人を赦せるに至る




それってね


最後 許す 許さないでない


「もう 別にどうでもいい」


別に、どうでもいいや


と、言う境地に至った時に



その感情の柵 シガラミ


から、抜けれる









どんなに 酷い事されても




 


人としての 尊厳を踏み付けられる

まで、痛めつけられても




それが、心からは完全には

消し去られてはいなくても



「 別に、もうどうでもいいや」



と、思える度合い




あの時よりは、幸せが

あれが、あったから今が幸せだと思える



その 度合いの開きを自身で比べ


今 幸せだと思える








そう思える一つにあるのが


やはり人との出会い

 


人は、一人では生きてはいけない









だけど、その隙を狙われる

そこに、漬け込まれる


だから、人に弱みを見せすぎる


これには、気をつける





人は、踏まれたら生きてはいけない




踏み付けられたら 生きてはいけないのにさ





その人の心の弱みに漬け込み



足で、人を踏み付けて

まずは、全ての逃げ場をなくして




人を恐怖で支配する


それは、まともな思考を麻痺させる




それと、真逆なる快楽を与える事で

相手に自分を依存させる



その 感覚の麻痺


これは、女性に引き起こせやすい



なぜなら?


感じる身体だから


感じる心が、敏感なのが

女性本来の気質に持つ方が多いから




その 恐怖で人を支配させる には

人には、理解出来ないカラクリがある





人を恐怖で、支配させる


裏に与えるのが



快楽



「なぜ? そんなこと分からないの?」


普通の感覚の人が思う感情



分かる訳ない


快楽を感じるのは、人それぞれの感覚



快楽を一度 与えられる


それは


「  もう あなたがいないと生きていけない」になる



快楽は依存に繋がるんだ


抜け出せないになる






だから、その前に逃げる


その感覚が、麻痺する前に逃げる



だけど、逃げる場所がないのが

子どもを連れた女性



一人なら、まだ逃げれる



だけど、子どもがいる

だから、逃げない



それは、感覚が麻痺してても

まだギリギリ最後の愛情があるから



そして、感覚が麻痺しても

痛みだけは、麻酔を打たない限り

リアルに、自分の身体で感じるから



だけど、感覚が麻痺してるから


人が痛みを感じるのは、鈍感になる



それが、例え我が子でも

人が痛みを感じるのは、鈍感になる



感覚の麻痺



それが、起きる前に逃げる




だけど、逃げる場所がない


その理由の 一番は「 お金がない」


だから、誰かに依存するしかなくなる






そして、カタチは違えど


この 恐怖で人を支配する


この感覚の麻痺の怖さを世間に知らしめる


為の 被害者になってしまったのが


ありえない亡くなられ方をした

五歳のお子さんと


この男の子の懲役刑が、くだるお母さん


私は、共に被害者だと思う






自分の快楽の為なら

そこまでやるか の人なんだ

加減も度合いもない


被害者を、加害者に仕立てあげる



もう一人の加害者なる女は














その 感覚の麻痺と依存の果て


亡くなった命





きっと 六月の今頃は沖縄に

ブーゲンビリアが咲いてる






花にも命がある




だけど 例えこのブーゲンビリアが


生けられた花瓶ごと 何か、故意ではなく

人がぶつかり落ちて



花瓶ごと、割れた拍子に

この花が、踏み付けられても



「  お客様 お怪我はございませんか?」



このホテルの方達は、花の心配ではなく

人間の心配を、最優先にしてくださるでしょう




「花瓶が割れて申し訳ない」


と、ひたすら謝る人に対して



「 まずは、お怪我がないのが何よりだと」



物によっては、その後

弁償 弁済があるかもしれないけど


まずは、怪我がなくてよかった と



 これは、やはり花ではなくて

人だから、心配される





許す 許さないももうどうでもいい

これが、絶対に出来ない事




そして、どうでもいいと

許したらいけない事



だって どうでもいい命なんか

この世に 誰一人としていないから



それが、人の命なのだと




ひらがなだけの悲しいお手紙を書いた女の子


毎年 六月になると思い出す





この女の子は、自分を許しを乞う



字を書くことばかりに

必死で、絵を書くこともなかったのではないか?






痛いの 痛いの飛んでいけ




米津さんの、ゆめくいしょうじょの歌詞の一節



居場所がない 絵本もない

コウノトリは、赤ん坊連れ去り消えた




君の悪い夢を、私が全部食べてあげる


その涙で胸が痛いの


あまりに残酷で




ああ 輪郭を失ってしまった

君だけに子守り歌を









誰もね あなたが亡くなる時


子守り歌は元より


健康と幸せを祈り願った人は

近くには、いなかった









あなたに手を合わせる事しか出来ない







私を赦して





怖かったね



この歌詞のように



震えては 聴こえないフリを

微睡みが君を傷つけて

やまないんだ




虐待を受ける子が、絶対にしている姿



私は、膝を抱える



膝を抱えながら微睡みながら眠る






あなたが、過去のしがらみから抜けれて



今が幸せだと、思える来世が

ブループリントで描けますように



花束と水葬



お葬式も ままならず

亡くなったあなたに


花束と水草



あなたのことを想い


今年の六月は

米津さん( ハチ)の歌詞を書くね





毎年 ブーゲンビリアの花が咲く頃


あなたを想い出す






あなたを想い出す





私が、微睡み思い出す

















































私は あなたに固執する







だって あなたはいつの時代かに

私の過去世で、産んだ娘だから




あなたの魂は、私がいつかの時代に

産んだ 私の娘




だから、絶対に許さない





この子が許しても

私は、絶対に赦さない






その 微睡みなる

私の感覚に、この子が確証をくれたのが





この写真なのだと

















ワタシ オカアサン


マチガエチャッタノ





この言葉は、この子を産んだお母さんには


残酷な言葉



尽きることない残酷な言葉だと

あなたが、感じたなら


今はもう感覚の麻痺はないと思う



今のあなたに出来る事



この子の為に泣く事






女の味方は やはり女



この子は、もう早くにあなたの事を

とっくに許している




だって 大好きなママだから



あなたが産んだ娘は、この子だから



今は もうクチナシのこの子だから



尽きることない反省を出来るのは


やはり 生きているから



泣けるのも、生きているから




この子に、色鉛筆と美しい紙を




プリンセスが好きだとは

言いたくても言えない



クチナシにされた




プリンセスに憧れたこの子に

プリンセスの美しい紙と色鉛筆を







いつか供えてあげて










そして この子の最後の

生きていた時の聲の形



私が、書きます



米津さんです やはり





「花束と水葬」