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朝カフェ後のさんぽ


秋香る朝、

カフェの余韻を抱えて歩いたら、

風の居場所にたどり着いた。

木々がキラキラしていた。














10月に金沢駅近くに宿をとり

朝はホテル近くのカフェで朝食

その後に少し散歩して見つけた公園です


熊被害とメガソーラー──自然を追い詰めるのは誰か


最近、熊による人身被害が全国的に増えています。特に秋田県では深刻な状況が続いているようです。

ニュースを見ながら、ふと気づいたことがあります。


コロナ禍の頃、飛行機を避けて車で九州へ向かった際、山陽道沿いの風景に違和感を覚えました。

山を切り崩し、無数のソーラーパネルが並ぶ光景。飛行機から見ても、山の中にギラギラと光るメガソーラー。

「再生可能エネルギー」「脱炭素」──その名のもとに、森林が失われている現実。

この異常な開発を推進した政治家たちに、日本の自然を守る心があるとは思えませんでした。


AIで調べてみたところ、

メガソーラーの設置が最も進んでいる県は

何処だと思いますか?

意外にも、熊被害が多い秋田県はメガソーラーの普及率が低い県でした。


で、正解は宮城県です。



ここで一つの仮説が浮かびました。

宮城県で住処を失った動物たちが、

隣の秋田県へ移動しているのではないか。

自然が多く残る秋田県に、熊たちが流れ込む。


しかし、

そこにはすでに縄張りを持つ熊たちがいる。

縄張り争いの末、民家近くへと追いやられ、

人との接触が増える──これは必然かもしれません。


今、

人を襲っている熊は

絶滅危惧種のツキノワグマです。

だからこそ、

これはただの「熊害」ではなく、

もっと根深い異常事態なのです。


そしてもう一つ。

原子力発電を止めることが

「安全」だと考える人が多いですが、

実際には止めている原子炉も危険です。

使用済み核燃料の冷却は続けなければならず、

老朽化や自然災害のリスクもあります。

1番心配してる地震ですが、

「止めているから安全」

というのは幻想です。


存在している限り、管理と責任が必要です。


僕は中学生の頃から原発には反対してきました。


でも、

すでに作ってしまったものを

「ただ止める」だけでは、

問題の本質を見失う。

新たな原発建設や

高速増殖炉のような危険な技術には

反対すべきですが、

既存の施設をどう安全に使い、

どう管理するかを考えることこそが、

現実的な責任だと思います。


脱炭素の理念も、

原発反対の声も、

それ自体が悪いわけではない。

僕も原発反対だし

でも、

それを利用して利益を得る者たち、

そして本質を見ようとしない社会の姿勢こそが、

熊を追い詰めている。


なんの罪もない熊が、

人間の選択の犠牲になっている──

この現実を、もっと多くの人に考えてほしい。



熊が選んだのではない。

選んだのは、私たちだった。

そのことに、そろそろ気づくべきだと思う。



イノシシ被害も!

メガソーラーなのではと思う🐗




文明の発展と身体の解離(幸せを握りしめ滅びゆく日本)

わたしたちは、

進歩の名のもとに多くを手にしてきた。

技術、知識、便利さ、

自由——それらは確かに、

暮らしを豊かにした。

けれどその歩みの中で、

ひとつの静かな断絶が生まれていた。

それは、身体の時間と社会の時間のズレ。

生命のリズムと文明の速度の乖離。

そして今、出生率の低下という現象が、

「少子化」という言葉にすり替えられている。

まるで、社会の設計に問題はなく、

ただ人々が子どもを持たなくなっただけのように。だが本当は、

身体が子を宿す力を持つ時期に、

社会がその営みを許さない構造がある。

この詩は、

そんな静かな違和感に耳を澄ませたものです。

誰もが感じながら、

なかなか言葉にできないこと。

「文明の発展と身体の解離」——

それは、未来を見つめるための、

小さな問いかけです。






「文明の発展と身体の解離」


素敵な国、日本に生まれた。

外国に行けば行くほど、

その美しさに気づく。


だが、その美の奥に

滅びへと進む静かな幸せ


十二の春、

身体はそっと芽吹いた。

いい学校、いい会社へと

追いたてられ

大学入学

二十二で名刺を持ち、

二十六で一人前と呼ばれ、

三十でようやく結婚を考える。


気づいたときには、

身体の声は遠く、

未来を宿す扉は

静かに重くなっていた。


誰もが知っている。

けれど誰も言えない。

優しさの仮面をかぶった沈黙が、

真実の言葉を飲み込んでいく。


子を持つことは、

計画と予算と覚悟の果てにある。


それはもう、

自然な営みではなくなっていた。

文明は進んでいく。

でも、身体はその速さに

ついていけない。


未来を育む力が、

少しずつ削られていくとき、

文明は、

静かに崩れていく。

誰にも気づかれないまま。







僕が旅をした国と比べると、

日本は便利で幸せな国だなぁ〜と感じます。


ただ、この状態は未来に続くのでしょうか。

未来に繋げてくれる子どもたちが少ない今、

この構造は、もう変えられないのでしょうか。


小学校から高校、そして大学へ——

その道筋は、

いつの間にか「当たり前」になりました。


僕が子どもの頃、

大学は「もっと学びたい人が行く場所」でした。

研究したい人、問いを深めたい人のための場。

でも今は、大学院がその役割を担い、

大学は社会構造の一部になってしまったように感じます。


大企業の採用も「大学卒」が前提。

選択ではなく、通過点。


せめて、20歳で社会に出られる構造に

見直すことはできないのでしょうか。

健康寿命は伸びていますが、

身体が未来を宿す力を持つ時期は変わりません。

そして、社会がその営みを許さない。


このまま、

子どもが生まれにくい社会構造を続けていけば、


日本人は、静かに、

少なくなっていくのかもしれません。


それは、誰かの選択ではなく、

構造が生み出す沈黙の結果。


この詩が、

そんな問いを語るきっかけになればと願っています。


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