もちじゃの真優です。

 

 

 

ついこの間入学したと思ったのにもう引退なんて信じられません。

それくらい大学水泳は楽しくて一瞬でした。

 

あみだくじで決めた引退ブログの順番がはるなさんと一緒の日というのは運命ですね。

 

 

早速本題に入りますが、盛大な自分語りになってしまうので興味がある人だけ読むことを推奨します。

 

拙い文章ですがどうか暖かく見守ってください。

 

 

 

~目次~

1.水泳人生の振り返り

 第1章:平凡な水泳人生

 第2章:運命のコーチとの出会い

 第3章:怪我の始まり

 第4章:大学水泳

 第5章:総括

 番外編:タイム変遷

2.今後について

3.ここまで続けられた理由

4.伝えたいこと

5.メッセージ

6.最後に

 

 

 

1.水泳人生の振り返り

 

第1章:平凡な水泳人生

 

水泳を始めたのは3歳の時。家に届いたスイミングスクールのチラシを見て、自分から「やりたい」と言ったらしいです。

 

 

入会して最初の1か月は転んで膝を擦りむいたり、ドアに手を挟んで爪を剥がしたりして1回も練習に行っていなかったらしいです。

この頃から怪我が多い子でした。

 

 

それ以降は順調に通い続け、平泳ぎの途中で研修コース(選手コースの一歩手前)に誘われ、気が付いたら競泳の道に進んでいました。

 

 

小3の終わりに選手コースに上がり、小4から大会に出始めます。

初めての大会は長水路でした。メッシュキャップをなくして怒られたのはいい思い出です。

 

 

初めてリレーを組んだのもこの頃です。

 

この時のリレーメンバー、大学4年になった今年のインカレで全員再開できて感動。

 

 

 

当時の所属は今はないイトマン長命ヶ丘。

名選手揃いの誇りのチームです。

 

 

さとるくんに出会ったのもここです。

努力する姿がかっこよくて、今でも目標であり憧れの存在です。高校、大学の選択においてもかなり影響を受けています。

一番つらかったときも相談に乗ってくれて、たくさん助けられました。ありがとう。

 

 

 

 

 





「センスあるから水泳やめない方がいいよ」

 

 




イトマン最後の日、当時宮城県で10位程度の平凡な選手だった私にコーチがかけてくれた言葉です。

 

 

S1がバックなのも、この時のコーチの助言があったからです。

 

タイトルはコーチにもらったセームに刻まれていた言葉から引用しました。良い言葉ですね。

 

 

 

 

小5になりセントラル泉に移籍しました。

その後JO選手を16人も輩出することになるチーム。

友達もみんな一緒に移籍したので楽しかったです。

 

 

成長とともにじわじわとタイムも伸びていきますが、決して速いとは言えない選手で県内では5位前後の日々が続きました。

 

 

 

 

第2章:運命のコーチとの出会い

 

 

転機は小6の10月。

私の水泳人生を語る上で欠かせない、運命のコーチとの出会いです。このコーチとの出会いがなければ私はここまで速くなっていないでしょう。

 

 

適度な厳しさがよかったのか、性格の相性がよかったのか、メニューが合っていたのかはわかりません。おそらくその全てです。

とにかく爆伸びしました。

 

 

冬の合宿にも連れて行ってもらいました。

 

とはいえ普段の練習でさえついていくのでギリギリです。合宿の練習についていけるわけがありません。

プルの練習でフィンを履いても置いて行かれるという絶望的な状態でした。

 

 

合宿後は全く練習についていけなかったという情けなさから泣きながら泳ぐ日々が続きました。

ですがある日突然、絶対に速くなってやると覚悟を決めます。

 

 

そんなこんなで迎えた小6最後の県大会では、ついに1バックで優勝することができました。

 

タイムとしては1バックが4カ月で5秒短縮。

全盛期の幕開けです。

 

 

 

 

中学生になり中総体が始まります。

同時に、今まで考えたこともなかった東北中学やJOの標準突破が視野に入ってきます。

 

 

東北中学はあっさり突破。

JOも50と100のバックの2種目で突破。

このころには県大会では1位が当たり前になっていました。

 

 

県中総体の1バックで0.02秒差で1位を逃したのが心残りです。このせいで3連覇を逃しています。

 

 

夏JOも半バックが8位エントリーで決勝進出を期待されていましたが、29位で初の全国大会を終えます。

 

 

 

今でも全国大会になると自分の弱さが際立ちます。

周りの雰囲気に圧倒されている部分もあるとは思いますが、自分が全国大会で活躍できるわけがないという弱気な気持ちの現れでしょう。

 

 

冬にはセントラルの関東合宿に参加しました。

これはJOに個人で出場した選手のみが参加できる合宿です。

ここで出会ったたくさんの選手がインカレの決勝で泳いでいる姿をみると嬉しい気持ちになります。

 

しかしJOに1回出場しただけの大して速くもない私には知り合いがいるはずもなく、ほとんどが関東の選手だったのですでに仲良しグループができており友達もほとんどできず、孤独な年末年始の合宿を過ごしました。

ここでメンタルが鍛えられたような気もします。

 

 

 

孤独の合宿を乗り越え、春JOも標準を突破することができ、コーチとの約束であったJO連続出場を果たします。

以降中3の夏まで5回連続個人でJOに出場することができました。

 

 

 



中2に上がり更に飛躍します。この年がピーク。

 

 

2バックでは1:13.08-1:12:60という謎ラップを叩き出した出したこともありました。

 

全中が視野に入ってくるものの、かすりもしないタイムで終えたり

 

東北中学では初めての外プールでの大会でベストを出して優勝したり

 

年末8泊9日、年始6泊7日の人生最長の合宿を経験したり。

 

第1回宮城県長水路選手権ではバックで3冠を果たし、その時の1バックでは全中、国体、JOの標準を突破していました。

 

 

春JOでは2バックで全国大会での初めてのベストを出して11位。

当時はまだB決勝の制度がなく予選で終わってしまいました。B決勝ができたのはその半年後の出来事です。

 

 

さらにこの時はイトマンの時と同じメンバーで4年越しにリレーを組み、JOを突破しています。感動。

 

 

 

 




 

ここまでは順風満帆な水泳人生でした。

 



 

中学最終学年、突如スランプが訪れます。

全中予選では標準まで1バックが0.12秒、2バックが0.25秒足りませんでした。ベストなら切れていたのに。

 

東北中学では当時名前も知らなかった真愛に負けました。国体にも行けず夏が終わります。

 

当たり前のように行けると思っていた全国大会に行けず、目の前が真っ暗になりました。

 

 

 

 

 

 






「全中切らせてあげられなくてごめん」

 

コーチにこんなことを言わせてしまう自分が情けなくて、必ず恩返しをしようと心に決めました。

 

 

 

ところが世界は残酷で、コーチとの別れが来てしまいます。

 

 

このときコーチにもらった"通信簿"は今でも大切な宝物です。

キックやプルの強さ、持久力やスピードが5段階評価されていました。

 

 

 








「インハイ、国体、JOの三つの全国大会に来年は必ず出場しなさい」

 

コーチとの最後の約束です。

 

 

 

第3章:怪我の始まり

 

 

高校に入学し、新しい環境で練習をしていました。

それが報われ1年生ではそれなりの結果を残すことができました。

 

リレーでJOを切ったり

国体に出場したり

雑誌の取材を受けたり

東北新人で優勝したり

宮城県から6人しか参加できない東北ブロック合宿に参加したり

 

いろいろな経験をすることができました。

 

 

コーチとの約束であったインハイ出場は惜しくも逃してしまいましたが。

 

 

 





ここでコロナが始まります。

出場する予定だった春JOもなくなりました。

 

 

少しずつ制限が緩和されて練習が再開してきた高2の6月の出来事。今でも鮮明に覚えています。

 

ゴールセット中に足首に激痛が走り、現在まで長引くことになる足首の怪我が始まります。


原因は捻挫を繰り返した上に無理して泳いでいたせい。完全に自業自得です。

 

ちなみにこの時のゴールセットのアベレージは32.2です。速い。

 

 

リハビリを頑張りましたが回復せず、足が痛すぎてプルしかできませんでした。もともとキックの方が得意だったので完全に強みを失った状態。

受験明けで衰えていた体力がやっと戻ってきたころだったのでかなりショックでした。

 

 

怪我で一番きつかったのは、頑張りたいのに頑張れないこと、周りが頑張っているのに自分はきつくなるまで追い込めないことでした。

 

この頃も県大会ではずっと1位だったので、1位を取れなくなることも悔しかったです。

 

ストレスからか虫垂炎にもなりました。

 

 

 





そして迎えた高校最終学年、県総体で表彰台に乗ることもできず、8継のリレーメンバーからも外されどんどん落ちこぼれていきます。

 

唯一の救いが同期と後輩に恵まれ、4継でインターハイを突破したことです。

khb東日本放送の「めざせ!頂点」にも取材をしていただきました。

 

 

この年のインターハイはコロナでリレー種目の開催がなかったので結局インハイには行けていません。

 

 




第4章:大学水泳

 

怪我のせいで練習のきつさを忘れていたこと、やり切った感じがなかったことから、当たり前のように大学でも水泳を続ける選択をします。大学合格の次の日から泳ぎ始めていました。

 

 

 

新歓期間を待たずにフライング気味で入部してからは毎日部活に行き、同期にも恵まれました。

 

 

私のことを昔から知ってくれていた人もたくさんいて嬉しかったのを覚えています。

 

 

順調に体力が戻り、1年生の北部では個人2種目でインカレを決めます。

この時のタイムが未だに大学ベストです。

 

 

ところが北部の1週間後、今までとは比にならないほどの足首の痛みに襲われます。

 

 

 

 





 

「靭帯断裂」

 

 

 

 

 

そう告げられました。

 

 

 

手術は必須ではなかった上リスクもありましたが、結果を出すためには何かを変えなくては、という思いから手術することを選びました。とにかく必死でした。

 

 

手術は緊急ではなく、大会もたくさん控えていたので、シーズンが終わってから手術をすることを決めますが、当日までは全く身が入らずずっと上の空で泳いでいました。

 

その結果、全国公とインカレでは最悪の結果を出してしまいます。

 

 

 

インカレの1週間後、全身麻酔で靭帯縫合手術を受けました。

すごく怖かったけれど、先輩たちがたくさん励ましをくれたおかげでなんとか乗り切ることができました。

 

 




術後は泳げないどころか歩くこともできず、部員にも手術のことをほとんど打ち明けていなかったため孤独でした。

 

同期でも怪我のことをここまで知っている人は少ないと思います。

 

 

 

 

大学2年、なんとかインカレ出場は果たしたものの、長水路の1バックでは一度も10秒を切ることができず苦しい日々が続いていました。

初めてインカレ団権を取れたのもいい思い出です。

 

 

 

大学3年、北部では久しぶりに納得できるタイムを出し、個人2種目でインカレに出ることができました。

 

 

メニュー作成に全力を注いだり

七大戦で優勝して優勝インタビューをしたり

全国公で最初で最後の決勝進出を果たしたり

 

充実した1年でした。

 

 

 

 

10月、病院実習が始まります。

 

 

私は意外と脳筋みたいです。

週5で部活に参加し、週4で実習をし、週2でバイトをし、土日には毎週何かしらイベントがあるという1か月を過ごしました。

睡眠時間を削ってかなり無理をしていました。

 

 

 

お察しの方も多いでしょう。

盛大に体調を崩しました。

 

 

当時は体調が優れず、毎日生きるだけで精一杯というレベルでした。

全く部活に行かなかったので心配してくれていた人も多かったみたいです。

 

 

もう二度と泳げないかもしれない。そう覚悟しました。

何度水泳をやめようと思ったかはわかりません。

 

 

 

 








 

"ここで水泳をやめたら後悔する"

 

 

 

その思いで必死にプールに戻ってきました。

 

体力は落ち、疲れやすく、呼吸もしにくい。

最初はただ泳ぐだけでぎりぎりでした。

 

こんな状態でラストイヤー大会に出れるのか。

不安で仕方なかったです。

 

 

病院実習も終わり少しずつ体力も回復してきて、合宿も無事に終えられました。

 

 

本当は九大主催の合宿にも参加したかったのですが、体力の回復を優先するために断念しました。

 

 

 






 

そして迎えたラストイヤー。

 

 

ここまで3年間、ずっと個人2種目でインカレに出場してきたため、今年も個人でインカレに出たい。

その目標に向かって頑張りました。

 

 

しかし現実は甘くありません。

他大に速い1年生が入ったり、体調が悪化したり。

毎日挫けそうになりました。

 

 

 

練習の途中、プールサイドのマネージャーに助けを求めることも多々ありました。同期のマネには本当に助けられました。ありがとう。



呼吸が苦しく、吐気がする。

確実にストレス過多でした。

 

 

 

そうして北部を迎え、個人はボロボロで4年間個人2種目インカレ出場の夢は断たれました。

 

平気なふりをしていたつもりですが、当時はかなりきつかったです。

 

 

 

 

しかし無事インカレ団権を獲得し、国公立では優勝することができました。

 

全然貢献できていないのにトロフィーを受け取らせてくれて、インカレに連れて行ってくれてありがとうございました。感謝しかないです。

 

 

北部を終えてからはプレッシャーから解放され、七大戦では久しぶりに4フリと2コメに出ることで水泳が楽しいという感覚を取り戻していきました。

 

 

七大戦でも女子総合優勝できて嬉しかったです。

ここでもトロフィーを受け取らせてくれてありがとうございました。

 

 

 

全国公は正直、個人もリレーも去年と比べてレベルが上がっていたので、今年は賞状なしかなと思っていました。

 

 

ところが2継で7位入賞。

4年連続賞状を持ち帰ることができました。

 みんなには感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 





実質的な引退試合となるインカレ。

 

フリーだけだったので全国公後はバックの練習はしていませんでした。

 

ただなぜかフリーだけ泳いでいるとどんどん調子が悪くなるし、バック泳ぎたくなるしで、やっぱりS1ってバックなんだなと思い知らされました。

 

 

 

メドレーリレーでは初めてフリーを担当してメドレーリレー全種目制覇したり

ラストレースになる8継の1泳では2バックのベストより遅い2フリで終わったり

タッチ失敗して手怪我したり

 


いろいろありましたが最後も怪我をして終わるあたり自分らしいです。

 

 





第5章:総括

 

 

皆さんが私にどんな印象を持っているかはわかりません。ベストは速いけど最近は遅い人、そんな感じでしょうか。

 

 

山あり谷あり、谷あり谷ありな水泳人生でしたが、それと同時にたくさんの貴重な経験ができたと思います。

 

怪我をして泳げなくなったときは毎日本当につらかったし、体調が悪い中練習するのはもっとつらかったです。

 

リレーメンバーから外されたときは自分の存在価値を否定されているような気持ちでした。

 

 

それでも怪我や体調を言い訳にしたくなくて、

手術のことも体調のこともほとんど誰にも言っていませんでした。

無駄にプライドが高いだけの自己満足です。

 

 

それでも最後のインカレでは

 

イトマン時代のリレメンで写真撮れたり

宮城の4年生で写真撮れたり

その中の1人がインカレ優勝してたり

宮城の他の学年の選手も大集合してたり

 

宮城愛強めですが楽しい思い出で終われてよかったです。

 

 

 

私の水泳人生を語る上で欠かせない2人のコーチを始め、水泳を通して出会えたすべての人に感謝です。

 

 

宮城でここまで水泳を続けてこれてよかった。

 

 

 

番外編:タイム変遷

 

主要種目について、各年度のベストをまとめてみました。

 





*は引き継ぎのタイム

黄色は生涯ベスト



 

生涯ベストと同じくらいで泳げていればインカレの標準を切って出場できたのに。全国公でメダル取れたのに。

後悔を語ればキリがありませんが、終わってしまったことなので仕方ないです。

 

 

この中の何かでいつか生涯ベスト更新できるといいな。

 

 

 

 



 

2.今後について

 

インカレの全レースが終わってからこのブログを書いていますが、この先自分が水泳を続けているかどうか、未だにわかりません。

 

 

 

・S1で生涯ベスト更新

・1フリで1分切り

・もう一度国体出場

・ジャパンオープン出場

 

目標はたくさんあります。

 

 

 

ただ、まずは心身の休息時間も必要だと感じているのも確かです。

 

正直まだ体調は万全ではないし、足首もちゃんとついているかわからないくらい痛いです。

 

 

 

 

とりあえず来月のJSCAは出ますが、今後続けるかどうかはまたゆっくり考えたいと思います。

 

 






 

3.ここまで続けられた理由

 

 

かなり挫折が多い水泳人生だったので、どこかで諦めていてもおかしくありませんでした。

そんな私がなぜここまで腐らずに水泳を続けてこれたかについて少し書こうと思います。

 

 

①自分に期待する

 

イトマン時代のコーチの言葉である

「センスあるから水泳やめない方がいいよ」

に起因しているかもしれません。

 

運身のコーチにいい結果を報告したいという気持ちもあったと思います。

 

 

怪我や体調のせいで練習ができていなくても、

 

自分は速いに決まってる、遅いわけがない

練習できてないのにこんな速い自分天才

 

と自分を信じ続けました。

 

 




②ネガティブな気持ちはため込まずに吐き出す



先程ちょっと強がりましたが、基本はお豆腐メンタルです。

 



決勝の入場でみんなの応援が聞こえると、

自分はそんなに速い選手じゃないし、期待に応えることもできないからやめて、とか思っていました。


決勝の入場は何度も経験していますが慣れません。みんなの方を向くと動揺して集中が切れてしまうので何も見ないようにしていました。

 



応援されるのはもちろん嬉しいんですけどね。こんなこと思っててごめんなさい。

 

 

そんな感じでメンタル弱めなので

2バックは怖くて仕方ないし

後半強いってよく言われるけど前半ビビッて抑えてるだけだし

 

前半からいける人が羨ましかったです。

 

 



よくネガティブ発言はよくない、ポジティブでいることが正義とされる風潮があると思います。偏見かもしれないけど。

 

 

ネガティブな感情を押し殺してまでポジティブ思考にするのは私には合いませんでした。

 

私の大好きな入江陵介選手もその著書で同じようなことを書いていたような気がします。

 

 

信頼できる人に頼って弱音を吐く、意外と大事です。

 

 



③水泳を楽しむ

 

なんだかんだ言ってますが、結局水泳が好きな気持ちが一番大切だと思います。

 

 

つらいだけだったら絶対やめてるし。

大学に入ってまで水泳をやっているみんなはきっと水泳大好きだよね。

 

 



 

4.伝えたいこと

 

 

感動的なことは他のみんなが書いてくれると思うので、少し違う切り口から書こうと思います。

 

 

頑張って後悔することはない。

よく聞く言葉でしょう。

私も今まではそう思っていました。

 

しかし怪我や体調不良を経験して、健康でいられること、水泳に全力で取り組めることの大切さを改めて実感しました。

 

とんぺー水泳部には頑張り屋さんが多いので、無理しすぎてしまう人もいるかもしれません。

 

 

無理をするなというのは難しいかもしれません。

何をするにも身体が資本です。適度に休んでください。




逆にあまり頑張れていないけど本当はもっと頑張りたい人。



水泳に集中できる日がずっと続くとは限りません。


今泳げていることに感謝すると何か変わるかもしれません。

 

 






 

話は変わりますが、これまでの水泳人生を通して得た知見は

 

"泳ぐのが速い人は着替えるのも速い"

 

ということです。

 

速くなりたい人、まずは着替えから頑張ってみるのはどうでしょうか。

 

 

 




 

5.メッセージ

 


ここだけでは伝えきれないので、伝えたいことがある人には個人的に話そうと思います。話しかけられるかは別ですが。


 


空じゃ

憧れの存在であり、大好きな先輩。

たくさん迷惑をかけてしまったかもしれませんが、一緒に泳げて嬉しかったです。

 

 

ノアジャ、ユダジャ

実習も勉強も大変なはずなのにずっと泳いでて尊敬。話しやすくて仲良くなれてよかったです。

 

 

紺じゃ

全員がインカレの応援にきてくれる最高の先輩。

前田姉妹は先輩とは思えないくらい仲良くなれて、出会えて幸せです。

 

 

赤じゃ

一見うるさいだけのように見えますが、男だけで深い話ができるからでしょうか。団結力がすごい。たくさんかわいがってくれてありがとうございました。

 


黒じゃ

幹部お疲れ様。早朝練や土曜日のミーティングなど、新しい試みが水泳部全体にいい影響を与えてると思う。部活のためにたくさん考えてくれてありがとう。

 

 

銀じゃ

いよいよ幹部。北部の主幹もあって大変な1年になると思う。あんまり心配はしてないけど、つらい時こそ周りを頼ってお互いに助け合って頑張ってほしい。

 

 

麦じゃ

人懐っこくてかわいい後輩たち。半年しか関わってないのにすごく仲良くなれた気がする。ポテンシャルが高い選手が多いからこそ、後悔のないように自分の力を出し切ってほしい。

 

 

 

 






 

こーちゃん

どうしても書きたくて一人だけ個別に。

こーちゃんがいなかったら途中で水泳をやめていたかもしれない。それくらい私の中では多いな存在です。ライバルだったはずなのに気が付いたら速くなってるのずるい。全国公で毎年写真撮れて嬉しかった。たくさん相談に乗ってくれたのにアドバイス全否定してごめんね。本当にいろいろな面で助けられました。最高の先輩です。ありがとう。

 

 

 

 

もちじゃ

増減はありつつもたくさんの同期に恵まれ、ここまで一緒に頑張ってこれてよかった。人数多いし全員個性強いし、ぶつかることも多かったけどなんだかんだ楽しかったです。3年半ありがとう。

今年の全国公の後泊は最高に楽しかった。

 

 

 

 




6.最後に

 

 

"Iron Lady"(鉄の女)

 

 

私のジャージに刻まれた刺繍であり、

カティンカ・ホッスー選手のニックネームです。

 

 

入部当初、赤じゃから見た私はとんぺーのホッスー的な存在だったらしく、この刺繍を授かりました。

 

 

これまでの3年半、ホッスーのような選手になりたいという気持ちで泳ぎ続けてきました。

 

 

私は"Iron Lady"という名前を背負うに値するような選手になれていたでしょうか。

 

 



自分に見合っていないと思うことも多かったけれど、この刺繡とともに3年半泳ぐことができてよかったです。

 

 

 

 

木口真優