苦心の跡 | 一言一会 (IchigonIchie)

一言一会 (IchigonIchie)

これまで、じつにさまざまな言葉を聞き、読み、そして発してきました。

このまま、忘れられてしまうというのは、もったいないような 気がし、
思いつくまま、書きとめていきたいと思います。 2012.10.3


             


       より整った建築であればあるほど、

         苦心の跡は窺えない




 建築家・吉田五十八 の建築を評した、畠山博茂 の言葉です。


これは建築に限らず、全てのことにいえるのでしょう。


先ず、文章がそうです。最近はだいぶ良くなりましたが、研究書や専門書、それに公文書などは、本当に難解で、わかりにくく、いかにも苦労して書いた と言わんばかり。(誰にでもわかっては権威が落ちる と思っているかのようです)


いっぽう、磨き抜かれた文章は、わかりやすく、読みやすく、きりりとしています。それは、何度も何度も書き直し、削りとり、推敲し・・・苦心に苦心を重ねた結果なのですが、その痕跡をいささかものこしません。


意味がちょっと違うかも知れませんが、『水の上』という作品の中で、モーパッサン がこんなことを言っていました。


「作家とは、風呂屋の窯炊(かまた)きのようなものだ。読者はいかにも心地よく、楽しげに、湯につかっている。つねに快適な温度と 湯加減を保つべく、汗まみれになって働く窯炊きのことなど、知る由もなく・・・」


それで疲れ果てた というわけでもないのでしょうが、晩年に発狂し、自殺未遂を起こし、わずか42歳の生涯でした。・・・いかにも軽々と、易々(やすやす)と書かれたというふうの、かれの数々の長編 (『女の一生』『ベラミ』・・・)と、珠玉の短編群(『脂肪の塊』『ジュール叔父 』・・・)


苦心の跡の生なましい といった作品や文章ほど、いまいち ということを思ったのでした。


    

吉田五十八
       ★京都・「北村美術館 」の、吉田五十八設計、四君子苑・新座敷棟