お久しぶりです。紺じゃのあゆみです。

遅ればせながらラストブログを更新します。

 

書き始めたのはインカレ後、書き終わったのは半年後の4月ですが、だからこそたいそうなことを書いたわけではなく、拙い文章の連続になってしまいました。

最近書いた部分から、半年前に書いた部分が混在していて、拙い文章が更に読みづらくなっていますが、これで最後だと思うので読んでもらえると嬉しいです☺

 

では、半年前に遡って読み進めて下さい↓

 

 

先日(一ヶ月前)インカレが終了し、2022-2023シーズンが終了しました。

みんな、本当にお疲れ様でした!

 

私は全国公で引退したのですが、その後院試→インカレの応援→インフルエンザ→旅行→研究室再開→バイト先で怪我と慌ただしい日々が続いていたので、やっとやっとラストブログを書き始めることができました。

 

ブログ移行したあとにしれっと更新してしまってすみません🙇

 

ラストブログでなにを書くか考えていたのですが、私の中でこのタイミングは「水泳」「競泳」どちらで見ても大きな節目になるので、自分の水泳人生を振り返りつつ、とんぺー水泳部に伝えたいことを伝え、関わってくれた方々に感謝を述べつつ、終わりたいと思います。

 

 

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まずは私の水泳史

 

この部活では相当稀なケースですが、私はいわゆるクラブの選手コースに属したことがありません。そんな人の水泳史は人よりは薄いとは思うのですが、残しておきます

 

兄のスイミングスクールについていっていたら、兄の担当コーチに誘われ、気づいたら幼児コースに年齢ギリギリで入ったのが水泳との出会い。その後小4で引っ越すまでに選手コース2つ前まで進級して退会。引っ越し先で新しいスクールに入るも高校受験のため、中学入学後早々に退会。この時もあと少し頑張れば選手コースに入れるとコーチに言われたのですが、受験がかなり大変だったので退会しました。

 

小学校5年生から高校まで学校の部活に所属しました。もちろん水泳部です。小学校はみんなクラブに所属してたのでたいしたことはなく。中学からは、ほとんど部活のみの集まりで、顧問にバシバシしばかれてタイムはめっちゃ伸びました。S1は顧問に決められ、高校まで6年間Flyでした。中水での水泳は楽しかったのですが、上下関係が厳しすぎて少し悩みました。また、私はここで1つ大きな後悔をします。

一貫校を出て高校受験をすると決めたことで、高3の7月にあった大会で引退しました。本来は9月の都大会まで残るのですが、そこまで残っている場合ではないと親に言われ、決断しました。これを顧問に伝えに行ったとき、号泣しました。それは自分の心の中で「本当は8月の大会までは出たい。辞めたくない」という気持ちがあったからです。それを顧問に突かれ、「これからは自分の意志で決めること。水泳は一生できるスポーツだからあゆみには続けて欲しい」と言われたのが後に大きな言葉になりました。引退試合は悔しさもあって、その気持ちをぶつけて大ベストでした。

 

水泳に対する心残りがあったので、高校でも当たり前に水泳部に入りました。その時に私は両親に「絶対に途中で辞めない。高3の8月にある西東京大会で引退する」と宣言しました。そこからの3年間は楽しかった、の一言に尽きます。部員は家族のように仲が良くて、同期と喧嘩もしたけど今では笑えるくらいいい思い出ばかりです。高校では、顧問はいるものの経験者(主にクラブ勢)がメニューを作って練習する、いまのとんぺーに近い形でした。この時の私は水泳ノートを書いて、毎日のタイムを書き、日記のようにいろいろなことを書き留めました。レース前にはレースプランをレポート用紙に書いて、レース後も書いて動画と一緒に顧問に提出していました。今思えば、このときが1番真摯に水泳に取り組んでいたと思います。もちろんタイムもついてきて、FlyもFrも中学からかなり成長して、引退試合でベストを出して引退しました。

 

なんやかんやあって、なんとか東北大に合格して、部活を考え始めました。水泳部に入る選択肢もあったのですが、女子が少ないことが少しひっかかり、高校の先輩からとんとら(マネ)に誘われたこともあって、すごく悩みました。でも、やっぱり水泳が好きで、泳ぎたい気持ちが強かったので入部を決めました。

 

1年目。コロナ渦でした。入部しても翼さんとのメールのやりとりがほとんどで、初めて対面で集まったのは12月。高3から1年間まともに泳げていなかったので、川内のプールに初めて来た時は本当に嬉しかったです。活動停止中に覚えた先輩方にやっと会えた、という気持ちもありました。ただ、プールにいる女子は私だけで、かなり孤独感を感じました。先輩はすごくよくしてくれているけど、申し訳なさもあり、「次部活行ったら辞めようかな」と毎日のように考えていました。でも、1月に入ってジャージを決め、役職を決めたときに「この部活で頑張ろう」と改めて決意しました。役職は副務でした。正直主将以外であればどれでもよかったのですが、1番興味があったのは副務だったので最後に余ってたときは少し嬉しかったです。いよいよ活動が本格化するのかなと楽しみになっていました。

 

2年目。気づいたら後輩が入学していました。副務としては新歓で新入部員を確保する使命があり、その仕事に追われていた気がします。自分も経験がほとんどないのにどう勧誘すればいいのか分からず、空じゃさんにかなり助けてもらいました。でも、自分の無力感を感じたり、なかなかうまくいかなかったこともあって、結構追い込まれていました。以前、新歓期にWordに書いていた日記を見つけ、久しぶりに読んでみたらさすがに病みすぎててびっくりしました。それだけ必死だったんだと思います。後輩が入ってほしい、自分の代みたいに少人数でさみしい思いをさせたくない、と思って頑張りました。後の赤じゃになるこの代は、各イベントで経験者が多く参加してくれて、みんな興味を持ってくれていたのですごく嬉しかったです。SNSやメールで入部の連絡をもらったときはめちゃめちゃ嬉しかった…。新歓期の最後にりょうたろうさんが「前田さんに感謝ですね」とブログで書いたのを見たときは、報われた気がして号泣でした😭 水泳の方はというと、5月の春四は練習不足と感じていたので、エントリーせず。その後、6月から練習が本格化するものの大会は全て中止、レースをしたくてもする場所がなく、ひたすら練習していた気がします。そして、あっという間に幹部代になりました。

 

幹部は大変でした。私は主務になりました。8月末に引き継がれた時は資料を見てびっくりしました。翼さんがこんなにも仕事をこなしているとは思っていなくて、逆にこれから自分がこれをやると思うと一気に不安でした。引き継がれてから最初のうちは災難ばっかりで、活動は再開したらすぐ停止になるし、再開させるのに時間がかかるし、プールは壊れるし、「私そんな悪い事した?」と思うくらい、うまくいかなくて、部員のみんなに練習の機会を整えてあげられない自分に失望したりしました。

そんなことが多々あり、主務は影ながら部活を支える役と受け取っていましたが、私にはそんなこと無理でした。すぐキャパオーバーになって、これはなんだ、あれはなんだとみんなの前であわあわしていました。でも、元々事務作業系は得意なタイプだったので慣れてしまえば結構自分に向いている役職だったと思います。

 

気づいたら3年目でした。幹部代は半分終わっていたのでだいぶ仕事にも慣れ、水泳と勉強と主務とバイトの4刀流はなんてことないと思ってました。

 

間違いでした。

 

遠征が始まるとなると、オフシーズンになかった遠征の申請関係があり、コロナもまだ流行していたので、罹患者が出ると大学と連絡をとったり…。とにかく毎日のように誰かとメールや電話をしていた気がします。それでも、大会に出られるようになって、遠征ができて、水泳選手としてはやっと活動できているという実感が持てた時期でもありました。女子もリレーが組めるようになって躍進の年だったと思います。自分は、できる範囲で練習になるべく休まないように参加し、必死に泳いでいました。この時は全国公に出たい、という意思よりも、とにかく多く泳ぎたいという気持ちが強かったです。

 

久しぶりの大きな大会となった北部では、出場した2種目とも決勝に行くことができました。エントリー順的に可能性はありましたが、想像以上のことで驚きました。あのときの入場はすごく印象に残っています。大学に入ってレース前に極度に緊張したことはなくなったのですが、決勝の入場の雰囲気はすごく緊張しました。タイムは全然だめだったのですが、すごく良い経験ができた大会でした。

その直後、全国公の宿泊者を確認しているときに、自分が全国公に行けると分かったときは本当にびっくりしました。まさか行けるとは思っていなかったのですごく嬉しかったです。出場が決まってからは100Flyに絞って練習しましたが、結局全国公の舞台でいい結果を出すことはできませんでした。その悔しさが引退までのモチベーションとなりました。

 

ラストイヤーは怒濤の日々でした。4月からは研究室生活が始まり練習の途中から参加することも多くなりました。みんなが切磋琢磨して記録を伸ばしていく中で、自分だけ全力で取り組めていないことにもどかしさを感じることもありました。ただ、自分の中では最大限の努力をした結果だったので、途中からは自分なりにやりきる、という風に切換えました。ラストイヤーで後悔せずに引退したかったので、とにかく自分自身が嫌な気持ちにならないようにしていました。

もし、私の練習頻度に関して不満があった赤じゃ(幹部)がいたらすみません。この場で謝っておきます。

私のラストイヤーの目標は「全国公で2種目出場」でした。他の女子選手は団権なしで制限をきって、入賞を目指している中で、とっても小さな目標でした。でも、私にとっては大きな壁でした。他のみんなにとってもらう団権のタイムを切るのが精一杯。200Frは冬四で切れたけど、もう1種目が切れないという状態で4月を迎えていました。練習不足が否めない中でも1回の練習の精度をあげて、狙う種目も100Frに絞って過ごした3ヶ月半でした。結果、コロナにやられて最後のチャンスのJOでベストは出ず、目標は叶えられませんでした。

 

ただ、最低限の目標は達成して、新潟に行けることが決まったのですごく嬉しかったです。残りの2ヶ月は死ぬ気で200Frに備えようと思いました。研究室も院試休みという休み期間をもらっていたので、7月以降は可能な限り練習に参加するようにしました。食事も筋トレも最後の大会のために調整をしっかり行いました。ただ、全国公3週間前、長水の実践としては最後になる七大戦は散々な結果でした。ベスト+5秒。大会自体はすごく楽しかったのですが、自分のレースを振り返るとかなり焦っていました。残り3週間で果たして悔いのないレースができるのか、ベストを出せるのか、かなり不安でした。そこで回ってきたのが全国公直前のブログ担当でした。自分が弱くなっているからこそ、自分を奮い立たせるためにも宣言をしました。「誰よりも強い気持ちを持つ」絶対に勝つという気持ちを忘れないように、誰かに伝えるというよりも1番自分自身に伝えるために書いていたように思います。

 

全国公当日はあっという間でした。一瞬でレースが終わりました。隣が想像以上に速くて、組内の順位は最下位でした。ただ、諦めることなく最後まで泳ぎ切っていました。肝心のタイムは視力が悪すぎてターンサイドの電光掲示板が全く見えなくて分からず。それでも、体中が苦しくて、足がキツくて、その中でやりきった気持ちがこみ上げてきて、とってもすがすがしい気持ちでプールを去りました。更衣室に戻って速報を見ると、ベストを示す*はなく、そしてベスプラ0.01……。でもそれを見て後悔の念はなかったです。最後の最後に報われなかったように思えますが、シーズンベストではあって、七大戦からタイムをあげられて、種目内で最下位ではなかった。それだけで私にとっては充分すぎる結果でした。

 

こうして、4年間の大学競泳、20年間続けてきた水泳生活に引退を告げました。

とっても幸せな、贅沢すぎる日々でした。

 

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長くなってしまいすみません。自分語りフェーズ終了します

 

ここからはできたらみんなに読んでほしいフェーズ↓

 

みんなに伝えたいこと

たくさん考えたのですが、みんなは私より圧倒的に速くて、上からアドバイスできることなんて何一つないので、至極普通の、誰でも言うようなことを自分の言葉でしか書けなかったです。ごめんね。あと、私が完璧主義でメンタル激弱だったという前提で読んでほしいです。

 

①    周りを頼ろう

私がほんのすこーーしだけ後悔していることです。私にとっては先輩も後輩も自分より速い人ばっかりだったので、頼ることに対してまあまあな抵抗がありました。私の気持ちの浮き沈みに応じて先輩に聞いたり、聞かなかったり結構波がある感じで聞いていました。その点私の弱さなのですが、この部活には水泳に関する知識だけでなく、筋トレやストレッチ、医学的な知識など様々な知識を自分より持っている人がたくさんいます。それは同期だけではないので、この環境を存分に活用してほしいです。発見がたくさんあると思います。みんなでいろんな意見をぶつけあって一緒に切磋琢磨していく環境がもっと馴染んでいくといいなあ、と感じてます。

 

②   やるなら本気で

みんな当たり前にやれていると思います。ただ、当たり前にできなくなる環境があります。みんなも実際に体験したとは思いますが、コロナ・災害などなど自分たちではどうにもできない理由で活動停止になるかもしれないです。その状況ありきで考えることがよくないのかもしれないですが、いつどの状況になっても後悔しないように、常に本気でいてほしいです。それは意識とかそういう問題でもあるし、行動でも問われると思います。練習時間になるべく遅れない、ストレッチや筋トレなど練習前後での取り組み方、練習前後の準備など、表面的には水泳に関係ないところでも、後々自分が後悔しそうだな、と思うことはちゃんとやった方がいいです。あとは基本的な体調管理。大会前に風邪をひいてしまった、体のどこかを痛めた、そういう状況に陥ってやむなく棄権してしまうのはすごくもったいないな、と思います。エントリーする際に、部活としてエントリー代を払っている以上、自分がこのレースにどれくらいお金を払っているのかが見えにくいシステムです。4年間で出られるレースは決して多くないと思うので、そういった基本的な所も、本気だからこそちゃんとできるといいなあ、と思います。私の場合は、最後のJOは死ぬ気でも出るつもりでした。

 

③   絶対に諦めないで

水泳部に入ったからには、4年間過ごす上で達成したい目標があると思います。インカレ標準突破・出場、全国公標準突破・出場などなど…。ただ、その目標を諦めそうになるときがあると思います。きっかけはそれぞれだと思います。水泳きっかけで諦めそうになる人、この大学で水泳をしているからこそ別のきっかけで諦めそうになる人、みんないろいろなバックグラウンドを持つからこそ、いろいろな事情があると思います。でも、諦めないでほしいです。誰でもいいから、誰かに助けを求めて下さい。ちょっと心が折れそうなんだ、自分辛いんだ、どういう表現でもいいと思います。前述したように誰かを頼って、目標に向かってがむしゃらに水泳という競技を続けて欲しいです。

人は誰しも高い目標を掲げます。その目標を達成できた人、できなかった人、両者が存在しますが、その両者も成長できると私は思っています。もちろん、目標を達成できることが1番いい結果であり、シンプルに自分の記憶に残る成功体験になります。しかし、目標を達成できなかった人が成長できないか、と言われるとそうではないです。絶対に。目標を達成するために努力した練習、仲間たちとの日々の記憶、そして記録。振り返ってみれば少しずつ成長している部分があると思います。その少しでもいいから、成長した自分を褒めて、認めて欲しいです。今振り返ってみれば、何か1つのことに熱中して、仲間と過ごす生活はこの大学生生活が最後だと思います。勉強以外に仲間と熱狂できること、日々を共にすることがどれだけ貴重な経験なのか、今になって身に沁みています。

この貴重な生活を諦めないでください。

 

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最後に大学水泳でお世話になった方々への感謝と部員へのメッセージ

 

まず、OBOGの皆様

日頃より東北大学学友会水泳部を応援してくださり本当にありがとうございます。最初はコロナウイルス感染症に振り回された2年間で、OBOGの皆様に直接会って感謝を伝える機会が少なかったのですが、皆様のあたたかい応援やご支援に支えられて引退することができました。また、一昨年は仙台での七大戦の開催に際して役員として協力して下さった方々がいらっしゃり、皆様の協力なしでは運営できなかった部分もありました。大変お世話になりました。ラストブログ内での形にはなってしまいますが、今後ともこれからの学友会水泳部への応援、ご支援の程よろしくお願いいたします。

 

芋じゃさん

コロナによる活動制限の影響で一緒に泳ぐことは叶わなかったのですが、入部前後からブログやHPを見て、一方的にではありましたが認知していました。北部優勝の立役者だった先輩方と活動できなかったのはすごく残念でしたが、一昨年のOB戦で話すことができて嬉しかったです。ありがとうございました。

 

茄子じゃさん

本来よりも短い関わりにはなってしまいましたが、練習が再開されてからの約半年間、一緒に練習することができて楽しかったです!入部したての私たちにたくさん話しかけてくださりありがとうございました☺卒業後もいろいろと気にかけてくださる先輩方がいて、すごく嬉しかったです。お世話になりました!

 

空じゃさん

1番お世話になった先輩方でした。スイレコにほとんど載っていない私を迎え入れてくれたこと、入部当初は女子が1人で気を遣わせてしまったこと、終始優しくしてくれたこと、感謝を述べ始めたら止まらないくらい、感謝しています。幹部代が終わっても、水泳だけでなく部の運営でも紺じゃに足りない部分を補い、チームを引っ張ってくださりありがとうございました。空じゃさんは老害と口にしていましたが、空じゃさんなしでは私たちの幹部代はうまくいっていなかったと思います。本当に助かりました。

 

赤じゃ

みんながどう思ってるかはわからないけど、私にとっては思い入れのある代です。気づいたら漢集団になっていたけど笑。副務として新歓で初めて会って、入部してくれて本当にありがとう。入部します!と決意してくれた時はすごく嬉しかったです。最初はメンバーの入れ替わりが激しかったけど、今の11人は互いに刺激し合って高めていく姿が印象的です。あとはみんな麻雀が好きなところかな。仲良しでいてくれてよかった~

そして、幹部代お疲れ様でした!任期が2年だった人もいると思うし、メニュー班も長い間ありがとう。感謝しています。ラストイヤーの1年は想像以上にあっという間です。後悔の残らないように、最後の最後まで諦めずに頑張って欲しいです🔥

(3月追記)あっという間にあと5ヶ月弱。1分1秒を惜しまずに水泳と向き合って下さい。私にとって自慢の後輩が晴れやかに引退できるように影ながら応援してます!

 

もちじゃ

最初の春四は9人だったのが今では18人…!!なんでこんなに集まったのと不思議に思うくらい大所帯の代になったね。遂に始まった新チーム。幹部代。人数が多いからこそ衝突も起きるとは思うけど、お互いの意見を聞いて、協力して乗り越えていってください!幹部代に勉強にバイトに忙しい1年になると思うけど、まだまだみんな伸びしろの塊だと思うので、あと2年精一杯楽しんでほしいです!

(3月追記)幹部代どうですか?試行錯誤しながら進んできていると思います。新入生を迎えたあとの新チーム、一丸となってシーズンを戦い抜いて欲しいです!みんなのために動きつつも、自分のことを大切にしてほしいです☺

 

黒じゃ

4年生になってなかなか練習に行けなくなったこともあって、少しだけしか関わることが出来なかったのが心残りです。だけど、大会のレースを見ると1年目とは思えないくらい活躍している姿を見て、ほんとうにすごいなと!みんながエースになれると思うから、お互いを高め合って、そして水泳部での生活を存分に楽しんで欲しいです!赤じゃ、もちじゃは自慢の後輩なので、その背中を追い越す勢いで追いかけてください!

(3月追記)4月からは新入生が入ってきで、先輩の立場になります。堅くならずに今のままの黒じゃで後輩を迎えてあげてください!1年間の練習の成果が今シーズンの大会で出せるように、頑張って欲しいです!

 

マネさん

萌美さんは私にとって唯一の女子の先輩でした。初めて会ったときどんなに嬉しかったか…!!どんなときも優しく接して下さり、マネとしての役割以上に支えて下さって本当に助かりました😭そして後輩マネず。毎日練習でタイムをとって読み上げて、グループにあげて…人によってはわざわざ清書してあげていることを聞いたときはびっくりしました。選手のために献身してくれて本当にありがとう。大会時も休みなくスプリット書いて、動画撮って、スプリットにはコメントも添えてくれて…なかなかベストを更新できなくてコメントを困らせてしまったのは申し訳ないです、、でも最後の全国公のスプリットは泣きました。いつもあたたかく支えてくれてありがとう!

(3月追記)マネずの成長が止まらなくてほんとにすごいな、と感心してます。みんな仕事できすぎ。できすぎちゃうからこそ、各々抱え込みすぎずに、マネずで支え合って、そして選手を支えてください。自慢のマネずです!!

 

紺じゃ

2人に伝えたいことはちゃーんと伝えたと思うけど、改めて伝えさせて下さい~

 

たいがくん

同じタイミングで入部してくれてありがとう。たいがくんが一緒に4年生までいてくれなかったら、私も心が折れてやめてたと思います。これマジ。そして、主将という役職は本当に大変だったと思うけど、引き受けてくれてそして1年間務めてくれたこと感謝してる!この代の主将はたいがくんが適任だったと私は思ってるよ。男子1人でさみしい思いをしてたかな?と思ったけど、3人でいてくれてありがとう!一緒に最後全国公に行けなかったのは悲しかったけど、そこまでの努力は近くで見ていて奮い立つものがあった!就職しても仲良くしてね~新天地で頑張れ💪

 

はるなちゃん

女子選手がいなくてずっとさみしかったから、入部してくれた時はすごく嬉しかった!入部してすぐにいろんな仕事を任せちゃったのは申し訳なかったけど、会計と渉外を兼務してくれてありがとう。勉強も忙しいはずなのにどっちもちゃんとやりきってくれて本当に助かったよ!水泳では女子のエース☺同期としてすごく誇らしいです。頼ることもたくさんあったけど、1番気兼ねなくくだらない話も、相談も、なんでも話せる存在でいてくれたことに感謝してるよ😭これからもとんぺー水泳部女子のこと、よろしくね!残り1年やりきれるように、ずっと応援してる!困ったらいつでも連絡してね👍

 

読んでいるか分からないけど、田中くんと山岸くんにも一言だけ。

一緒に活動したのは短かったけど、それでも同期としていられて嬉しかったです。あんなにジャージにこだわってた2人が先にいなくなっちゃったのはさみしかったけど(笑)ちゃんと愛用させてもらいました。また会えたらいいなー!

 

 

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最後に。学友会水泳部は引退しましたが、結局マスターズの大会に出たり、県大会で役員をしていると思うので、見かけることがあると思います。みんなあと2年弱仲良くしてね。ご飯も行ってくれると嬉しいです☺

 

ほんとうに幸せな3年半でした。あのとき水泳部に入ってほんとうによかった。

かけがえのない日々をありがとうございました。

 

私の大学水泳、水泳人生に携わって下さった全ての方々に感謝をこめて。

 

 

 

 

2024/04/03  前田あゆみ