佐倉市志津駅にある「英語が強い」がキャッチフレーズの「学習塾ダーナ」です。今回も個人情報に注意を払いながら、家庭教師時代の教え子との思い出を回想していきます。では、家庭教師編その③「不登校生A君」です。

 

HPにも記載がしておりますが、私は不登校の教え子との授業経験が豊富にあります。元々不登校だった教え子もいれば、指導期間中に学校に行けなくなった子もいましたが、今回の教え子は前者でした。ここでは、A君としておきましょう。A君を私が担当し始めたのが中学2年生の5月からでしたが学校の先生とのイザコザで学校に行けなくなったというパターンでした。

 

主要教科(数学/英語)を教えて欲しいという依頼でしたが、親御さんとA君と最初の面談をした結果、A君が一番好きな教科が社会(特に歴史)だったので、まずは社会を担当することを決めました。勉強にそこまで意欲を持っていなかったり、様々な理由で意欲が削がれてしまったりする子には、5教科の中で一番得意な教科を伸ばすことが後々の勉強に良い影響を及ぼす事が多かったです。

 

話が少し逸れますが、A君の初回の授業は散髪だったことを鮮明に覚えています。最初の面談の際に、明らかに女の子の髪量に相当するものを蓄えていたので、面談後に親御さんの許可を取って車で理髪店まで連れて行ったのを覚えています。ですが、このA君で一番印象に残っているのはやはり「テスト」ですね。私が担当する以前は、学校のテストにも参加していませんでした。

 

5月から2か月間社会のみを徹底して行い、高得点が取れる事は確信していたので、社会のテストだけは受けようと説得を試みました。もちろん、高得点の獲得はおまけみたいなものでメインの目的は「自信」をつけてもらうためでした。当初は当然行きたくないとのことでしたが、最終的に私も学校の校門前まで付いていき、無事に社会のテストだけは受けに行ってくれました。気になる結果ですが「98点」を取ってきてくれました。苦手な地理も良く頑張っていました。その時の自信に満ちた表情は今でも覚えています。

 

結局、A君は中3の6月に学校に戻ることができたので、私との授業もそこで一度区切りがつきました。曜日と時間の都合上、継続することが出来なかったからです。ですが、高校入試や大学入試で再度少し関わることが出来たのは良い思い出です。今やA君はとある大学の歴史学科で日本史を専攻する大学生です。日本史の分野では、もはや私などよりも余程詳しいでしょう。立場が逆転した感じですね(笑)ですが、指導者としては少し寂しくも、何より嬉しいことです。

 

また、少し長くなりましたが、家庭教師シリーズ③をお送りしました。