米津さんの向日葵の世界から
私が感じたこと
生きる意味があるなら
死ぬ意味もある
こんにちは ベイビー
私が,この世に生まれてきた意味を
考えたりすることはあるけれど
私が,この世から死んでいなくなる時の
意味まで考えた事はない
死んでしまった後の事は考えても
自分が死ぬ意味までは考えない
自分がこの世に生まれてきた意味
誰かに促され
生まれてきた意味や使命を
クローズアップして
考える事も大切だけど
私も,それなりには考えたけど
生きているうちに
自分が死ぬ意味を考えておく事も
大切な事ではないだろうか?
"まだ死んでないから分からない"
答えなんか,絶対に見つからない事を
それでも 考える意味?
死生観
死から生きる意味を考える
米津さんが,ラジオで言ってた
言葉は違うかもしれないけど
死から逆算することで
自分が,なぜ生きるかを深掘りする
明日も生きる為に
自分が死ぬ意味を今日考える
だけど それが出来る
何かに切迫詰まってない
思考が正常な時しか多分ムリ
人間は生きることに夢を見ても
生まれ変わった後を,夢見ても
夢は夢でも
幸せに死にたいと思っても
自分が死ぬ事に夢までは持たない
だけど,人が最後の最後
本当に頑張る時って?
ふと思った
それは,死ぬ時なのかもしれない
人間が生きる一番最後
死ぬ間際
今まで生きた人生の頑張りなんか
全て 吹っ飛ぶぐらい
もしかしたら一番頑張るのって
自分が死ぬって時なのかもしれない
生まれて来るのも大変だけど
死ぬ方がもっと大変なのかもしれない
カタチは違えど
例え,意識なんかなくても
どれだけ意識がなくても
どれだけ意識がなくなりそうでも
だけど
感覚が麻痺してた場合だけは別
これだけは別
薬により意識がないのと,
自らの思考により、感覚が麻痺したのとは違う
死ぬ事に、夢なんか見れない人間が
自分が自分でいれる最後の時
最後に頑張る
その意識
「 生きたい」ではなく
「死にたくない」と最後思う
「まだ 死にたくない」って
最後まで、頑張るのが
人間の思考なのではないか?
それはなぜか?
生と死
人間だけが,生きている時に
死とは,何かを理解しているから
死が、分かるのは、
人間の言葉が分かる哺乳類以上
死が、何かを理解出来るのは
その言葉を話すことができる
人間だけ
やはり人間だけなんだ
だから 「死にたくない」と
最後、思うのが人間なのではないかな
その思考の先にあるもの?
人間の思考の先を分けるもの?
「ここから先は神の領域」
小林正観さんの著書の中の言葉
人間は神ではない
人間は,神とお友達ではない
人間は,神と肩を並べるものではない
神は神
人は人
上にも下にも神様はいる
空にも大地にも神様はいる
だから,間の人と書くのが人間
日本語は,神の世界からは
逆に読むように、なぜか出来てる
代表的な言葉が
人間
言葉にカラクリがあるのも日本語
「ここから先は神の領域」
これは、人間として生きる
立ち位置を間違えてはいけない
そして,履き違えてはいけない
時々いるんだ
神様と人間の二足の草鞋を履いてるつもりの人
神様に呼ばれた
ツレ感覚の人
なぜ スピリチュアルに長けているはずの人が
これに気づかない?
いつも 不思議に思う
履き違えてはいけない
「 ここから先は神の領域」
私が,感銘を受けて
最も影響を受けた
小林正観さんの著書の中の言葉
ならば,人の命を最後に分けるのは?
やはり神なのかもしれない
人として究極の平等は生と死だけ
その中にあるのが
矛盾や理不尽
不条理
究極以外は平等でもない
今から書く事は,以前感じた事
これを,改めて書いていいか悩んだ
一概ではないから
一重でもないから
私が見える事は
自分の心の中で感じるピースと
あてはまるだけで
世の中全てに当てはまるものではないから
そんなことを感じながら
ふいに、外をを見たら
飛行機雲が,境界線なる狭間に見えた
その狭間にかかる雲
この雲だけ 飛行機雲が消える前に
狭間を超えた
風の向き一つ
紙一重で
この雲は、飛行機雲の上に上がった
以前,感じた事
人間ってさ
例え 同じ事が起きても
紙一重で助かる命もあれば
助からない命もある
全く同じ事が起きても
例え,身体に障がいが身体に残ったとしても
助かる場合と助からない場合がある
「死んだ方が、まだましだった」
違う あなたは生きてる
同じ事が起きても?
これを、分けるのは最後は神様なの?
生きる事に意味があるか?
死ぬ事に意味があるか?
決めるのは、最後神さま
同じ事が起きても
本当に,亡くなる方もいる
死ぬ意味 そして生きる意味
その意味を知り
最後に分けるのは神様なのかな?
「 死んだ方が,まだマシだった」
違うわね
神様が決めた
あなたが生きる意味がまだある
その意味を見つけるのは
案外 自分自身でない場合もある
何かの学びを超えた人は
誰かを救う為 の場合もある
誰かの為?
旭川の少女に起きたことを思い出す
彼女が、まだこの世にいるなら
自らの意思で,感覚が麻痺したまま
亡くなったのなら
今はもう麻痺がとれ苦しいでしょう
やはり,どれだけ
こちらから、思っても
もう生まれ戻る事は出来ない
ならば,この子を少しでもラクにしてあげる
「 死ぬ為に,最後頑張ったんだよね」
「最後まで よく頑張った」
彼女は、多分
歪んだ物すら,自分の目の前にあると
真っ直ぐに全ての物事が、見えてしまう子
そして歪んでるのは自分だと
自分を折り曲げるように亡くなった?
その息苦しさが今もまだ消えてない
この子こそ
死ぬ事に,夢なんか持って死んでない
誰からも認められてない
だから,せめて最後
頑張って死んだ事を
誰か 認めて
そして 誉めて
頑張って私は死んだの
あなたが死んだ意味
やはり 人の為になる事だったのかもしれない
もう役目は果たしたから
生まれ変わったら
来世は,自分の為に生きて
ラクに生きて
生命線が,途中で切れた
あなたが生きてたら
絶対に好きになってた歌
でも もし生まれ変わったら
その時は探すからね
そんな悲しいこと 言わないで
来世で なんて望まないよ
遠くに行ってしまうんだね
生命線 その途中で出逢えたこと
さよならしたこと
正しいとか 間違いじゃなくて
そうじゃなくて君にありがとう
でも もし生まれ変わったら
その時は探すからね
あの頃と同じように 上手く笑ってほしい
約束/ リリィ さよなら
この歌がいつ作られたかは、
分からないけど
まるで あなたの為に
作られたようなこの歌
米津さんメドレーを
YouTubeで聞いてたら
なぜか,途中でこの歌になってた
初めて聞いた歌
私 聞いて 泣いちゃたわ
女の子がカバーしてる方が流れてきた
原曲は男性だった
リリィ さよなら
初めて知った方
誰もいない場所で、空に響かすわ
ちゃんと聞いて
あなたがいるところは
そこじゃない
あなたが向かうべき場所
空よ
例え 同じ事が起きても?
助かった人は、まだ生きる事に意味がある
亡くなった方は?
死ぬ事の方に、意味があった
悲しいけど,そちらに意味があった
そのカタチが,如実に現れたのが
先の日本の首相と,現 首相に
最近 起きたことなのではないだろうか?
現 首相
今はまだ死んでる場合じゃない
生きる事に意味がある
「 今日も,私は生きてる 」
私も必ず死ぬ
人は必ず死ぬ
人が一人亡くなる
それは,とても悲しい事
幸せに亡くなる方ばかりではない
不条理に理不尽に苦しみ
苛まれながら,この世を去る方も見える
生まれ変われるかもしれないけど
やはり 亡くなってしまったら?
もう二度と、今の自分には
生まれ戻る事はやはり出来ない
人 一人の人の死は悲しい
どれだけ生まれ変わっても
途中で切れた生命線は
もう元に戻す事は出来ない
死んだ事がある人間なんかいない
だけど,不思議と皆んな知ってんだ
死んだ後 どこに行くのかを
死んだ後 どこに行きたいかを
やはり、どれだけ未練があっても
行かなきゃなんない場所がある事は
死ぬ前から,皆 知ってる
その場所の意味を知ってる
なぜなら?
いた事があるから
そして そこは
明日という場所ではない事
皆が知ってる
生きてっから,明日があるんだ
今日は昨日の続きで
今日だけが明日に続いくのは
この世の中で息をするものだけ
千里さんから米津さん
歌詞で歌詞が繋がった感覚
今日だけが明日に続いてる
こんな風に君とは終われない
千里さん
今日は昨日の続き
米津さん
米津さんの言葉から考えた
昨日の続きから、物事をまず考える
「 明日は我が身」という言葉もあれば
「 明日は明日の風が吹く」という
言葉がある
消えない昨日があり
まだ見ぬ明日がある
そこから,死から逆算して
生きる意味を考える
毎年 桜を見ると思う
所詮、数える数だけしか
桜を見ることが出来ないのが
生きてる人間なのだと
毎年,咲く桜を今年も見れる事
幸せだなぁって思う
一番 ワクワクするのは
桜が咲く前なんだけどね
いつか、あの桜が最後の桜だったと
思う日も来るだろう
ならば,私は何がしたい?
それまでは,頑張って生きる
神様が決めたその日まで生きる
死ぬ意味を考える
「それは,死ぬまで生きる」
これは、全てにおいて
私の数記憶ある
過去世全てにおいて「 死にたくない」と
最後 思いながら自死した
私の魂のリベンジに気がつく為の
意味でもある
マイブログ
読んでくださってるの女性だけ
これを見たから,今日のブログ
書けるんですけどね
女性の味方は,女性でありたい
私にとっては、すごくうれしかったです
今は、まだ過去に書いた物語を
見直し中です
いつもありがとうございます
よければいつかお茶してください