この記事も神社参りやお墓参り関連の開運法の記事になります。

 

今回のテーマは、

 

「 家の近くの氏神様の神社に毎月1~2回ぐらいお参りに行く人はお賽銭は

  いくらぐらい入れたら良いのだろうか? 」

 

というテーマでお話を進めていくことにいたします。

 

このテーマについて私の考え方を記事にして書いていこうと思います。

 

 

 

実際は氏神様の神社のお参りの仕方にもいろいろな方法がありまして

 

「 自分の願望をかなえるための参拝法 」などもあるのですが、

 

そうなると参拝の作法もお賽銭の金額も変わってくるのですけど、

 

そういったことについては後日に別の記事にあらためて書くことにいたします。

 

 

 

それでは今回の本題の内容となります

 

家の近くの氏神様の神社に毎月1~2回お参りに行く場合の

 

1回のお参りのお賽銭の金額についてなのですが、

 

私の考えでは、「 100円 」ぐらいでいいのではないかと思います。

 

1ヶ月で100円~200円ぐらいなので、

 

それぐらいは出した方が良いと思います。

 

 

 

この金額を言うと人によっては「 神社のお賽銭に100円も入れるの! 」 と

 

驚かれている方もおられるかと思いますが

 

私も昔は神社のお賽銭は10円ぐらいしか入れてなかった人間なので、

 

これを読んで驚いている人の気持ちがわかります。

 

しかも、毎月のことですからさらに気持ち的に抵抗があると思います。

 

 

 

ですが家の近くの氏神様の神社という存在(場所)を大事に思う方は

 

もちろんのことなのですが

 

自宅の近くの神社の氏神様からしっかりとした

 

「自分や家族を守ってくださっている力」をいただきたいのであれば、

 

神社の神様にある程度は具体的な誠意(御礼)は示した方が良いです。

 

 

 

 

ここからは記事の内容が専門的になっていきますが

 

これから説明することはどうしても

 

今回の記事の内容にとても関係があることなのでしっかりと書いていきます

 

 

神社やお寺に「お賽銭」を支払う行為である

 

「供犠(くぎ)」(お供えもののこと)について説明しておきたいと思います。

 

 

 

私も自分が開運法とか、占いとか、神仏に祈願する、などの行為について

 

ある程度の知識や情報を得るまでは、

 

「 目に見えないものにお金を支払う 」、とか、

 

「 具体的には見返りが無いようなものに自分の労力を提供する 」 とか、

 

「 具体的には見返りが無いようなものに価値のあるものを提供する 」 とか、

 

それらのおこないの意味や重要性がまったく理解できなかったのです。

 

 

この神様や仏様に「 お供え 」をしたり、お賽銭を支払うと言った

 

ぱっと見たときに見返りが全然無いように見えるけど

 

昔からおこなわれている行為のことを供犠(くぎ)と言います。

 

神社やお寺にお賽銭とか祈祷料、祈願料を支払う行為はすべて供犠なのです。

 

 

 

 

ここでお話の内容が少し変わりますが、大事なことなので併せて書いていきます

 

ここでは供犠と詐欺の違いについて説明いたします。

 

 

上に書きましたこの「 目に見えないものにお金を支払う 」 という言葉は

 

現代ではとても問題を含んでいる危険な言葉になってしまっておりまして

 

言葉の使い方はもちろんですが

 

使っている場所とか使っている状況とかどういう人や団体が使っているのかを

 

よく見極めなければならない危険な言葉でもあるのです。

 

 

 

 

どうしてかというと社会で取り締まられている犯罪者も同じ言葉を使って

 

人を騙す時に同じように使う言葉でもあるからです。

 

例えば詐欺師とか、

 

おかしな宗教団体とか、

 

危険なカルト集団とか

 

あやしいスピリチュアル系の人とかが、

 

よく使う言葉もこの「目に見えないものにお金を支払う」でもあるのです。

 

 

この行為はある時期にメディアや報道で大きく取り上げられて

 

社会で大きな事件を引き起こし大問題になりました。

 

とある宗教団体が所属する信者の人達に寄付を強要した事件がありました

 

一般社会の常識的な限度を超えるような高額な金額の寄付を強要して

 

その信者の人達やその家族の人生を破壊したとされるのも

 

これと同じなのです。

 

 

信仰心のあつい人達の気持ちを利用してそこにつけ込んで

 

寄付金を搾り取る手口は歴史的にも地域的にも日本に限らず

 

遠い昔から世界中でおこなわれてきました。

 

新約聖書を読むと二千年前からそういう問題があったのだと知る事ができます。

 

 

 

それから、「具体的には見返りの無いものに自分の労力を提供する」 という

 

言葉も、他の単語をいくつか入れ変えて上手に言葉をキレイに飾ると

 

「 日本社会でブラック企業と認定されるような会社が

 

  退職も認めないで酷使している社員に対して使っている言葉 」

 

と同じになるのです。

 

 

 

ですので「 目に見えないものにお金を支払う 」という言葉や

 

「具体的には見返りの無いものに自分の労力を提供する」という言葉や

 

「具体的には見返りが無いようなものに価値のあるものを提供する」

 

という言葉は使う人や使われている状況次第では

 

ものすごく危険な言葉でもあるのです。

 

そういう危険な意味を含む言葉であり、

 

そういう危険な価値観を含む言葉でもあるのだということを強く意識して

 

この言葉の意味を覚えておいてほしいのです。

 

 

 

このような前提があるので、

 

安易にこういった言葉を使うのは問題があるですが、

 

開運法を真面目に真剣に理解していただく場合には、

 

この問題は避けて通れない問題ですのであえて詳しく書いていきます。

 

 

自分が信じている神様や仏様にお賽銭や祈願料や祈祷料を

 

支払う時に自分がなんのためにその金額を出すのか

 

その金額は適正なのかよく自分で考えてから支払うようにして下さい。

 

誰かに強要されて出すのであればそれは詐欺なのかもしれません。

 

自分の頭で考えなければなりません。

 

 

 

 

ここで記事の内容を供犠の話の戻します

 

このようなわけで神社とかお寺とかで神仏に対してお賽銭を出すのは、

 

「 供犠(くぎ) 」と言って、「 お供え物の代わり 」なのです。

 

お供え物(おそなえもの)【供犠】をして、

 

そのうえで祈ったり願ったりするから、

 

願いが叶ったり、開運することがある、という仕組みがあります。

 

 

 

 

遥か昔の古代の時代からこの仕組みは続いております、

 

現在の日本でも世界のどこかの国であってもこの仕組みは変わりません。

 

お供え物を神様や仏様などに捧げてその見返りの御利益として

 

自分の願い事や祈りを聞き届けて叶えていただくという仕組みです。

 

 

現代の日本では簡単にお願いする場合は、

 

お賽銭箱にお賽銭を入れるという形になります。

 

 

神社やお寺で正式にお祈りやお願いをする場合は、

 

祈祷料、祈願料、お布施、という名目で

 

それなりの金額を社務所や寺務所で支払って供犠となるものを出して、

 

そして宮司さんや、神主さん、住職さん、僧侶の方、に、

 

祈祷(きとう)、祈願(きがん)、供養(くよう)、回向(えこう)、などをしていただく、

 

という形になっています。

 

 

社会で一般的に冠婚葬祭といわれている葬式や法事とか、

 

結婚式や初宮参りや七五三参り、も神社やお寺に儀式をお願いして

 

それをおこなってもらうためにお金を支払えばそれは供犠なのです。

 

 

 

というわけで神社とかお寺で何かを祈ったり願ったりするときは

 

このお供え物である供犠をおこなうようにします

 

供犠をおこなわないとその願いは叶わないのが普通です

 

神仏への祈願にはそういう仕組みがありますので、

 

これは覚えておいた方がいいとおもいます。

 

 

 

運命的に叶えることができないと決まっているお願い事などの場合は

 

神仏に祈ってもどうしても叶わないのですが、

 

その場合は神仏に差し出した供犠はそれに等しい分の

 

なんらかの形の見返りで必ず返ってくると言われています。

 

 

それは何らかの幸運とか利益とか利得の形になります

 

それは人によって返ってくるものが違うのですが

 

一番多いのは健康状態が良くなる事や身体状態の改善が多いです

 

わかりやすく言うと健康になって元気になる事が多いです。

 

あるいは家族の健康状態が良くなる場合もあります

 

 

健康な生まれの人達は健康状態になんの問題もないのは当たり前みたいに

 

思われている方が案外多いですが

 

一度でも健康状態を悪くしてその状態が一定期間続いたことがある人は

 

それのありがたさが理解できやすいと思いますが

 

健康状態になんの問題も無い、心身に不調がまったく無いというのは

 

それだけでかなり幸運な状態だと言えると思います。

 

自分の願いが叶わなかった場合の供犠の結果はそういう形になる事もあります。

 


 

 

それから神社やお寺に何も願い事はないけど

 

神社やお寺にどうしても縁ができる人もいるかと思います。

 

 

そういった方で神仏に何も祈らないし何も願わないのであれば

 

お賽銭を支払う必要はないと思います。

 

 

例えば、自宅のすぐ近くに氏神様の神社があって、

 

最寄り駅や最寄りの商店街に行く途中にその神社の中の道を通るとか、

 

お寺の境内を横切ると近道になっていて近所の方達もみなさんが

 

そこを生活道路のように使っていて自分も使っている場合などです。

 

ただ普通にそこを通る時に挨拶として

 

「 いつも本殿の前で立ち止まり一礼して手を合わせるのが日課です 」

 

なんていうぐらいの人はただの挨拶だからお賽銭はいいと思います。

 

 

 

 

とここまでいろいろと説明をして参りましたが、

 

神社やお寺で神仏に対してしっかりとしたご挨拶をするのであれば

 

1ヶ月に1~2回の月参りのご挨拶をするときは、

 

一回のお参りにつき100円ぐらいは出した方がいいと思います。

 

 

 

週1回参拝している人は、一回につき50円でいいと思います。

 

週2回参拝している人は、一回につき20円でいいと思います。

 

週3回以上参拝している人は、一回につき10円でいいと思います。

 

 

 

 

現実の問題として、

 

神社やお寺の維持と管理をしていかなければならないという問題があります。

 

神社やお寺を維持していくのも、経年変化と劣化に対して修繕していくのも、

 

すべてに対して現実的にお金や費用が必要なのです。

 

神社やお寺を管理して下さっている方達の人件費も必要です。

 

そういった必要な費用に参拝者のお賽銭が使われていくと思います。

 

 

 

 

そのような意味からも、

 

私は神社やお寺にご挨拶やお願いやお祈りをする方達は

 

積極的にお賽銭を支払った方が良いと思っています。

 

家の近くの氏神様の神社という場所を大事に大切に思っていて

 

その神社の神様からの「 自分や家族を守ってくださっている力 」を求めて

 

毎月のお参りをされている方ならば、

 

神社の神様に対して自分の誠意を行動で示すのは当然ではないかと思います。

 

 

この記事はここで終わりです、

 

ここまで読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

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