言葉が先立つ前に


ちょっと、書かせて頂きますが


「私なんか存在価値がない」


これを、人に思わされる時


これは、自分が モノ扱いされた時


人として していい事と悪いことの分別以前に



人間として

やってはいけない事がある



その、やってはいけない事をされた時

「自分の存在価値なんかない」

これを、やられた方が思えるのだと













言葉を伝える

裏に、密む怖さがある






スピリチュアリストを語る方


「これからの時代は、魂の時代」

「自分が好きな事だけして生きたらいいよ」

「自分の幸せが一番」

「自分が一番、大切」

「自分のご機嫌を自分でとる」

「 自分がイヤな事は、辞めていい」



この感覚は、一つの側面だと

正常な思考の人なら、感覚で理解できる



だけど

そうでない人がいるから
思考が、正常でない人がいるから

「言葉を伝える」には怖さが密むのだ









自分が好きな事の価値観


ユニバーサルに遊びに行く為に
二歳の子どもが、置いていかれた

 
その子どもは、死んでしまった
 

「存在価値」という日本語がある事も
知らないまま、死んでしまった


「価値がない人間なんかいない」

この言葉を 誰かに伝えてもらう前に
もう死んでしまった



子どもを、置いていくのはいいんだ

だけど、然るべき場所に預けていくのが
正常なる思考

そして預ける場所がなければ

それは、子どもを置いてまでは

もう行かない

それ以前に、一緒に連れて行く







子どもにご飯を食べさせる為
生活する為に働く為に、置いていく

そして、子どもに何かある
これも、罪に問われる
 
だけど
この場合とは、意味と訳が違う



遊びに行くお金があるなら
せめて、どこかに預ける

 
自分が好きな事を、自分の幸せの為に

子どもを、二の次以下にして
二歳を、家に1人で置いていく


正常な思考の人から見たら、あり得ない


 
もし、あの人が こう言っていたから

だなんて、思われて

「自分が好きな事をしたんです」

真に受けられても、困る話だ




私が、この世の中

好きなことばかりしていたら

とち狂ってくるは

ここに、あるんだ




自分だけなら、別にいい



スキな事だけして、イヤな事はやめる



だけど

自分以外に、守るべき存在がいたら

好きな事より、やはり
その存在を守ることが

攻めるより、守りある生き方になる







自分の幸せが一番

いくらママだって
男に、彼氏に会いに行くのはいい

だけど、真夏の車の中にエンジンもかけずに
子ども達を、置いていく

まだ男を家に連れてくる方が、
子どもを置いていくよりは、いいと思う



真夏の車に放置

どうなるか?

正常な思考なら分かる

この子達も、死んでしまった

好きな事をした その束の間の
幸せの裏に、この子達も死んでしまった


束の間で、死んでしまうのが
人であり、まだ感覚が未熟な子どもなんだ
















そして、女として癇に触ってしまった




ん?

おっぱいをさわる?

だと?





していい事と悪い事以前に

人間としてやってはいけない事






プライベートの場所以外




   
然るべき場所で、然るべきお金を払って

ブラジャーを外して
ブラジャーの匂いをかいで
おっぱいを触るのが

風営法が、真ん中に入り

両者合意の元であれば
然るべき場所で、あればいい


 
だけど、これは違う



銀座のクラブは、
胸の谷間をチラ見ぐらいはさせても

触らせる場所では、ないのは
銀座のクラブで、働いてない私でも分かる


いくらお酒を飲んでいる方 相手でも

殿方相手の仕事でも

チラ見ぐらいは、別にいい
肌に触れないドレスラインに触れるぐらいも
致し方ない
ぎりぎりかは、分からないけど


露骨にブラジャーをとられ
それを、回され
匂いを嗅がれ おっぱいを直接触られる


あり得ない


女性以前に、人間として

これを、されたら

「 私の存在価値は、どこにあるのか?」


やはり、心に残り

それが、トラウマにもなると思う


それを、さも自分も非があるみたいに

「 あなたにも、スキがあったのよ」

もし、これを言われたら


人の身体を、

別に減るもんじゃない扱いをされる


処女でもないんだから
別に減るもんじゃない扱いをされたら

人は、感覚でもトラウマになるんだ


あの舌の感覚
あの指の感覚
あの足音の感覚が怖い
あの目つきが、怖い


感覚でも、キライになる



それを、直接触られる


想像だけで

自分の存在価値を、見失う思考に陥いると思う







そして、逆に問う

男性

自分の娘が、これをされた激昂しないか?

娘がされたら、許せない事を
よそ様の娘にする

女の子は、皆 よそ様の娘だ






そして、逆に男性は、よそ様の息子

初めて会ったような人に

男性も、ズボン脱がされ
パンツも、人前で脱がされ

言葉は、濁しません

ちん こ 人前で鷲掴みにされたら
立ちそうだったも、萎むのではないか?




触られて

うれしいより、イヤじゃないか?
快感より、不快ではないか?

人前でされたら、恥ずかしくはないか?





同じだ



人として、していい事悪いこと
以前に

人間として、やってはいけない事がある












私が、見つけた人として生きるに
必要な「 存在価値」


これは、数字の三が繋がる世界に見えたモノ


この 正常な思考ではない世界とは
意味と訳が違う


引いて言うなら、強いて言うなら


人は、正常な思考でなくなる時


自分で自分を加算して、過大して
足し算をして、元が分からなくなる人と

自分で自分を卑下して
引き算をし続け、見失う人がいるんだ



「 私なんか」


足し算思考に、引き算される

「 お前なんか、生きてる価値もない」

正常な思考でない人に、追い詰められると

まともな価値観を持つ人でも
正常な思考を見失うんだ



そうならない為に、

自分とよく似た気質の人は
世界広くても、三人ぐらいはいる



その 三人の人と、直接関わる事ができない代わりに

今の、私が出来る事

関われない代わりに、言葉は伝える事が出来る






私は、思うの

真の ライトワーカーとは

「 人を立ち止まらせる力」を
言葉に、持つ人





真に眩しい光は、直接は目に見えない
必ず目を背け、立ち止まらないと

目が焼ける感覚になる

「 光は、人を立ち止まらせる」





その代わりに、前に進ませる力があるモノ

闇は、人の思考より、先に
足を前に進ませる力がある

だから、「 足をとられる」と言うのだな

人間は、自分自身の存在価値を
見失ったり、分からなくなった時

突発的に、偶発的に重なった時
人は、闇に吸い込まされる

足を一歩、踏み入れる



その足を、自分で前に進めない為に

今、自分が出来る事


それは、正常な思考の時に、正しく
自分自身の「存在価値」を知ること



私と、似たような方


三人ぐらいに、伝わる言葉で
私なりの言葉で、書いていきたいの