CROSSROADS to CRIME(1960 日本未公開)
解説
「魔法の拳銃」の成功によって当然アンダーソンは配給先のグラナダテレビから次の企画が来ると思っていたが先方からは「もう契約しない」という予想外の返答によって愕然としていた。又、「魔法の拳銃」製作時にアンダーソンとアーサー・プロヴィスの間で会社の投資話でのトラブルもあった。それは会社を大きくしたいというアンダーソンとその話には消極的だったアーサーとの衝突である。結局、アーサーはAPFを辞職し「トウィズル」や「トーチー」の原作者ロベルタ・リーと組んで新会社「ワンダラマ・プロダクション」を設立し「スペース・パトロール(日本未公開)」などの作品を制作することになる。さて、アンダーソンのほうは実際の俳優を使った映画作りの夢は捨てきれずにいた。
又アンダーソンは人形映画の製作者と言われるのが嫌で元の同僚にもこのことは恥ずかしくて話せなかったともいう。さて、そんな彼にもいよいよ実写映画の製作のチャンスが舞い込んできた。それは「アマルガメイテッド」という一般的な人気イギリス映画の配給をしている会社だがここではそれと同時に低予算映画を大量に製作している会社でもある。では何故この会社が大量製作が可能だったのというとイギリス商務省の制度が国内で公開出来る映画の条件が「イギリスを舞台にした映画」か「イギリス国内で製作した映画」でなければならないというものだったのでこの会社はそれを利用して数多くの映画を製作してきたわけである。当然その制度だと本数にも不足が生じ当時新進気鋭のアンダーソンのプロダクションに依頼してきたのだ。アンダーソンはその話に素直に承諾し16250ポンドの予算で即座に合意したのだった。脚本はピーターセラーズ主演の映画「NEVER LET GO」の脚本家で知られているアルン・フアルコナーに依頼、これと同時に主演は以前アンダーソンが見た舞台「THE MOUSETRAP」の主演だったアンソニー・オリヴァーをキャステイングすることが出来た。又ジョージ・マーセルやミリアム・カーリンも決定しアンダーソン自らが念願の監督をすることになった。撮影は低予算のなか1960年の5月、6月の二回スロー団地撮影所とメイデン・ヘッドで行われた。こうして様々な俳優同士の数々のトラブルを乗り越え無事にこの年の11月に公開されることとなる。10月に試写会が催されここでの評判はアンダーソン入魂の初の映画監督作品にも関わらず「最悪だ」との烙印を押されてしまいアンダーソンは落胆してしまう。だが、映画雑誌ではまずまずの好評だったことで何とかアンダーソンはほっとするが興行成績は最悪という悲惨な結果に終わった。この時アンダーソンは初めて挫折感に襲われることとなった。以後彼は「謎の円盤UFO」まで監督せずにプロデユーサーとパイロット版(第1話)の脚本執筆に専念する。
スタッフ
製作 スチュアート・レヴィー、コーエン
脚本 アルン・ファルコナー
音楽 バリー・グレイ
撮影 ジョン・リード
美術 レッジ・ヒル
監督 ジェリー・アンダーソン
キャスト
警官ドン・ロス アンソニー・オリヴァー
ギャング団メンバーの一人ジョニー デヴィット・グレアム
ギャング団のボスダイヤモンド ジョージ・マーセル
ハイジャックの首謀、マイルス フェーデイ・メイン
カフェのオーナー、コニー ミリアム・カーリン
ストーリー
警官ドン・ロスは行きつけのカフェの裏でトラックハイジャック犯のギャング団に遭遇してしまう。逃げるギャング団にドンはギャング団の使用する車に張り付いて追跡をするが猛スピードで逃走する車にドンは振り落とされ気絶してしまった。やがて彼はギャング団のボスであるダイアモンドによって助けられドンは無事に自宅まで送られた。なお彼の妻には失神したと伝えドンは目を醒ますとダイアモンドから口止め料として50ポンドを渡されそれを受け取ってしまう。しかしドンの目的は味方になったと見せかけギャング団に潜入し、タバコ窃盗組織の悪事を暴くことだったのだ・・・・。
ドンはギャング団が二万ポンド相当のニッケルの塊を盗んだ現場を押さえて摘発するがそれを知ったダイヤモンドから殺すと脅迫されてしまう。その瞬間、ギャング団のメンバーのジョニーが銃を放つ。然し、倒れ落ちたのはドンではなくダイヤモンドだった。実はジョニーも囮警官だったのだ。
(この作品に関して未見で日本未公開である上、資料も不足の為、現時点で判明したことを執筆した。筒美)モノクロ57分