人生の折り返しは、過ぎた私ニコニコ
母の日を過ぎて、気がついた事がある


私の感覚の記億を、マイブログに



おねがい何かと言うと


思いやりと言う言葉が持つ意味みたいなもの
「 思いやり」
よく使う言葉だし、よく使われる言葉だと思う




母の日を過ぎて感じたこと


母の娘として、この世に生まれてからというもの
私は、多分 どちらかと言うと
ずっと心配な娘 だったと思うんだ


突飛な事をする訳ではない
逆に、超がつくぐらいどんくさい


小さな頃と、カタチは変われど
それは、私が成長してからもずっと

そして、私も母になり
子育ての過程 途中
あの経験があって良かったとは思えるけど
もう二度と繰り返したくはない

だけど、今の私なら
もう少し、違う視点を持ち
あの頃よりは、上手く
我が子を育てられるな



母親としては、未熟のまま
とにかく我が子として
生まれて来てくれた子を
ひたすら育てた という感じ



こんな私に、障がいを
先天的に持つ子を授かった

私は、子育ての大半
前向きにはなれなかった

ただ悩み 右往左往して
時に感情的になり
時に、この世の終わりみたい事言い


なんで、私ばっかり
こんなにやってるのに
何かあれば、全部 私のセイ
全部 私がわるい







ことあるごとに、
特別支援の先生方に、言われた言葉がある

「 親は子の鏡です」
特に、障がい児教育は母親が要になる


分かった やってる
だから、全部 私が悪いんだよね
だから、頑張ってる
だけど、思うように育たない

それを、母にぐちる
とにかく黙っておくと言う事ができない

それで、泣く
泣き喚く

時にじゃなくて、毎日泣いて電話する

お母さんにしか、言えないんだからっ

を、言葉の武器みたいに使い

毎日、泣いてる
泣かない日の方が、逆に少ない

常に、母に心配をさせる娘であったことは
間違いではない




今 人生の折り返しは過ぎた
それ相応に、毎日生きてる

もう 今はあの頃より少しは違って
そして、強くはなれたけど



年齢的にも、
還暦おねがいハートなどというものと呼ぶ
年齢に、片足もうはつっこんでいる



私は、自分を若いとは思ってはいないけど
若い子と話す時は、
自分のことを、「 おばさん」と言うけど
実は、えー自分のことを、
おばさんだなんて、一ミリ足りとも
思ってはいない


少女思考はないが、乙女思考おねがいピンクハートおねがい
これは、永遠に変わらないと思っているけど
リアルは、バリバリ現実思考で生きてる


私だけは、女の子とおばさんに変わる
境界線はない凝視ハート


強いていえば
私は、可愛い女の子おねがいピンクハートおねがい
だと、普通に思っている





だから、私が執筆途中の物語はおねがい
本当の私が持つ、本質のカタチの表れ
これが、私の持つザ 真の本質


早く見直し修正終わりたいけど
なかなか進まない

この本質は、母は
知らない訳ではないけど、真には知らない

肝心なことは、母にもあまり知られたくない
私だけの秘密

自分の言葉を、自分で言葉にする
自己表現の世界

そんな世界を、今は持つことから
私の中にある余裕が広がりを見せた


あれは、夢 一つ置いた世界









夢から現実に




一つ戻れば








夢以外は、全て現実




現実のことは、
逆に赤の他人にはあまり話せない


だから、愚痴るのも
文句言うのも、影口言わないと
やってられない時も、人間だからある
誰かの陰口を言うのも
それこそ、赤の他人には言えないから
母に言うしかない



それは、今も変わらない

何かあると、すぐに

「 お母さん どうしよう不安

すぐに、母に電話かけて

「 お母さん」
母が、聞けば心配になるようなことを言う



母に、いつも心配をかける

その繰り返しに、
時に、話を聞くのもイヤになってる
母相手に逆ギレまでする

「 私のこと 誰も分かってくれない」


毎日 毎日 
それが、解決するまで、
同じ事を繰り返し言う


そして、娘として勝手なのが、ここ

解決したら、それはそれで
すっかり忘れて、母に報告せず

「 そういえば、あれ どうなった?」

あんなに騒いでたんだから
大丈夫になったら、きちんと報告しなさい



はい凝視






ただ、最近は
そんなこともなく生きてたけど


つい、2日前もそんなことがあった

私は、凝視自分で言うけど根は真面目

だけど、知識がない事だと
知らないがゆえに、ミスをする
それを、してはいけない場面でしてしまった

母に話しても解決することではない

だけど、「 お母さん どうしよう」
この2日ぐらい、寝れるけど
頭の中は、常にグルグルそれを考えている


「 お母さん どうしよう」

今朝も、出勤途中の車で
母に電話をして、言おうと思った





だけど、たまたま
有名ブロガーのお母様のブログに
思いやりのある娘 みたいな題名の記事ニコニコ

ふと、おすすめに上がってたのを見た


見たら、娘さんのブログには
買い物する時間がなくて、
たまたま三本セットのカーネーションを
ご主人が、買ってくれてあるうちの
一本を持って行ったら、
それでもお母さん喜んでくれたニコニコみたいなこと
書いてあったけど




お母様のブログは
お婿さんが、私の分まで
一本花を用意してくれてうれしいニコニコ
満面の笑み


・・凝視
なんか 母と娘
話が、クイ違ってんなぁ凝視
お二方 ブロガーなんだから

花より団子で、
美味しい食事が娘さんの気持ちなのに

裏で話合わせないと、また突っ込まれるのに・・
だなんて、他人様ごとながら思いながら


「 仕事 行かなきゃ」



五十を過ぎた娘凝視
私のお母さんに、
ヒマさえ、あれば電話をかける


出勤前
退勤後は、今も変わらず必ず
Bluetooth対応にして
お母さんにもしもしタイム



お母さんに、電話しよ・・


「 お母さん どうしよう
  私 大丈夫かな?」

言っても、変わらないけど
言うだけラクになるから
朝から、心配事の話をしようした瞬間



ふと頭の中に感じた言葉


生まれてから、死ぬまで
母に心配させ続けるのか?

心配をさせる
これに、足りぬのが思いやり
思いが、足りぬ行為は思いがヤリになる


ふと感じる言葉

私の神様の言葉だと思うようにしている




ふと自分の中に感じた言葉を
メモれないから、頭でリピート



娘として、私
当たり前のように
母にずっと心配させていたなぁ


心配させるのが、当たり前の娘
ましてや、中学生でも高校生でも
私は、もうない


ふと、気づいたんだ


わたし、もしかしたら
母が死ぬまで心配させ続けるのだろうか?


それでも、あの頃より年老いてる母


4.5年前までは、
私の運転の方が、イライラすると
母が迎えに来て、母が運転して
高速でも、なんでも使い
ランチしても、
ご飯にしても、当たり前のように
母が払ってくれていた


だけど、最近は違う

夜になると、目が見えにくく
車の運転が怖いと言う

それに、引き換えるように
今は、娘である私が運転
今さらだけど、今は母との食事代と
買い物代ぐらいは
全て払うようにしている


親孝行を、考えた時
まだ動けるうちに、
美味しいものを食べて幸せと
思ってもらう

あとは、一年に一度
行けたらいいなの旅行
十年したら、母はゆうに80歳を超えてる


最近は、あまり心配はかけてなかった
だけど、何かあると
すぐに、お母さんに「 どうしよう不安






それで、思った

自分の内なる感覚からの言葉


その存在を、私は自分を守ってくださる
神さまだと思うようにしているけど



その神さまは 弥勒様だと
それは知っていたけど

この感覚を感じた瞬間変わった
数字を見て、





改めて、分かったけど





母に心配をかけること
私に思いやりが足りないから


思いやり

思いヤリ

思い槍


思いが、突き刺すヤリになる

自分に、置き変えたら分かる
何か心配なことがあると、
その心配な思いが、胸に突き刺さって
そこに、何かが引っかかって
ずっと心にある

その心配事がとれると
突き刺さっていたものが、すっと抜けて

あー よかった


心底 ほっとする


思いやり と言う言葉の意味
思いはヤリにもなる
この意味が、、この言葉の裏にあるなら


思いやり
この言葉の意味 
感覚では、もちろん分かるんだけど


この言葉の意味
そういえば 昔から感じていたんだ

思いやりって、言葉だけで見ると
どういう意味で
何をしたら、思いやりある行動になるのか?


だから、普段拝見はしてない


私から見ても
時に、はちゃめちゃに見える

他所のコインランドリーで
それも、ホテルで
吐き戻し お漏らしの洗濯は
したら、これはマジでいかんでしょー凝視


例え、洗濯機でも
前の人が、嘔吐やら下痢とかしたかも?
コインランドリー使うのも
心配で怖くなる驚き


だったら、オムツはとれていても
お出かけ先だけは、
トレーニングパンツを履かせる
体調不慮であれば、最初から行かない

自分達さえよければ、他人はどうなってもいい
これは、思いやりに欠ける行動の一つ

それを、悪びれず発信する

それは、凝視知らないから


お母さん 娘さん分かってないなら
ちゃんと教えてあげないと
だから、気になってつい見ちゃう有名ブロガーの
たまたま思いやりという言葉に引っかかり拝見した、お母様のブログ

これも、気づきのヒントかな


だけど、娘さん
人の心に、引っかかることをわざと書く
これも、全て閲覧数獲得の裏技だと
心得てることなのかな?
だとしたら? ちょっと怖いかも
ふと思ったこと






思いやり
相手を思いやる気持ちなのは、分かる


だけど、何かの言葉の意味として
よく使われる言葉じゃないかな?

逆に、意味側で使われる言葉

例えば 夫婦円満
お互いを、思いやり愛しむ相手

何かの言葉の意味として使われる言葉で、

思いやり この言葉の単体の意味
漠然と考えると、正直よく分からないな

昔から、漠然と考えてただけ
深くは考えない
ただ、ふと思うだけ


それに、私なりに答えを見つけたんだ

気づいた という感じ


気づいた事が、分かった時
私に足りないもの、 思いやりだったんだな


あるつもり凝視だっただけで、なかったんだな
私 思いやりが


私が、見つけた思いやりの意味

それは、まず何かをする前に
心配をかけないこと

心配とは、常に心に何か刺さってる感覚になる

心配な事があると、仕事してても
頭の中は、その事しか考えてない
思いが、ヤリになるんだ




私は、生まれてくる前から
予定日を過ぎて、過期産ギリギリのお産
生まれてくる前から、心配させた娘


生まれてから、死ぬまで
やはり、順番で言えば、母が先に逝く

人生何が起きるかは、分からないけど
そうでないと、いけない




だとしたら、母が死ぬまで
娘である私を心配させては、
もうこれ以上はいけない


生まれてから、死ぬまで心配させ続ける
娘で、これ以上はもうあってはいけない



それに、私が気づく為に起きたことならば、
騒ぐだけ、騒いで
結局 何もないのが私なのは
やはり、肝心なことは守られているから


この感覚を信じる





私も母として、考えると
我が子に何かしてもらいたいとは思わない

だけど、我が子に何かあれば心配する

それが、命に関わるような事であれば
想像を絶する






もちろん、優しくしてくれたらうれしいし
優しい言葉を向けられても
凝視・・ リアル涙まではでない


お母さん ありがとう

直筆のお手紙なんかもらったら
逆に怖くなる

イヤ どうした?
いなくならないよね? 大丈夫?



それか、絶対に、この子 
何か欲しいのね・・ウラがあるわ
逆に疑う



だけど、本当に何かあればやはり心配になる

何か、あって会社に行けないなんてなれば
親として、どうしたらいいか分からなくなる


だからかな

心に止まった言葉





それでも、頑張ってる我が子達に

母の日に、この言葉を、送りたくなった



マジ えらいよ マジで



あなた達のお母さんになれたのは
母の娘として、生まれてきたから


母が、幸い早期で脳梗塞が見つかった時

母は、冷静に説明を聞く傍で、
娘の私が、泣き喚いて
看護師さんを、逆に心配させた

後から、笑い話になったらしい
娘さん、落ち着かせる方が大変だったわ



私も年を重ねる分、母も年をとる
今のままだと、母が逝く瞬間なんて
私は、パニックになるかもしれない


そうすると、死ぬまで心配させ続ける娘になる
それを、もうしたらいけない


母とは、過去の生で繋がりがあるから
その因果をとる一つ

「死ぬまで、心配させ続けたらいけない」



これに、昨日まで気づかなかった

その為に、私が気づくことになったきっかけ
思いやりなる言葉




思いやりとは?

私自身が持つ意味は、
大切な人を、心配させないこと

大切な人を心配させないと言うのは、
その裏に、安全意識なる行動が伴うもの

身体の健康であったり
経済的自立であったり

それが、引いては
大切な人への思いやりになる


そんなことに、気づけたのは
やはり、あんなことがあったから

逆に、アレがなければ気づけなかった事


私の場合は、
自分が無意識にしでかしてしまったという事に
大事になる前に、まだ気づいたこと


それを、神の采配とかお手配とか
お試し というのかな?
思いました


今までの人生


それで、気づけたことは
それ以上 大きなことには成らず


母の日を過ぎて感じた事






母の日に、お母さんと見た夕陽

よく考えたら、陽が沈むのを
母 娘 二人で見たのは初めて




















初めて?


もしかしたら、日が沈む瞬間を

二人で、立ち止まり見る

最後かもしれない



いつか、必ず

お母さんとあの日 夕陽を見たな
懐かしく思い出す日が、必ず来る

その時は、母はいない時
考えただけで、涙が溢れてくる


孝行したい時に親はなし


そうならない為に、
やはり少しでも、これからの人生
親孝行を




ありがとう お母さん


私を産んでくれて

心から感謝しています



そして、あなたがこの世から去り行く日


この娘を産んで、私は幸せだった



そう、心から思ってもらえて

幸せだったと、安心して目を閉じる

その眼差しの最後に映るのは、

娘である私でありたい



人間は、生まれた以上

いつか必ず亡くなる

私も、そしてあなたも


だから、これからの人生

母に心配をかけない生き方をしよう


小さく心の中で、誓った



この事に気づけたのは、

やはり、あの事があったから


人間って、自分にとっていい事より

わるいことの方が、気がつける

まだまだ、それは人として未熟な証拠



大難は小難に

小難は無難に



人は、潔くは死ねないもの


だからこそ、一日でも長く健康でいてほしい

声を聞くだけでも、安心する母

娘である私の大切な母への切なる願いです