前回の日記にて投稿させて頂きましたトップハムハット狂さんの楽曲から派生して歌ってみたを聞き、それらをカバーしていたAokiro!さんという方の楽曲を聞くようになり、これまた前回同様に歌声と歌唱力に大きく衝撃を受け、日常的に聞くようになりました。そんな時投稿されたのがこの「しんでもいいよ」という曲でありました。

MVの完成度も高く、TurtleHeadBoy的にはMV含めての音楽になっているような気がしますので、ぜひご視聴下さい。

 

さて首記の件、今回はその「しんでもいいよ」の歌詞の意味について、私TurtleHeadBoyが思う感想というか考察にチャレンジしてみたいと思います。あくまでも私TurtleHeadBoyが聞いて感じたことです。

 

歌詞は下記で見ることができます。

 

https://linkco.re/DZanz2z6/songs/1844724/lyrics

 

”画面の向こう側の玄関

宗教家をこき下ろしといて

マジ神!なんてよだれ垂らすんだ

嫌われ者の政治家も

いつかに子供の手握っては

頬を緩ませた時があったらしい

正解があやふやな世界...”

 

 -舞台は2009~2010年あたりの小〜中学生時代でしょうか

当時はニコ動にて宗教勧誘撃退だとか、そんな過激な動画が流行った時期だと思います。

それを見て非難されて当然だ。と思う反面、一方的に非難され過ぎてて、可哀相になります。

皆に嫌われている政治家でさえ子供の手を握って微笑んでいたんだろうかと想像し、現実では人が表に出さない本性や本質について考え始めます。

 

”しんでもいいよ しんでもいいよ

命はタイセツなんてゆうけど

しんでもいいよ しんでもいいよ

キレイな言葉でドヤれば!?

どうでもいいよ どうでもいいよ

どうせお前のお荷物だし

どうでもいいよ どうでもいいよ

だって倫理観ってぐっちゃぐちゃ

...あの子に嫌われたらどうしよう

調味料かけただけ増す異常...”

 

 -考えた末行き着いた答えは”しんでもいいしどうなってもいい”でした。

一方的な批判に思うところはありつつも、ネットで過激な情報を取り入れた結果自分の思想も過激なものになっていったのです。

唯一の学校の友達にさえもその子のお荷物だと考えるようになっていきました。

 

”だめだよ いじめだめだよ...

...トロッコの舵を切るだけ

究極、なんて笑わせるよね

考えるだけ馬鹿

目でもつむっとけ!..."

 

 -学校内でいじめを受けていましたが、ある時別の子がいじめられているのを目撃します。

哲学として有名なトロッコ問題がありますが、いじめられる辛さを知っている自分は即座にその子を助けようとします。そんな時もう一人の自分が助けようとする自分を邪魔します。

 

”しんでもいいよ しんでもいいよ

唯一性に殺される前に...

...固定させたもん勝ちなんだよ

観念ってもんは...”

 

 -もう一人の自分は社会に波風立てずに生きていく為の”いじめられる”という役割を知っていたのです。

歌詞にしょうもないじゃんけんの連続とありますが、最終的に声のでかいやつが勝つと言いますか、そんな世界で生きていく意味が見いだせなくなっていきます。

 

”答えがジャムってる世界で...

...どんな答えも許せるから”

 

 -イカれてるのは奴らだ、邪魔な子供は遺棄(息)してさと、世の中に必要のない人間ばかりが生きてるじゃないか、と思います。大人達はいじめはダメと言うけど、多数派の味方で少数派の自分を助けてくれません。

自分をどうすれば正当化出来るのか苦悩していた時、もう一人の自分が理解してくれ、もう一人の自分は死んでしまいます。

過激でありながらも、”もう一人の自分”の思想もわからなくもなかった自分は焦ります。

 

ここから曲が大きく転調し、歌詞も大きく変わります。

私TurtleHeadBoy的には学校を卒業した後なのかなと思います。

 

”赤い目を少し伏せ

ゆらゆら揺れていた

風鈴のようにその蚊帳の中で...

...ほおずきの色だけを信じてた”

 

 -死んでしまった”もう一人の自分”を思い出しながら、

成長した自分は今まで傷ついて泣いていた自分を周囲の人に悟られないように目を伏せたまま、

蚊帳の中(職場等)で風鈴のように、されるがまま言われるがままに、

かつての自分がそうしたように周囲に合わせて生きていました。

”ほおずきの色”とは学生時代に死んでしまったもう一人の自分

 

”あの子がベールを覗いた日...

...正しさなんてないじゃんか”

 

 -しかし上っ面の人の振る舞いだけではなく、本質だったり中身に目を向けたとき、

人間の醜さだったり汚さに、今まで自分を押し殺してまで大事にしてきた周囲の調和だったり、そういった考えが否定されてしまいます。

元々過激な思想を持っている自分は、そこで改めて人間としての正しさなんてなくて、自分の意志で生きる事の大切さに気付いていく...という曲なのではと思います。

 

以上が私TurtleHeadBoyなりの歌詞の考察になります。なかなか文面では表現が難しく、自分の学のなさも相まって言葉足らずな部分がありますが・・・

 

MVに主人公の青髪の女の子が出てきますが過激な思想を持つ”自分”は白装束であり、”もう一人の自分”は黒い服装であります。思想の違いも真逆なものであり、その辺の対比を描いているのかもしれません。

歌詞後半の”ほおずきの色”もAokiro!さんのイメージカラーである青色の反対色のオレンジであるとも言えなくもないので、

そのへんも踏まえた考察になります。

 

歌詞の出だしが動画サイトだったり、一方的に批判される政治家から始まることで、過激な思想に染まってしまう程の主人公の純粋さ・優しさだったり周囲に対する不満をすごく上手く表現しているなぁ。と私TurtleHeadBoyは感動致しました。

そのような表現があるから、サビで繰り返される「しんでもいいよ」という言葉は、私TurtleHeadBoyにはそうは聞こえなくて、

「生きてもいいよ」に感じるわけです。もしかしたら、その為の対比的な表現なのかもしれませんね!

 

余談ですが、高校時代に当時ハマっていたバンドの歌詞の意味を聞きに国語の先生を訪ね職員室に行ったことがありますが、

先生に、「各々思った事が歌詞の意味だよ」と言われTurtleHeadBoyは納得したのです。

今思うと上手い具合に躱された気もしますが、先生のおっしゃっていたことは正しいと思います。

また機会があれば、このような歌詞考察を行いたいと思います。