同じ怖いでも?
同じ怖いもね
おじき草は、記憶能力がある草
同じ 怖い でも
この「 怖い」のは安全だと記憶したら
自ら、葉を閉じなくなる
これって
まるで 人の心みたい
これって
まるで 人のココロみたい
ヒトノココロ
この怖さの感覚の記憶の刷り込みに
私達 日本人の感覚の甘さと緩さが
明るみに出たのだと
私達の 住むべき日常に銃声なるものは
日常を怖いと思う感覚に
特別な訓練を受けている人 以外は
刷り込まれていない
破裂音が街中でしても
「あれって タイヤがパンクした?」
夜なら 「 あれっ 爆竹?」
一瞬で、銃声音がした・
とは、やはり思わないし
気がつかない
あれ?
一瞬 頭で考える
感覚の 三文字
それは、3秒
ただ、これが銃社会と呼ばれる場所に行けば
地雷 隠れ潜む場所
それを、認識した場所に立てば
私でも、あの破裂音がしたら
「あっ 銃声だ」
あれ? だなんて思わないで
瞬間即座に身を屈め
我が身を、そして守るべき存在が
近くにいたら自分の身を呈してでも、
即座に守る行動に出る
これってね
例えると この感覚なの
「あっ 雨」
あなたは、即座に頭に手を当てる
私は、 「あっ 雨?」
立ち止まり、手のヒラを上にあげる
この間 三秒
街中で、破裂音がしても
私達の感覚の記憶に
それは、界隈と呼ばれる場所でもない
街の道端
それも、昼間に街中で
日常で、銃声は聞いた事がない
街中で、破裂音がしても
それが、発砲音だとしても
現実で、聞いた事がないから
「 アレ 走行中に
車のタイヤがパンクした?」
それか
「 近くに、工場でもあるのかな?」
この アレっ?
と、人が考える
間になってしまう 三秒
この感覚がね
「同じ 怖いでも」なんだ
それは、まわりの環境
おじき草は、これは怖くないと
一度 記憶すると葉を閉じなくなるらしい
だから、虫や蟻がおじき草に
そして他の雑草なる葉が、
風で触れても 安全だと
おじき草が、認識したら
最初は、閉じても
いちいち葉を閉じないと思うの
それは、だんご虫も同じ
葉を潜り抜ける瞬間
身体が葉に当たっても
いちいち くるんと丸まらない
だけど、人間が触れると丸まり閉じる
これがおじき草が、安全だと認識する感覚
それを、人に例えると
それを、我が日本人で例えると
その安全である場所が
やはり 日本なのだと
その 安全保障されている場所が
やはり 日本なのだと
日常で、銃声が怖いから
外を歩くのも気をつけながら歩こう
とは、意識した事がない事は
やはり 無意識になる
その無意識が、無防備になる
私達が、今暮らす日本は
何かは起きるし、何もない日はないけど
やはり 平和なのだと
平和とは安全に 条約されるもの
その 日本人の命の安全を
何よりも 最優先事項として
何よりも 最優先にマスクを配ろうとして
ご尽力頂いた方が 亡くなられた
お上と呼ばれた方
なぜ お亡くなりになられた?
これから変わる社会に
日本人を守るべきに、先回りして
「 これは、怖いものだと」
まるで、我が身を盾にして
社会に伝えるかのように
全ての隙が、全て裏目に出た
本来は、針の目を通さないぐらいに
守られるべき お方が亡くなられた事の
意味を、見出す社会になるべき
やはり 「 日本人の幸せを願われた」
何より誰より願われた方である事は
正しさばかりでは、決してない事もあったけど
間違いではないから
だけど、
「 何の罪も罰もない人が、あの発砲に
巻き込まれなくてよかった」
そう あの方は思って見えるのだけは
誰もが、感じるから
「 君も 愛すべき家族がいるだろう」
その 愛すべき家族が国民でもあった
国民を守るのは、SPではない
政治家だ
政治家なのだと
やはり 僕は政治家なのだと
その政治家でおられたお方
だから、あれだけの人が並ばれた
「 何の罪も罰もない人間が、巻き込まれなくて
よかった」
それは、誰であっても同じ
例え命を守る為が仕事の、SPの方にも
我が国のお上であった方は、こう思われる
やはり 優しい方だったのだと
それを、一番近くで生きた奥様
私にはなぜが、育ちの良さゆえ
自由奔放に見えた可愛らしい笑顔の奥様は
誰よりも深く理解されているのでは
ないだろか?
そして大衆が民意
大衆こそ民意
大衆は、それをきちんと分かってるからこそ
沿道で涙ぐまれる方を見て
やはり私も涙が溢れてきたんだ