう気持ちでいる。

 

①1箇所目 大学病院

なぜいきなり大学病院になったかというと、当時の環境でそうなったのだけれどここは割愛。

(20年前の話なので、今の精神科の医療とだいぶ離れているところがあると思われる。)

母から受診を勧められたことも全くなかったし、この時も付き添いなし。

大学3年生の私1人で受診した。

ここで、摂食障害(拒食症)、強迫観念(強迫性障害)、心因性多飲症と診断があった。

私は1人で治療する、という自信がなかったので入院を相談した。

ただ、体重もまだあるとかの理由で入院条件には当てはまらないとかで(20年前の話だから今とは違うかも)入院ではなくて、地域の外来で治療するようにという旨の説明があった。

 

心因性多飲症があったので、他科で色々と検査して問題がなかったのを確認して終了した。

後は他科で心因性多飲症も体に負荷がかかるから注意するように、という旨の説明を受けた。

以上・・。

ここでも体重の数値かーい、と今書いていて思ったりはしている。

 

身長165cm。体重36kg。(20年前の受診時)では色々と条件に当てはまらなかったらしい。

 

②2箇所目

地域の精神科 (総合病院だった)

この時も誰も付き添わずに1人で行った。

待ち時間が長くて、待ち時間も強迫観念により縄跳びを飛んでいた。

大学3年生が縄跳びを飛んでいたら相当目立ったと思うんだけれど・・

当時は恥ずかしさとか感じなかった。

それよりは、強迫観念があり、1日3回の運動を勝手に自分の中のノルマにしていたので焦りがあった。

 

総合病院の初診で、大学病院からの説明をしたけれど

先生からいきなり自分は退職して開業する旨の説明があり

そもそも、自分が思っていることを表現するというのがこの時期には難しくて

結局、良い子でいようとなぜだか思って、談笑しかしないで診察が終わった。。

その後に次回予約を入れたのかどうか覚えていないけれど

とりあえず、ここの受診もこの1回で終わった。

(先生は退職される予定だったと思うけれど、他の先生への引き継ぎもなかったと思う。たぶん)

私、何をしに行ったんでしょうね・・。

 

③3箇所目 個人の精神科クリニック

ここも1人で受診した。

大学病院のこと、総合病院のことを説明した。

後は、食べるのが怖いのだけれど、どうやって食べて体重を戻していったら良いのか分からないというようなことを話したのは覚えている。

その時の医師からの返答は覚えていない。

そんなに長く話してはいなかったけれど、投薬の説明があり処方があった(→この時の処方でその先にODの問題を起こした。ODは1回で終わった。)

 

処方がなくなったら来てくださいね、的な感じだったので、薬だけもらいにいっているだけに感じてそれ以降行かなくなった。

 

以上、私の受診の話(はやっ。。)

いや、1人で受診してきちんと治療を続けている方もいるんだと思うんだけれど、

私はどこも1回で受診をやめていた。

どこもピンとこなくて。

 

私はどこに行ったら心のままに悩みを話して解決に向かっていけるのかさっぱり分からず、定期的にきちんとする医療機関も持たずに時間だけが過ぎていった。

 

 

誰かと一緒に受診すべきだったなあって今も思う。

果たして私の家族の誰と一緒に受診する?って感じだけれど。tutuzi