新年度が始まり、早3か月・・・

細々とできればよいかと思ってはいたのですが、それにしても細々というより先細り・・・

もしかして、このブログを見てくれていた人がいるかもしれないのに・・・

そして、新年度開けた時くらいはしっかり書かないと、と思いつつこの時期にまで来てしまいました・・・

そんなこんなで6月になりそう・・・

 

今日は健康診断でした。

 

園医の榊原先生がきてくれ、子どもたちの健康状態を見てくれます。

もう園医になっていただき、20年近くになります。

私が園長になってから、先生を送迎することがあるのですが、その車の中で話したことから思ったことを書ければなぁ~なんて思っています。

 

第2の診察が終わり、本園に向かう途中、「見えること」と「聞こえる」についての話になりました。

健常(この言葉が適切かわかりませんが、便宜上使わせてもらいます)の人にとっては見える情報はとても大切というけれど実は聞くことの情報というのは想像以上にあるという事なのです。

 

その話の中で出してくれたのが、ヘレンケラー。

ある時、取材をしていた記者がヘレンケラーにインタビューをした時、

 

(見えない)目と(聞こえない)耳のどちらかが直るとしたらどちらが良いですか?

という質問をしたとのこと(意地悪な質問・・・)。

 

その質問に対して、ヘレンケラーは聞こえる耳が欲しいと答えたの事です。

 

えっ・・・聞こえることを取るんだ!見えることのほうが、情報取得のためには良いんじゃない?と内心思ってしまいました。

 

しかし、あとから説明を聞くと確かに・・・と納得。

見えなくても、触ったり、他の人からの声で自分の周りの状況やその名前や性質は知ることができます。

しかし、聞こえないと物体としては見えるけど、言語での認識ができないということは目の前にあるものの名前もわかることが難しいという事。

 

私は目も見えて、耳も聞こえます。

 

生まれついて見えないこと、聞こえないことが不自由だろうな、だからこそ何か役に立てることはないだろうかと考えています。しかし、その状態が本人の中では普通なので、必要以上の手出しはおせっかいの何物でもないんだろうなぁ~とも思ってしまいます。

 

自分ができることができない人はかわいそうなのか?

ハンデがあって、かわいそうだから手を貸すのか?そうじゃないんだろうなぁ~

 

おたがいさま

 

なんだろうなぁ~

みんないろいろあるんだからお互いさまなんだろうになぁ~

 

どんな人でも同じ社会で暮らしていける世の中になってほしいなぁ~と思うのでした。

 

たもつ