今日はとても暑い日です。
1週間位、とても涼しくて過ごしやすかったのに、真夏日に戻ってしまいました。
久しぶりにエアコンを入れて過ごしています。
半袖のTシャツを全部片づけなくてよかったぁ~
お天気がいいのも明日までで、来週からお天気があまりよくないようです。
今回は、川越城の写真です
川越八幡宮から小江戸・蔵里さんで、川越城の御城印と軽いお菓子を購入して
バス通りの川越街道まで歩いて、川越城方面に行くバスが見つからなかったので
タクシーを呼んで川越城まで移動しました。
川越城(別名:初雁城)
本丸御殿の玄関は当時のまま現存しています。
平屋で横に長ーい建物だけが残っているので、撮影したら小さく写ってしまいました。
誰もいないように見えますが、敷地がとても広いので
観光地・川越のお城なので、YOUちゃんがあちらこちらに観光に来ていました。
川越城本丸御殿の石碑
本丸御殿は川越城を代表する建物です。松平信綱が城主を務めていた頃
将軍家光をもてなす御成(おなり)御殿として建てられたと考えられています。
なお「江戸図屏風」によれば、城内の最も奥に建てられたとされています。
家光以降は使用されることもなかったために取り壊され
跡地は空き地のままになっていました。(川越観光所・城TripのHPより)
川越城の塀の一部
石碑を撮影して、入館料を支払って中に入ることにしました。
日本百名城のスタンプを押すのを忘れてしまいました
松本城でも押し忘れて、川越城でも押し忘れて・・・同じ過ちを繰り返しちゃったよぉ
庭園の一部
大棟南側にあった鬼瓦
横に長い建物なので、廊下もとても長いです。
空から見た川越城跡
川越城の隣は、川越高校なので、校庭でサッカーをしている学生さんの声が聞こえていました。
1846(弘化3)年に藩主が生活の場だった二の丸が焼失したことを機に
当時の藩主・松平斉典(なりつね)は本丸御殿の再建を行います。
新たに建てられた御殿は、現在の8倍の広さである約3,400㎡、建物数も16棟を誇っていました。
明治時代以降に城の建物が解体される中、本丸御殿も徐々に縮小されました。
入間県庁・入間郡役所などの庁舎として使われたほか
地元の中学校の運動場(体育館)として使われたこともあります。
現在は一部のみが残されており、往時の姿を伝えるものは玄関・大広間・家老詰所のみです。
特に大広間が残っている建物が少ないため、国内では大変貴重で
埼玉県の重要文化財にも指定されています。
(川越観光・城TripのHPより)
中ノ口
正面玄関に比べて間口2間半の一回り小さな規模の玄関だそうです。
正面の壁の柱は、玄関からの見た目を整える装飾で「半柱」と呼ばれ
屋根の重さがかかっていないそうです。
外から見た中ノ口玄関は後ほど掲載します。
家老詰所
家老詰所は川越藩に仕えた家老たちの居室として使われた建物で
現在では本丸御殿の北側に保存されています。(HPより)
家老詰所への廊下跡
家老詰所の屋根
細かい瓦がとても綺麗なので撮影しちゃいました
詰所を覗いていたら、家老3人が藩政について相談している様子が再現されていて
あまりにもリアル過ぎて驚いてしまいました
砲台の説明があったので、どこに砲台を置こうかとか話し合っていたのかも
私の後にやってきたYOUちゃんが「ワオッ!」って驚いていました。
私も、思わず覗いてごめんなさいって言いそうになったくらいですから
詰所から見た庭園
枯山水庭園っぽいかんじが素敵でした
屋根の家紋
結城松平家の家紋「左三つ巴」と徳川家の「三つ葉葵」
展示物もいろいろあって、お城好きなのでワクワクしながら見学しました。
まだ続きます。
次回は、現存している大広間や広間の襖絵、甲冑などを掲載します。
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