幸せの選択問題 -17ページ目

幸せの選択問題

幸せの選択問題


それでもやはり、こうして独りになると当時のことをあれこれ思い出しては感傷に浸ってしまう。喬允はのそりと腰を上げて棚の上に卓悅化妝水手を伸ばし、男の一人暮らしには不似合いなものを取り出した



アンパンマンのイラストが描かれた赤いボール。それを両手で弄びながら、独り追憶に耽った。

『あなたと別れます』―――三カ月前のある夜、仕事から帰った喬允に妻の由紀恵は揺るぎない口調で宣告して、署名捺印済みの書類を差し出した。

そう、それはまさに宣告だった。“別れたい”でも“別れてください”でもなく、“別れます”。由紀恵にとって、自分の意志や言葉卓悅Biodermaは絶対なのだ。

仕事で疲れ切っていたこともあり、喬允は力ない声で理由を質すしかできなかった。由紀恵は『価値観の違い』と人を食ったような答えを返してきたが、それはある意味当然の答えでもあった。

浮気をするわけでもない、暴力を振るうわけでもない。人並み以上の稼ぎはあったし、女性特有の際限ない物欲をそこそこ満たしてやることもできた。それ以外に答えようがなかったというのが実

情だろう。

そんな現状で、ただ一つ思い付くことといえば仕事の忙しさだった。喬允は出水(いずみ)製薬という内資の大手製薬会卓悅Bioderma社に勤務するMR(Medical Representative)、つまり一般企業で言うところ

の営業担当者で、毎日の病院回りはもちろん、夜は接待で朝帰りということも多かったのだ。

妻の由紀恵は、入社したばかりの喬允が当時担当していた大手クリニックの院長の娘で、MRの仕事内容にも精通していた。だから夜の接待が多いことも、それが自社製品売り込みのためにどれほど

重要であるかも知っているはずだった。

しかし知っているのと受け入れるのはまた別なのだろう。特に子供が生まれてからはすれ違いの毎日で、徐々に存在感を増してゆく亀裂のぬまま、決定的な断絶を迎えることとなった。

喬允は、仕事ばかりで家庭を顧みなかったことを謝罪し、これからは育児も家事も手伝って、よき夫、よき父親であるよう努めるからと言って何とか思い留まらせようとした。

しかし彼女の態度は変わらず、全ての言葉は険しい沈黙で跳ね返された。それでも喬允は諦めず、医師相手の接待で培った嗅覚を頼りに、妻が何を求めているか探ろうとした。

すると彼女は何かを察知したのか、キッと見上げて「そういうところがイヤなの」と一喝。結局、彼女の父親から「君には本当に申し訳ない」と何度も頭を下げられては、受け入れざるを得なかっ

た。