☆とぅーこ通信☆-100115_004800.jpg しずむことがありました。


なにがって・・・もちろんきぶんが。



あぁ・・・なぜなぜなぜなの・・・。


ずーん。



えもいわれぬ嫌な気分になったのは

先天的な問題を受け入れる気満々の私でも

直接的な被害にあうと、

急速に保守的な考え方になるということに

気がつかされたからかも。



ノラ猫保護の会に入って

日頃ノラ猫の肩を持ちまくって活動していても

自分の家のハムスターがノラ猫にやられた瞬間

敵意が芽生える・・・というのと

似た感情かもしれません。


ノラ猫保護の会があるかどうかは別として。


もっと寛容でいられるかと思ったのにそれは違っていたのです。

だけど寛容になりすぎると人は馬鹿になるのではないか、ということにも同時に気がつきました。


大事なのは、フェアであるということ。隠し立てせず、まっすぐに向き合えるかどうかということ。

フェアじゃない相手とは、共に悩みに立ち向かうこともできないし、守ってあげることもできませんね。


自分がばかにされてもだまされても、それでも守れる相手なんて、私にはまだいない。

子供が生まれれば…と想像してみたけど、どうでしょう。あきらめはしないけど、そのままの状態でいいとはやっぱりおもわないだろうな。


やはり嘘偽りの姿の人とフェアにつきあうことはできないのです。


前記事にひきつづき悩みを抱える姿をつらつらと・・・・・・



でももう解決はしました。


ただ問題なのは自分自身の心の方。自分で自分を嫌わない結論を導き出したいけど、ただの正当化にならないように客観的に考えることを忘れずにいたいです。