佐々木高氏、彼は本名よりむしろ号の道誉の名でよく知られているだろう。

北朝方の名将にして、いわゆる「ばさら大名」の魁であった道誉の生き様はかなり自由と言うか、権威を屁とも思わぬ御仁であった。色々と痛快なエピソードの持ち主である彼は、漫画でも大人気の前田慶次の先輩とも言える存在であろう。

 

今回はそんな道誉のエピソードの一つを紹介する。

南北朝の争乱の真っ只中…京の都は楠木正成の三男でこれまた名将である楠木正儀が率いる南朝方の猛攻で陥落寸前に陥った。そこでいよいよ道誉も落ちのびる段階になった時、部下が屋敷と財宝を焼き払うように進言する。この当時(と言うより戦時全般において)のならわしとして捨て置かれた宝物は間違いなく略奪の対象となるからである。

だが、ここで道誉は敢えて屋敷と宝物を残す決断をとる。

その理由は「おそらく正儀はこの屋敷を本陣とするだろう、奴は略奪などする漢ではない。」

それどころか道誉は正儀をもてなす為に家人まで残して去ったのである。

 

そして…正儀は道誉が思ったとおりの人間であった。道誉の粋な態度に感じ入った正儀は宝物には一切手をつけず、そのまま道誉の屋敷を自分の屋敷とした。

それを知った南朝方の細川清氏と言う無粋者が「奴の屋敷など焼き払ってやる、そこをどけ」と迫る。それに対して正儀は「我らが京を手にした今はこの屋敷は道誉のものではなく私のものです。それとも細川殿、京の都がすぐにでも奴らに奪い返されるとでも思われているのか?」と返す。これには清氏、ぐうの音も出なかったと言う。 

やがて、北朝方の反撃に遭い正儀は京都を去る事になる。だが、その際にも、道誉の屋敷や宝物に手をつけずに退散したばかりか、道誉がやったように彼をもてなす為の家人を残しただけではなく、楠木家伝来の太刀と鎧を置いてから去っているのである。

 

道誉の粋に対して正儀も粋をもって返した訳である。いや、ニクイねえ。

以上、殺伐とした南北朝の戦場におけるちょっといい話でした。