さてさて・・・ヒマんなんで続きを更新しますよぉ~~~~![]()
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8時08分の特急列車に乗った我々観光軍団(とはいっても3人ですが)
1時間20分の鉄道の旅を満喫・・・と思ったら
(勝クンのストレートより速いかも(笑))
しかも停車した駅に着くとあっという間にドア閉める
(駆け込み乗車は絶対できない![]()
)
自分が今どのヘン(どの町)にいるのか分からんくらいの運転で・・・
あ・・・景色は堪能できました
緑と川のキレイなトコを走っておりました![]()
9時30分、宇和島に到着!
先頭車両を見たら・・・
しかも半分はグリーン車でして・・・
グリーンというよりはピンク車ですが![]()
これはチビっ子が乗りたがりそうだ![]()
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(ちなみにこの日は平日ということもあって1人も乗っていませんでした![]()
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チビっ子諸君!お父さん、お母さん、夏休みに待ってるぞぃ!![]()
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宇和島といえば・・・
この日は試合がありませんでしたが
闘牛は島根県の隠岐の島も有名であちらでは牛突きと言ってました。
20年ほど前に隠岐の島に行った時、放牧されてる闘牛を見ましたが・・・デカイのなんの
((゚m゚;)
当時は隠岐の島の牛が日本一強くてこの宇和島の牛は歯が立たなかったそうです・・・
今はどうじゃろ![]()
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ちっちゃいですねぇ~~~~![]()
町をてくてく![]()
こんな建て方あんま見たことなかったんで興味深く眺めていたら地元のおばあちゃんに
「このヘンで泳いでるのはみんなボラだよ
」
と声をかけてくれました。
おばあちゃん、おいら達は川じゃなくこの家見てました(笑)
10分くらい歩いて・・・
軽ぅ~~~~い登山です![]()
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緑の木々を抜きながら・・・天守か目の前にあるのになかなか辿り着けず![]()
(これが城攻めの醍醐味
)
天守ちっちゃ
とお思いでしょうが、これが江戸時代から残ってる12のお城の1つであります宇和島城でございます![]()
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現存のお城ですから・・・
宇和島港を望む
入り組んだリアス式海岸なんですよぉ~![]()
このヘンの地形は岩手県の太平洋岸に似通ってますから、南海トラフ大地震が発生した時は同じような津波が来る恐れがありますネ・・・![]()
その時はこのお城を目指して非難すべきですネ♪
ここなら安全です![]()
ただ途中に大雨による地すべりの修復工事があちこちにありましたが・・・![]()
後ろ(北)側は山で囲まれてて、濠をめぐらせまくてもこの城が天然の要害に守られているのが分かりますネ![]()
日本で1番最初の蒸気船を手がけたお殿様です![]()
(ちなみに、製作を依頼されたのは長州藩士・大村益次郎。当時大阪の緒方洪庵の蘭学塾で勉強してた益次郎の知識を買って起用された。のちに益次郎は長州藩の奇兵隊の参謀になり、日本陸軍の基礎になる軍隊を編成した)
宇和島藩の伊達さんと仙台藩の伊達さんは伊達政宗さんのお子さんが当主なんだよ![]()
正室のお子さんが仙台藩、側室のお子さんが宇和島藩の藩主になったの![]()
正宗さんは家康さんにとって1番恐ろしい相手だった。けど、他の大名みたいなミスを一切しないもんだから領地を取り上げるコトができなかった・・・。
正宗さんのお子さんも優秀で二人で組まれると家康さんが死んだ後にナニが起こるか分からない・・・
それで考えたのが兄弟を引き離すという異例の措置をしたんだ。
こうすれば幕府に反旗を翻(ひるがえ)しても勢力が分散する、考えたんだね![]()
でも、仙台伊達藩・宇和島伊達藩ともに反旗を翻すコトなど考えておらず、幕末まで両藩は残ったんだ![]()
家康さんの取り越し苦労だったんだね![]()
ちなみに
昔から言われている伊達者という言葉(男性によく使われる服装などのセンスのよさを表現した言葉)は伊達政宗公の豪奢な服装から生まれた言葉なんだよ![]()
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以上、合ってるかどうか分からないウンチクでございましたm(_ _ )m




















