この あらさまに不平等が露呈する世の中で
幸せのカタチを見つける

それに、喜びを感じる人が
幸せだから とは決して限らないのが

この世の中

だって 人には自分が持つ本質は
隠しながら生きてる人が、ほとんどだから



昨日は、私の大好きな方が亡くなられた命日

 
自分ばかりが、可哀想でした
全て 人のセイ
私は、何にも悪くない
全てにおいて、私が優しすぎたんです


死の恐怖に耐えながら それでも気丈
彼女が、表に見せた顔は最後まで、笑顔だった

その裏の顔を、知るのは家族だけ
やはり彼女は、最後までプロ意識が高い方だったのだと

その亡くなった妹さんの話をしながら
食べることが、大好きな妹さんが
食べれなくなる姿を 
痩せていく姿を、目の当たりにしながら


麻央ちゃんばかりに と謝るお母さん
それに、泣きながら否定をしながらも

私はおにぎりが、食べれなかったと
号泣しながら 母と娘で泣き合うテレビを見て
私は、ただ ただ呆れるしかなかった


ハワイに行くのは、お子様もいる
だけど、なぜ今 一緒に?

笑うな とは言わないし
遊ぶな とも思わないけど

だけど、なぜに今?
すごく楽しそうに出来る?

それに、不快感を感じてしまっていたから
余計に、そう思えてしまった

だけど、家族だからな

でも、私だったらやっぱり イヤだな

自分が亡くなり すぐに
自分の夫と、自分の姉が一緒に旅行に行く
それを何とも考えずに思わない 夫と姉

絶対に、いやだな




世の旦那 と呼ばれる人よ

例えば、自分が死んで

それも、すぐに自分の兄と、自分の嫁が
まるで、何かをカモフラージュするかのように
自分の母親を連れて ハワイに行く
それに、のこのこと母親もついてく

息子である俺が、死んだばかりなのに
「 いったい なんなんだ こいつら」
と、思わないかい?

男と女が違うだけで、やっている事は同じ


ましてや、一般人でなく有名人

かたや アナウンサー
かたや、日本伝統を背負って立つお方

日本語には、喪に服す と言う言葉がある

日本伝統を背負う立場のお方なら、尚更


「喪に服す」までは出来ないのは
お子様もいるから
理解は、出来るけど


だけど やはり有名人
動けば、すぐにばれるに決まってる

ちょっと考えたら、分かる事を考えずに行動したから
余計な憶測を生んだのだと

それも今になり とってつけたかねように
全て 人のセイ

考えたら分かる事が、分からない
あの時は、感覚が麻痺して見えたんやろか?





やっぱり だからイヤだわ

深く考えなくても、自分がいなくて
自分の旦那と姉が一緒に旅行に行くなんて

あれは、いつの事だったかな?
私の 脳の記憶も曖昧だから


姉妹で比べられる
それに、今は言わないで
苦しめられてるのかもしれないけど

それは、比べてきたから 

このお姉さん

比べ慣れすぎられて
比べて、いつも自分の方が上だと
勝ち誇る気持ちに、
唯一負けたと感じたのが妹さんなのだと


誰も、最初は比べてはいなかった
二人とも、綺麗で本当に可愛い

確かに、その通り
こんなに美しい姉妹は、世の中にいない

その姉妹を、大きく比べられるを
引き起こしたのは、このお姉さんご本人

私 含めて 比べる気もなかった人が
今はかなり、比べてしまっている


妹さんを、愛という言葉で上げながら
その言葉で、堕としたのは紛れもなくお姉さん

「 あなたは、愛されてはいなかったのよ」

共に活動される ご主人を引き寄せたのは、自分自身

だけど、可愛い姪 甥から引き離される
そして、それが何の為に起きたか?


これ以上 近づけさせたら危険

誰に思われた? 妹さんに

最後は、苦しみもがきながらも
脳が、意図的に眠らせられるように亡くなった
多分、医療用麻薬を使われたであろう

その感覚を、脳で知り感じた
亡くなられた妹さんが

「 これ以上、近づけさせたら危険」

あんな事でもないと、
境界線を、知らないで近づいてくる
全てにおいて、自分の立ち位置並び名代を利用される

それは、危険

それを、知らないで
それが、妹さんの感覚から
引き起こされた事だと、逆に気づきもしないで

あのお姉さん達は、自分達がした事だと

実はそれは、全て裏で動かされ
やらされた事だと
全て動かされた事だと

もうそろそろ 気づき始めているのではないでしょうか?
だから、やばいと思っているのではないでしょうか?

でも、今更 もう引くに引けないよね
ある意味 仕方ない

これ以上したら、危険だと

その注意勧告は、先に世の中から
声が、上がっていた

それに、全く聞く耳を持たなかった






その、危険を感じる

それは、守るべき存在がいると更に強くなる


だから、このお二人は
互いに互い 守るべき存在ではないのだろうか?
女を、まずは矢面に立たせる



やはり 大切な家族を守る為に
母親は、死んでも我が子の為なら 鬼にでもなる

これ以上 近づけたら危険
それは、御子息の名代に関わる事になれば

あんな事 許せない人もいるけど
更にあんな事ではすまないに 至る

その何かは、私達には分かる由もない
やはり 赤の他人ですから

それを知る身内の人だから、やはり怖い
だから、関わらないが一番になる


テレビも、あんな事を露呈する
お姉さん ほぼスルーだったと思う

身内であるはずの、テレビ関係者の方
飛びつきも、食いつきもしない

それは、やはり関わったら危険だと
業界全体の 脳が感じたのかな





やはり それは置いても
人として、していい事と悪いことの分別がある

それが、あのお姉さんが
なんちゃらヒーリングが

もしかして「  脳に快楽」を感じてしまったのなら
それが、依存になり感覚が麻痺する

麻痺が引き起こした言動と行動なら?
していい事と 悪い事の分別がつかなくなる
それを、見極める人は?



全てにおいて 自分に業が帰る

それを 人は自業自得と呼ぶのか?
分からないけど
その経験が、何かの誰かの為に生かせるなら
それは、まだ自分の得になり必ず帰ってくるのが

自業自得の持つ意味の もう一つのカタチ

やった事が、自分自身に帰る
それは、いい事をしてもなのだと


妹さんと、お姉さんの
全て自分にまた帰ってくる 境界線の違い


スピリチュアルを、名高く
声朗らかに語りまくるなら


普段は、スルーで、私は見ない
だけど、彼女の命日 気になり見てしまった
今だに、無い愛を理不尽に
彼女の命日に、自分第一で語りまくるなら


最後に書く 小2の女の子の現実をきちんと見た言葉

これぐらい 心に響く
的を得た事を書いてから、是非とも語ってください






だけど、人はやり直す事が出来る

やはり可愛かった
このお姉さんは可愛かった

いつも献血のラジオ たまたま聴いていた
声も通るし 言葉もすぐに機転が聞く
可愛いし、優しい言葉

この方は、書く事よりも
やはり マイクを持ち話すことのほうが向いてる


あのまま 何もなければ

「 大切な家族ですから」

大切な家族のまま、いれた

これは、妹さんに言わされた言葉かは
私には、分からない

大切な家族ならば、ケンカはしても
やはり 家族の恥になる事は

ましてや 何か私は知ってるみたいな
言葉に、いやらしさを感じる含みを持たせた
性的に 想像を結びつけるかのような事は
いちいち晒さないのが、家族なのだと

「あのお風呂に」

ましてや 子どもさんがみえる

特に女の子  何も言わないで感じるのが女の子
それが いつかのトラウマになると危険だと
私なら、思ってしまうからな








人間が、持つ感覚の中で
脳が、感覚として記憶してはいけない感覚

それは、「 危険」ではない
 
「  危険」を知ることは、
自己防衛には、必ず必要な事


人間は、「 大丈夫」だと思う前に
「 危険」を知らないと

その無責任なる「 大丈夫」の感覚が
思わぬ生きる弊害になる時があるのだと









米津さんの歌に

あなたが思うほど あなたは悪くない
誰かのセイってことも きっとある


これってね

誰かのセイって事もきっとあるけど
自分のセイって事も 多分あるのよ


だって 生まれ変わる前の自分は
ほぼ 今の自分と同じだから


ここなのよ

自分を苦しめてる存在が、何なのかが
分からない感覚って

感覚に、苦しむ




だけど、人間の脳が
絶対に記憶していけない感覚は

それは、「 快楽」


だけど、一度
脳が記憶したら消えないのが

「 快楽」


人が生きるために、必要な
フロイトのリビドー論が語る
生きる為に、必要な性的欲求を超えた


「 快楽」


人間が脳で記憶してはいけない感覚

「  快楽 」なのだと


これが、危険だと
あらかじめ人の意識として強く持つ人は、
最後からやはり近づかない




カタチがないこの感覚を
一度、脳に記憶してしまった魂は
その感覚は、やはり生まれ変わっても
消えないまま、生まれ変わってくる


その感覚だけを、脳に強く残して
また生まれ変わってくる





だから この尾崎豊さんの歌詞

僕が 僕である為に勝ち続けなきゃならない


尾崎豊さんは


この歌詞を書く自分自身に
何かを感じていたかは
それは、分かる由もないけれど




この世の中で、罪になる事を起こす

その一つ 

有名人の方が、手を出してしまうと
大きく報道される

この世界が持つ 「 快楽」

これは、性的に繋がる「 快楽」の為
使用される事もあるのだと


それ知り 人はまずは
自分が持つ本質の中に隠す

だけど見つかり
そして捕まり そして必ず更正を誓い
また 立ち直る道を探すに
それなりに与えられた更生施設に行き


それでも、自分の意思強く
周りの方の思いに支えられ
繰り返さないを、固く決意された方も
この世の中 たくさんお見えになる中で
それで、断ち切る方もお見えになる中で

やはり、一定数は繰り返してしまう方もいる


その時に、だいたいの方が
テレビの向こう側で、話される言葉がある


「 いけない事だとは、自分では
 頭では、分かっていたのですが
 自分自身に負けてしまいました」


これは、その通りだと思うの

頭では理解しても
脳が、言うことを効かない感覚



自分自身に負ける
自分自身に負けてしまったのだと


繰り返します


生まれ変わる前の自分は、
今の自分と ほぼ同じ



その生まれ変わる前の自分が
脳に感覚として 「 快楽」なる
感覚を、最初から知って覚えているから


だから、それを「 危険」だとは
最初からあまり思わない

それが、「  危ない」とかも
あまり感覚として分からない

「  ちょっとだけなら 大丈夫 」


知らない人は、
脳が、これは「 危険」だと
最初から理解しているから
やはり 近づかない世界


だけど、「 ちょっとだけなら大丈夫」

この感覚が、先に立ち
脳が無意識に求めていた「 快楽」を
知り、また覚えてしまうから

やはり、一度覚えたら消えない感覚は、
また同じ事を繰り返す 


快楽は、依存になる
快楽は、感覚麻痺を引き起こしてくる


いけないとは、分かってはいても
自分自身に負けてしまいました

負けたのは、やはり自分自身なのだと

自分の身を分けた自分自身



これに、気づく事が必要な方が
この世の中には、三人ぐらいは
いるかもしれない


だから、不特定多数ではない


「自分自身に負けるな」

その言葉は、まさにその通りなのだと

だけど、私はその奥に一つ入る



それを、どの意識から感じて見るか?

その人の為になる言葉は
やはり 世の中は
その仕事を、生業にするプロのカウンセラー
の方が、きちんとお見えになる


それでも、また繰り返してしまう方


私が、感じる事は

ただの 戯言レベルの事は
充分に、承知はしているけど

的を得ていない話だとは、
自分自身の感覚から、思ってはいない


過去の自分に、比重をとられてはいけない


それに、気づく事


それは、

やはり 今を生きているのは
自分自身なのだから


魂が同じなだけで
人格含めて やはり違う人間なのだと

それに、気がつく為に
過去世なる自分の存在に気がつく

それに気がつく為に
一定数 過去世を思い出す人がいる

過去の自分は、今の自分ではない事に
気がつかなくてはいけない人が

過去世なる自分を感じる事

その多くは 「自分自身に もう負けるな」


だけど、自分自身に負けないで

自分自身から逃げてはいけない人と
逃げなくてはいけない人

これを分けるのが、
「 快楽」を知っているか? 否か?


それが、「 快楽の果て」の自分に
引き起こさせた事だと

自分自身で、感じたなら


過去の自分自身に、負けるな
過去の自分に、今の自分の比重をとられるな

過去の自分から、逃げろ




その為に、まずは誰かのセイではない
誰かのせいでない事は、自分のセイでもない

自分自身の過去を責めて
まずは、そいつのセイにしてみる

「  おいっ 過去の自分」

「  お前のセイでさ
 お前が、下手に快楽なんか
 脳で、記憶したセイでさ

 その感覚が、消えなくて
 自分自身に勝ち続けないといけないのに 
 負けてしまったんだよ」

「  全部 過去の自分のお前のセイだよ」


確かに、そうだと

元を正せば、自分の責任ではない
だけど、それに気がついた時点からは
自己責任 セルフコントロールが
必要になる


それは、瞑想や念では
どーにでもなる事では、リアルはない


これは、誰かにそして人に
責任を押し付けている訳ではない言葉なのだと


まずは、自分自身

まずは、何でも自分から

過去の自分自身

生まれ変わる前の自分のセイだと
過去の自分を、責める事でね

その上で、過去の自分から逃げるのだと
勝つのではなく、もう逃げるのだと


その為に、そんな過去の自分がいたと
気がつく事 




それが、分からなくても
何かを断ち切る 
この感覚は、一つの手段でもいい


何も、過去世なんか
無駄に分からなくても、

自分自身が、その生きた証なのだと

過去の自分は
自分が、人には見せなくない
本質の中にいるものなのだと

そこに まずは、きちんと向き合う

その方法として 出来る事

それは、自分が感じた言葉を書くこと







そして

「  過去の自分には、もう絶対に負けない」



それは、何の為に
それは、誰の為に

人は、生まれ変わる前の自分は
今の自分と ほぼ同じなのは

次に、生まれ変わる自分も今の自分と
ほぼ同じなのだと

その為に、今 出来る事

その意識の、変換方法の一つとして


今を生きる自分自身が
その 快楽なる依存を 断ち切る

その輪廻を断ち切れるのは
やはり 今を生きてる
自分自身しかいないのだと


気がつく事なのだと


全て 自分の為に
それは、自分自身の来世の為に

それは、もしかして
自分の遺伝子が引き継がれた子孫かもしれない

未来の自分の子どもは
もしかしたら、自分自身なのかもしれない


そう思う事


これは、一つの
何かを断ち切る為の方法論かも
しれないけど

 
自分にとって、腑に落ちる方は
この私が感じた感覚を
正しい と思ってくださるでしょう





脳の記憶 とは?



いちいち教えてもらわなくても

「ここは、危険」だと分かる

電信棒の横にある 足掛かりに登り
電線で、綱渡りをしようと考える人はいない


「  ここは、危険」だと
最初から、近寄りはしない

そんなこと、教えてもらわなくても
分かる事なのだと

それを分かるのに、してしまう
それが 、「  快楽」の影に潜む怖さなのだと





「  こわいをしって へいわがわかった」





昨夜、ニュースで見た
沖縄式典で語る、小2の女の子の言葉に
私は、腑に落ちたんだ