子供の頃の大晦日と言うと、大掃除!

私はぐずぐずしていたので、大抵は大晦日まで部屋の掃除をしていた。


父も姉も何か片付けや掃除をしていたような?

母は手作りのお節料理作りで、早朝から料理をしていたような気がする。


(祖父母とのお正月、私が赤ちゃんだった頃)


夕方からは早くお風呂に入って、(その頃は祖父母と同居していて、お風呂を借りていたので順番に入っていた)大晦日の夕食には必ず、鯛の尾頭付きが出ていた。


母は夕食が終わると、私たちの晴れ着を縫っていて、元旦に初詣に行くのに間に合わせる為に必死になってミシンに向かっていた覚えがある。


(ママと初詣) 1964年ごろ


(お姉ちゃんと鎌倉)1964年ごろ


元旦の朝は、おせち、お雑煮を食べて、近所の八幡様に初詣! 帰ってくると、テレビのお笑い番組を必ず見ていた。 


その後は母得意の百人一首、私は分からないので、最後に必ず坊主捲りになった! 夜になるとこれも恒例の花札大会となった!

母が強く、父が必ず負けていた。点数はマッチ棒を使って数えていて、誰かのが失くなると終った。

 

姉達がお嫁にいき、祖父母達との同居が終わった頃からは、年末年始は両親と旅行に出た。


最初の頃は、父方の祖父が京都の有名な建築技師だったので、その神社仏閣を見て歩くことを目的に京都、奈良で過ごした。

ホテルや旅館のお雑煮は、ほぼ白味噌、年越しそばは鰊蕎麦! その他にも京都の冬は美味しい物(湯豆腐、すき焼き等)が沢山あって、グルメ旅となった。


ただ、京都は寒い!底冷えがして、気がつけば、トイレを探していた(笑)


父と倉敷アイビースクエア 1979年


倉敷 1979年


京都も飽きてきて、今度は乗っていれば、色々連れて行ってくれるバス旅行になり、山陰山陽、や雪深い温泉などにも行った!


 年々、両親が年老いてきたので、父が亡くなるまで、お正月は箱根の温泉となった。


雪の降った年は、宿迄、辿り着けずに強羅の駅まで迎えにきてもらった!

それでも2泊して1月2日の午前中に宿を出るのだが、この日は、箱根は駅伝で大混雑!駅伝の選手が箱根湯本に着く前ロマンスカーに乗車するか、どこかでゆっくりランチをしてから湯本に出るか、どちらかだった。

ロマンスカーの中から選手が走るのを見た事もあった!


(2013年 箱根旅館)


(2013年 星の王子様ミュージアム)

父が亡くなってから、一度だけ母と二人のお正月を箱根で過ごしたが、やはり年老いた母と畳でのお正月は厳しくなってきた。


(ホテルでお正月) 2021年


そこで、都内ホテルのお正月プランを利用しようと思い立ったが、これが大変!

8月から予約の争奪戦となる。人気アーティストのライブのごとく、電話をかけまくるが繋がらず、繋がった時には、キャンセル待ちとなる。

素敵なホテルの様子は、またの機会に紹介するとし、母が亡くなった年迄、お正月はホテルステイ、最後の年は、元旦から倒れ、救急車で病院へと運ばれたが!


そして、今、私は、1人の年末年始を過ごしている。昨年は喪中にも関わらず、おせちを食べたく、一人前のお取り寄せ、ワインを飲んだくれ、過ごした!


今年も同様に、年越しそばは、叔母と食べ、大晦日はお寿司の出前で飲んだくれる予定!正月もおせちでのんびり、飲んだくれる!

私は酒飲みではないが、一年に一回だけ日本酒で利酒大会をする。それが、大晦日!



今年はしっかり、利酒セットを用意して準備万端である!


さあ、2024年は、飛ぶぞ!



 

 

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