「 人間が生きるに、必要な場所」


大丈夫な場所


一歩、玄関の中に入ると、大丈夫な場所が待ってる
その場所に毎日帰れる場所がある


そこは、大切な場所 


玄関の外から、誰も見えないその中で
愛おしい人が待っていてくれたら
愛おしい人を待てる場所があるなら?


そこは、幸せな場所





アナタ 今 シアワセですか?









逆に自分にとって、幸せではない場所




それは、否定と否定が接点を持たずに

行き交う場所







ふと思ったんだ

自己否定✖️他者否定
接点が合わない否定ノカタチ


自己否定とは?  自分自身を否定する感情になる事
他者否定とは?  他人を否定する事


この二つの言葉を省みて、ふと思った


自己否定なる感情って、
自ずから生まれてくるのではなく
自分の存在を誰かに否定されるから、
他者否定されたから、
生まれてくる感情なのではないか?


だとしたら?




「自己否定は、今すぐやめましょう」

自己啓発の本に、誰かの言葉に
なぞられるように書いてある文言

「 自己肯定感を上げる」





私は、思うんだ

自己否定よりも、絶対にタチが悪いもの
「それって、他者否定じゃね?」


他者否定

自分を棚に上げて、他者否定しまくる人って
自己否定の感覚とは逆に無縁

逆に、自己肯定感がやたらお高め
「 私は、何にも悪くない」
だから、相手が全部悪い・・の人





自己否定なる感情の根本にあるもの

「 他者に自分を
    否定されるから、自己否定する」

根本は、そこから始まる感情なのだと


ならばさ、物事には前後がある

「自己否定やめましょ」の前に
まずは、「他者否定 やめましょう」
なのではないだろうか?


他者に否定されるから、
自己否定する人は、
言われたことを、素直に真に受けてしまい
自己否定するハメに陥いるのだと、


自己否定する人に、「自己否定するな」
ではなくて

自己否定する人は、
意味なく理由なく自己否定してるのではない

何かしら、誰かしらに、
他者否定されたから
それを、まともに受け止めてしまい
自己否定する流れになってる事が多い

ならば、「自己否定はやめましょう」
自己啓発本にある言葉

この言葉、一つとっても

これって、結局 

「 自己否定する自分だから
  やっぱり自分がダメなんだ 
      だから、やっぱり変わらなくちゃ」


ある意味、人によっては
更に自己否定感を深めてしまう言葉になる

自己否定はやめましょう

この言葉の意味も大切さも
今の時代は、優しく深く理解している人が
多くなってきたからこそ

この感覚を、自分都合で勘違いしてる人

時代が変わる

天変地異的な事が、
いきなりありえない事が起きる時代
だからこそ

「 他者否定こそ、やめましょう」

これを、警告的に示唆する自己啓発本が
あってもいいのではないかな?



俗に言う


物事における、言葉の断面が変われば
イジメる方でなく、イジメられてる方が
変わりなさい的な、
意味合いを持つことだってある


その後に感じる自己否定ではなく
その前に起きた、他者否定

他者否定してる人に、
まずは、気がついてもらうことのが
自分がしている事の危険さに気づいてもらう
事の方が、大切なのではないかな?

大変な事が、
取り返しがつかない事が起きる前に

いわゆる、「 言葉で人を殺すことが出来る」

皆が、過敏で敏感
この時代は特に、

意見ではなく、否定も批判もある
だけど、過度を超えた
人権侵害、マイノリティ
プライバシーに関わる
否定や批判、誹謗中傷含めて



自己肯定感に、満ち溢れて
自死する人は、まずいない

自己否定するから、
感情が削られ減され自死する


それぐらい危険なんだ

人を、自己否定するまで
言葉で追い詰めると言う事は、


他者否定されて、
「 自分が変わらなければ」

自己否定感から、その行く末が詰まり

他人の言葉で、自己否定する人は、

自分がされて嫌なことはしない
優しいからこそ、それが出来ない

結果、やはり自分が悪いんだ
なら存在ごと消えた方がいいのかな?

自分自身が追い込まれて
自死に追い込まれてしまう


自己否定はやめましょう


改めるのは、自己否定する方ではなくて
他者否定 してる方


他者否定を、やめましょう


あなたがした他者否定が、
誰かの自己否定に繋がり
命を蝕む原因になる事だってある


自己否定の捉え方の在り方が
人を精神的に追い込むことだって
これからの時代、やはり出てくる

そして、現実に出ている

自己否定✖️他者否定


そして、私は思うんだ
 
他者否定を、ここぞとばかりに
自分の存在自体が全て正しいとする人より
自分の存在自体を、自己否定する人の方が
断然に、そして格段に優しい人だと思う


自己否定する人🟰優しい人
だからあなたは、優しい人なのです
大丈夫です。変わる必要なんて一ミリもない
そのままの貴方で生きましょう

ぐらいのこと、書いてくれてもいい


あなたは、悪いことしてない
じゃない?


あなたの存在で
もしかしたら、他人が
腹を立てさせる事もあったかも
知れないけど、


あなたは、その他人を
傷つけてはいない
 

その他人に、言葉で切りつけられ
深く傷つけられたのは
あなたの方なのよ


だけど、ネットだと
個人の名前も分からない
責める事が、出来ないものは
今は守るしかない

今は、守るしかないの


「 命を守る、行動を」

テレビの人が、災害時
繰り返し言う言葉

「  命を守る、思考を」
思考が、行動を左右する

その思考が、正常なうちに
思考は麻痺し出したら
感覚が、狂ってくる

「 あなたの大切な
  命を守る行動を」

あなたの命こそ、大切な命


天変地異が起きている昨今
よく聞く言葉
あの言葉は、人間の命を守る言葉なんだ、


人間関係だって、
自分自身では、もうどうにもならない
災害級の事だってある


この災害に、巻き込まれる前に
やはり大切なことって
今は前に進むことではなく、やはり逃げる事

逃げる向きを変えたら
それは、前向きにしかならないのが
人間の身体だから

人間は思考が麻痺すると
逃げる事すら、自己否定に繋がる

「 今 逃げるのはズルい人間がする事」

それは、逃げるのではない
自分自身を守る行動に繋がる

生きることに未練を持ち続ける

"未練は継続を作るもの"

それは、頑張っても生きれないと思うぐらい
自分自身が、追い詰められてるんだから

「頑張って生きる」より
「まだ死ねない」と思うこと












「他者否定を、やめましょう」

このテイの言葉、自己啓発本では
見た事ないから、 
自分に自信が持てなくて悩んだりした時、

「やっぱり私はダメなんだ」とか
自己否定、自己嫌悪感に陥いる時
思った時、

こんな風に書いてある言葉に
もし出逢えていたら

私は救われたかも?
そんな思いで書いてみましたおねがい






だけどさ、人間って他人に言われなくても

自分の中で、自分自身の存在を
否定したり肯定したりを繰り返しながら
生きてるものでもある

と、思った私はふいに気がついたんだ


私の命は 否定と肯定の間にあるものだと
その真ん中にあるのが、人間の命なる存在なのだと

その始まり 命の誕生

赤ちゃんが、生まれるまでは

「 女の子がいいな」 「 男の子がいいな」
「 女の子より男の子がいいな」
「 男の子より女の子がいいな」

お腹ノカタチが尖ってるから 男の子だ
お腹ノカタチが丸いから 女の子だ

その言葉に 
女の子がいいな 男の子がいいなと、
思いながら いざ出産


そして生まれてすぐに確認するのが、
イチモツがあるか ないか?

それを聞いた出産直後のお母さんは
生まれてきた、我が子の顔を見て

「 生まれてきてくれてよかった」

そこに 否定も肯定もなく

生まれてきた我が子を見たら

さっきまで、思ってた
男の子がいい 女の子がいい
なんて事は、その瞬間から思わない


性別に、否定も肯定もなく
「ただ、生まれてきてくれてよかった」
否定も肯定もないのが、
男とか女とかではない、人の命




ちなみに、私は生まれ変わる前
私は、過去世において男性になった事はない

私自身は、女性として生まれる
これは、自分で願ったことだと思う

うちの母は、生まれた瞬間 私は女の子
「 姫みたく育てたい」と、思ったそうだ

母のこの感覚も、間違えてないと思う



ちなみに 今より、二つ前は姫

女ばかりで、育った末娘

嫁いだ先で、季節が巡りきる前に別れた
私を慕う小さな男の子がいた
末の姫として育ったこの時代は
弟みたいな子が出来て 
お姉さん風を吹かせる事がただ嬉しくて

この時代、歌読みそして香焚き含め
確かな教養と学びを受けたから

私が学んだ言葉を、教えたこの男の子は
小さな小さな ありんこ一匹怖がる男の子で
いつも私の袖の影に隠れて
男の子なのにと怒られていた

その後、命を落とす事になるが
この時代に、私の命の最後まで守ろうと
共に人生を生きた乳母が、今の私の母親





そして自己否定

この感覚を、他者否定が原点ではなく
潜在的に根深く持つ人もいる

潜在意識🟰 眠る意識
それは、過去生なるもう一人の自分が
自分に対して否定の感情を潜在的に持ったまま
生まれ変わってくる

もう一人の自分?魂は同じだけど
別人格の自分





この紫陽花 不思議だったんだ

同じ茎から生えてるのに

なぜ? この花だけカタチが違うの?





人と違う


 
これは必要な人にいつか届くといい思いで、
今は軽めに書いておきます

一つ前の過去世の自分は、今の自分とほぼ同じ 


この一つ前の過去世に
女性としての尊厳を踏みつけられる過去世を持つ女性の
自己否定感に、大変多い感覚

これは、表の社会では生きることか許されない
いわゆる、裏の社会で生きることしかできない

身体を売る仕事を、過去生を持つ女性

遊郭や花宿はまだ格が上
その下に女郎小屋なるものがある
その下以下の世界ももしかしたらあるのかもしれない

女性としての尊厳を、踏みつけられる


部屋も布団もそして壁もない場所で 
物以下に自分の存在を扱われる
ただ、排泄するかの為だけのように女性の存在を扱われる

女性としての尊厳を、花以下に踏みつけられる




そして その場所や環境を、分けるのは 
あの時代は、ただ器量の良し悪し 

その環境により来る人の格も変わる
あの時代は、全てにおいて格の序列がある時代

その格が上の場所に、器量が良ければ高く売れる 
それが本人にとっては、逆に仇にもなる

器量が悪ければ、それは人として扱われない
その世界は、犬畜生の世界なのだと


その自分自身で選ぶ事が出来ない
器量の良し悪しだけで人生が変わる


だけど 心は、皆同じなのだと
女性は、誰か一人だけに愛されたい
それは、昔も今も人の心は変わらない


だけど、その価値観は人それぞれ

お金に自分の価値を求める事が出来る女性もいた

その感覚を持つ女性も世の中にはやはりいる

自分自身の価値を、お金で見ることが出来る

それが正しいか間違いではない
生きる為に必要になるものは、やはりお金だから

一つ前に、この感覚を持つ女性
一つ前は、ほぼ今の自分と同じ

お金の為ならば、自分を売る事が出来る
を、今も感覚として持つから
風俗という仕事や、アダルト女優
身体をお金を対価にして
開く事や、売る事が出来る

あのお仕事こそ プロが成せる技


お金の為ならば? 

身体を売るより、ご飯を食べる
その為に必要なのは、お金
生きることの方が大切だから

生きる命を守ることの方が、
自分の上っぱりの身体よりも
よっぽど大切だから

身体と心を、切り離して考える事が出来る



ある意味、強い女性
そしてこの世の中に絶対に必要な女性

素人が、軽い小遣い稼ぎの気持ちで
後から、後悔する学びの為にする
仕事ではないが

この仕事が、あるから世の中における
性犯罪抑止にも繋がる役割がある立派な仕事


この仕事こそ?

現世 いきなりは、絶対に出来ない

過去世で、何かしら
男性に肌や足を開く事を、
仕事でしていたから、やはりプロ

感じてなくても、濡れる
感じる事を芝居で出来る
いちいち感じてたら、仕事にならない

ちなみに、いちいち感じるのは
素人の証ぐらいにも思って見える

「狐と狸の化かし合いの猿芝居」

自分と切り離す技を持つから
出来る仕事なのだと

過去世にこの感覚を、分からないだけで
潜在的に持つ女性が大変に多い

「自分の価値を、お金で見ることが出来る」

このお仕事で、確固たる地位確立する方は
遊女ではなく、
最高峰 花魁レベルの過去世を持つ方が多い




だけど花街に売られる

それが出来ない女性が、大半なんだ
自己否定の塊

お金に自分の価値を求める事が出来ない女性
で、あればあるほど、心が苦しむ

自分の居場所もない、帰る場所もない

女性はやはり妊娠をする身体である
  避妊が出来る時代ではない

その環境の中で、自死を選ぶしかない女性も
あの時代は多くいたはず

だから 避妊が出来る今の時代の方が
倫理観を高く持てる時代でもある




魂ある人間に、必ずある生まれ変わり

人間は、死ぬ時に最後に何を感じるか?
人間は、死ぬ時に誰を思うか?

で、次の輪廻の到達点が変わる

その中でも「私は愛された」と思う事が出来たか?
「私は誰にも愛されなかった」 と思うのかで
次の輪廻が変わるのだと




そこに、一つ前が花街で生きた人は

自分自身の価値を、お金で見るか?
自分自身の価値を、心で見るか?
この狭間で、苦しんだか?

ある意味、特殊な感覚を持つ

普通の人の感覚なら感じ思わないい
究極の自己否定ノカタチ


だけど、身体を不特定多数の男に開く
「  自分自身を汚い」 この感覚
私は汚い存在なのだと、無意識にいつも感じる


何をした訳ではないのに「 私は、汚い人間」

この感覚を持つ人、

この意味が分からない
一歩間違うと頭の中が狂いそうな自分の感覚の根源

何かは、分からないけど
無意識に、自分は汚いと感じる感覚が
自身の自信の無さや自己否定に繋がる女性

この世の中に、一定数以上
必ずいる



私にはあった

子どもの頃から、漠然と自分は汚いと言う
思いに、意味なく苛まれ
自己否定感に陥いる感覚

見た目は子どもの、アダルトチルドレン


自分自身の過去世が、感覚として
分かったことで、腑に落ちた

「 私の一つ前の子の、自己否定の感覚を
 残したまま、私が生まれ変わったんだ」


リアルは私のセイではない


誰かが、分かってくれる訳ない
これは、当然なんだ
自分だって何から来るものか分かっていないんだから
女性としての尊厳を踏み躪られそして潰される

一つ前に そのような世界に生きざるえなかった
女性の魂を抱え持ったまま

また生まれ変わった人が、無意識に知らないで抱え持つ
ある意味、特殊感覚

特殊だから、人と違う

特殊だから人には理解は絶対できない
ましてや、男性にこの感覚の理解を求める

無理な話


そして同じ女性でも 表側に生きた人は
色メガネで見る世界だから、理解が出来ない


それが「誰も私の気持ちなんか分かってくれない」

分かる訳がないのだと

だけどその感覚を持つ人は 一人二人ではない
あの時代はたくさんいた


この感覚がどこから来ているものか?
感覚としては分かるけど気がつく事ができない

この感覚は、その世界を過去世に持つ人しか
絶対に分からない理解できない感覚だからこそ

いつか必要な人にこの言葉が届くように
あえて文字にして言葉にしました


 

そして、そのような場所に売るのは
 あの時代は 全てにおいて 親なのだと

一つ前は ほぼ今の自分と同じ

それは、うちの場合は父親も同じ
リアル、花街に娘を
自分の至福を肥やす為売った父親

あの父親は過去世でも、実の父親だったんだ
だからあんな事を、普通に言える

やはり、因縁

私を守る為に生きた母親と
私を、花街に売った父親が夫婦になり私が生まれた
それは、すぐ別れるに決まってる




自分に負けたらいけない相手?
それは、今になると父親ではない

その究極は、他人ではなくて

もしかしたらら、自己否定の原因になる
過去世の自分自身なのかもしれない

今 生きている自分は 過去に生きた自分ではもうない

だけど、魂は同じだけど赤の他人

今 生きている自分が、
過去に生きた自分自身に負けてはいけない


これは、過去世に抱える
自分自身のインナーチャイルドたる魂レベルのトラウマ

心の傷なのだと

魂レベルのトラウマを深く持つ人は
人様より、繊細な感覚を深く持つ

トラウマ🟰インナーチャイルド




その始まりの始まりが、いつの時代も


家庭環境なるものから、現れてくると


その根本たる原因は、やはり家族でも他人
私は、思うんだな



そして、私が人を見る時に何気見てる事
 

いつも下から上に人を見上げる癖がある人は
自己否定をしやすくて

上から下に人を見下す癖がある人は、他者否定をする

あなたは、どっちのタイプかしら?