1969   ドッペルゲンガー(決死圏SOS宇宙船) DOPPELGANGER (イギリスタイトル)  

JOURNEY to THE FAR SIDE of the SUN(アメリカタイトル)

 



この映画はジェリーが丁度古巣のパインウッドスタジオへ実写映画の監修を行うために行ったのがきっかけだった。このチャンスはルー・グレイドの弟であるレズリー・グレイトから依頼されたものでアーサー・へインズ主演の映画作品の監修として参加するといったものだったのだがジェリーの製作に関与して投資していたルーによって反対されてしまいこの話は頓挫させられてしまう。だが1969年、ユニバーサル映画のヨーロッパ部門をロンドンに設立するというジェイ・カンターがやって来るという新聞記事を見たジェリーはミーテイングし映画を作りたいという旨を伝えなおかつスタジオ所有の件や製作した作品がヒットした金の卵だとかの話は有利に働きカンターはジェリーに興味を持ったようである。そこでジェリーはそんな彼を納得させられる優れた脚本を作成することにした。そこで彼が思いついたのは(もし、太陽の反対側に別の惑星があって地球と全く同じ大きさ、スピードで軌道に乗っている惑星があったとしたら?)というアイデアだった。更にジェリーはこの話を膨らませて(地球のレプリカが存在する)設定に発展させた。つまりは鏡の惑星というアイデアである。だが、カンターはこのジェリーの第1脚本には興味をしめすことはなく却下されることになってしまった。そこでジェリーは友人である作家のドナルド・ジェームズに細かい部分を詰めてもらうように頼んだのだった。そして脚本は完成し再びカンターのところに持っていくと映画化する価値があると承認した。こうして製作は開始された。ある条件をつけて・・・。

その条件とは監督はカンターの方でセッテイングし決定するといったものだった。そしてカンターはボブ・バリッシュを選んだのだった。だが、この監督に決定させるまで10週間の間、ジェリーのほうでは待ちぼうけさせられてしまうこととなってしまった。何しろジェリーのほうでは決定権などなかったのだから。何はともあれ決定したわけだがこの後、このカンターのお墨付き監督によって悲惨な状況になろうとはジェリーも思わなかった。

まず、主役のグレンには「インベーダー」で強烈なロイ・シネスを起用した。次にグレンの妻であるシャロンにはアメリカ女優のゲイル・ハニカットを起用。しかし映画撮影当初に病気で降板してしまう。結局はロイの実際の妻であるリン・ローリングを起用した。続いてグレンの同僚ジョンには嘗て冒険映画のスターであるイアン・ヘンドリーを起用、又ジェリーは「The PLANE MAKERS」というドラマのファンでありこの作品の主役であったパトリック・ウィマークをジェイソンに起用した。そして従来の作品でのジェリー作品の常連であるジェレミー・ウィルキンやキース・アレクサンダー、後に「謎の円盤UFO」で主演するエド・ビショップやジョージ・シーウェルが起用されている。

問題はキャステイングが決定してから起こった。まずロイ・シネスがジェリーと議論したときに始まった。この議論が口論となってしまって怒ったロイが帰ろうとしたらドアには鍵がかかっていた。これにロイは苛立ちこともあろうに書類カバンを窓に思いっきり投げる事件が発生した。次にイアンが夜の撮影のときに酔っ払って撮影にかかり幸いこれは演技はうまくいったのだがよるよろとしか歩けない状態だった。(ちなみに後にこれが仇となってこれまでのキャリアは台無しとなってしまった・・・。)そして監督ロバートがジェリーと顔合わせしたくないことが判明してしまってジェリーが指示したカットを撮らない我が侭放題に撮影してしまう羽目に陥る。一方、この作品では大量かつ完成度の高い特撮シーンが要求されるのでデレク・メデイングスの指揮のもと、見事なミニチュアを駆使したロケットのシーンが撮影された。しかしこれも没にはならないにしてもかなりバリッシュとの編集のトラブルはあったようである。そしてこの後、センチュリー21にアーサー・プロヴィスが去って以来の人員刷新が起ころうとしていた。それはある日にラッシュを見たジェリーがバリッシュに撮りなおしを命じたのだが彼は適当な態度で答えてジェリーを苛立たせた。そこで社員のジョン・リードに助けを求めたものの決定権はバリッシュにあると逆らえない態度をとりジェリーを更に苛立たせた。そしてこの作品が終了した後、ジェリーはジョンを解雇したのだった。

さて映画は無事に製作が終わり1969年10月に公開されたのだが、残念ながらヒットせずに終わったのだった。思えばこの作品はストーリーが暗くしかもラストはアン・ハッピーエンドではない作品のために失敗したのだと思う。しかし、この作品の特撮シーンの完成度に関しては素晴らしい位のものでデレク・メデイングスの特撮の中ではトップクラスの出来映えである。それにしてもアンダーソン作品はテレビ作品はともかくとして映画では一度も成功した試しはないというのは・・・・(^_^;)またこの作品はアンダーソン作品では「サンダーバード」以来にメカがタイトルとなっている。

スタッフ

製作総指揮  ジェリー&シルヴィア・アンダーソン

製作補佐  アーネスト・ホールデイング

撮影  ジョン・リード

音楽  バリー・グレイ

美術監督  ボブ・ベル

特撮総監督  デレク・メデイングス

特撮監督  マイク・トリム

製作担当   ブライアン・バージェス

編集   レン・ワルター

録音編集  ジョン・ペヴェリル

録音監督  ケン・ラウキン、テッド・カーノン

デザイン  レッジ・ヒル

特撮小道具   ドン・ファゴン、センチュリー21プロッブ

デザイン助手  ジョン・コナー

カメラ操作  ゴドフレイ・ゴーダー

記録  ジョアン・デヴィーズ

プロダクション担当  ジュリー・レイトン・ホワイト

ロケーション担当  イヴォ・ナイテインゲール

編集助手  マーガレット・ミラー

美術助手  クリス・バーク、フィリップ・バウコンブ

メーキャップ  ジョフェリー・ロッドウェイ

ヘアデザイン  バーカラ・リチー

衣装  エルサ・フェネル、グロリア・バーネス

特撮(撮影)  ハリー・オークス

特撮(製作担当)  ノーマン・フォスター

模型製作  ピーター・アシュトン、レイ・ブラウン、トニー・デイ、アラン・シュブロック、ブライアン・スミシス

キャスト

ロイ・シネス、イアン・ヘンドリー、パトリック・ウィマーク、リン・ローリング、ロニー・ヴォン・フレッジ、

フランコ・デローサ、エド・ビショップ、フィリップ・マードック、ヴィラデック・シャイバル、ジョージ・シーウェル、ジョージ・マイケル、ハーバード・ロム、キース・アレクサンダー、ノーマ・ロナルド、サイ・グランド、ジェレミー・ウィルキン、バジル・モス、アンソニー・テイン、ニコラス・カートネイ、ジョン・ケリー、アネット・ケラー

公開日

1969年10月8日(木)

101分ユニバーサル、センチュリー21作品



 

 

 


第1シリーズの叙事詩的SF作品とは異なり第2シリーズになって「スペース1999」はよりアメリカ向けの作品に変貌した。
第2シリーズにはモンスターを登場させろとマンデルはジェリーに向けて言ったのだ。
これは完成したばかりの第2シリーズの3本をマンデルが見て思ったことだった。
これはアメリカのSF作品にモンスターを登場させれば視聴率が上がるといったジンクスからなのだが例えばこれはアンダーソン作品以外の代表的アメリカテレビプロデユーサー、アーウィン・アレンの「原子力潜水艦シービュー号」や「宇宙家族ロビンソン」等を見れば一目瞭然だろう。これらには作品エピソードの山場に必ずといっていいほどモンスターが登場し視聴率が上がっていた事情にもよるものだった。
それを汲んでジェリーはモンスターを製作する場面を追加し尚且つモンスターを造形するスタッフも集め脚本もまた書き直すことになってしまった。
だが、これも撮り越し苦労となる羽目になってしまう結果になってしまった。
と、いうのもマンデルの命令通りにモンスターの登場するエピソードを完成させたジェリーだったが、マンデルからは突然「何でモンスターを登場させるんだ!?」と逆に言われる始末だった。これにジェリーは当然反論した。しかし、マンデルの方も「そんな時代ではなくなったのだ」とモンスターの登場するエピソードをキャンセルする羽目になった。
しかし、この第2シリーズではモンスターの登場するシーンはほぼそのまま残っている。
こうしたごたごたからかこの第2シリーズではシルヴィアに続き第1シリーズで編集監督を務めていたジョニ-・バーンも2,3本の脚本を書いただけで現場から去った。
フライバーガーはアメリカンスタイルの作品の執筆を脚本家に依頼していたので今までの第1シリーズのような脚本では駄目だと没にしたからだった。
さて、こうした受難続きの第2シリーズだったがアメリカ向けに軌道修正した結果、アメリカではどうにかヒットした。
しかし、本国のイギリスではぱっとしない結果に終わった。
この第2シリーズの製作が終了したとき、ジェリーとそれまでのスポンサーであるATVとITCの蜜月の関係は終焉しこれを契機としてジェリーの人生は急速にステイタスの低下につながった。
1977年、長年のパートナーであるレッジ・ヒルもジェリーのもとから去りこうして確実に一つの時代は終わりを告げた。
やがて、「サンダーバード」を共同制作していた人間はジェリーの元から去り彼等は今やイギリスを代表する映像作家になっている。ブライアン・ジョンソンは「エイリアン2」や「スターウオ-ズ」、デレク・ メデイングスは「007」や「スーパーマン」の特撮監督になり1995年の「007・ゴールデン・アイ」まで現役で活躍、この「ゴールデン・アイ」が遺作になった・・・・。
更に撮影を担当したハリー・オークスは「エイリアン2」や「宇宙家族ロビンソン」のリメイク映画「ロスト・イン・スペース」でも活躍。既に去ったアラン・パティローは今でも現役で映画、テレビ作品の編集監督をしているしデヴィッド・レーンもまたこの「スペース1999」を最後にアンダーソン作品から去っている。そして彼は「新キャプテンスカーレット」で久々にアンダーソン作品を担当した。
さて、最後にこの作品の感想だが、放映当時は丁度「スターウオ-ズ」や「スタートレック」の映画版が次々と輸入されまた日本でも東宝の「惑星大戦争」や東映の「宇宙からのメッセージ」が公開されるという所謂SFブームの真っ最中だったのでその一環として日本でも放映されたのだが本放送では私はまだ幼稚園に入ったばかりの小さな時だったので見たという記憶はあるものの全く記憶がなかった(^_^;)また、この作品ではアンダーソン作品らしく特撮シーンは見事なもののやはり従来の作品ではあった作品の華といったイメージがこの作品では見事に欠如していて「ステイングレイ」や「サンダーバード」といったアンダーソン作品らしさがなくただ単に綺麗な特撮シーンとドラマにこだわり過ぎた「単なるSF作品」でしかなくなっている。
それでも1977年のブームの時はまだしもとして今見ると没個性的かつ地味な作品としか思えなかった。
作品のオリジナリテイーは確かにあるもののやはりその点が災いしたのだろうか。イーグル号のデザインもその当時ではフレーム剥き出しの斬新なデザインであったものの今ではこうした宇宙船がいくらでも登場し逆にアイデンテイテイーの喪失につながってしまったのは皮肉である。



エイブ・マンデルの命によってジェリーは自分のプロジェクトに関心のあるだろう見込みのある脚本家を探しに再びハリウッドに向かった。
だが、ピンとくる人材も会えずに今日も駄目でしたと一日が終わるたびにITCニューヨークに報告する毎日が続いた。
だが、やっとのことでジェリーはいい人材を見つけた。その人材の名はフレッド・フライバーガー。嘗て「スタートレック」の最終シーズンを製作した人物だ。
彼を見つけた日の夜、即座にマンデルに電話をかけそのことを彼に説明した。
するとマンデルは喜んだ。「スタートレック」はアメリカを代表する人気SFTVシリーズで現在もなお新作が作られるほどである。
そのシリーズのプロデユーサーがこの「スペース1999」に参加する。よりアメリカ向けの内容にし人気もより確実にするためにはまさにうっけつけの人材である。
しかし、それもつかの間マンデルは危惧した。何故ならジェリーの面識では「とってもいい人」の印象を持ったフライバーガーだったがスケジュールが何故か空いていたからである。
オファーが取れたのはいいが、空きの時期が多忙さが当たり前のこの業界で空いているという疑問が多少躊躇させたのである。
だが、彼を降板させて他の人材が来るのだろうか?それにもうその余裕もないほどに時間もない。
ジェリーは自分の判断でフライバーガーを新シリーズの脚本家として参加させた。
フライバーガーは製作総指揮の肩書きを欲しかったがジェリーはプロデユーサーの肩書きしか与えなかった。
バークマン教授を演じたバリー・モースも続けてこの第2シリーズへの参加をジェリーは希望していたが彼の代理人とギャラの交渉がうまくいかずに(つまりギャラが払えない為に)彼の出演希望は断念した。
今回のシリーズでは第1シリーズの抽象的なストーリーではなくより多くのアクションやアドベンチャーを盛り込んだストーリーに変更された。また、この第2シリーズでは久々にレッジ・ヒルも参加し(離婚したシルヴィアの穴を埋めるために)娯楽中心へと変更された。
更にルー・グレイトはバーグマン教授の代役としてバーバラ・ベインを助ける役割を担った新たな女性レギュラーが必要である決断を下した。
しかしその旨がバーバラにも通達されると新たなレギュラー出現に脅威を感じたという。そこでジェリーにも執拗に質問したりオーデイションにも参加したのだった。
そこで最終的には第1シリーズにもゲスト出演経験もある女優カトリ-ヌ・シェルが選ばれることとなった。
音楽もまた一新した。
今回はバリー・グレイは参加せず代りに「THE DAY AFTER TOMORROW」で音楽を担当し素晴らしい音楽にジェリーも満足したというデレク・ワッズワーズが続いて担当した。