日本の国語教育が悪いのである。

今もあるのか?

「これを書いたときの作者の心境は?」

的な、最悪な試験問題。

頭おかしい。


こんなことを小学生の時分から、

無理やり考えさせるから、

日本ではなかなかプロフェッショナリズムというものに対する

理解が乏しいのである。


以前、

中島らもに聞いた話。

らもさんが、

野坂昭如先生から聞いたそーだ。

お嬢さんの宿題で、

『火垂るの墓』の作者は、

どんな気持ちで書いたのでしょう?

という問題があった。

お嬢さんは、

迷わず、本物の作者である、

野坂さんに聞いた。

野坂さんは、

「〆切りに追われて

ヒーヒーいいながら書いた」

と、答えた。

そしたら、お嬢さんにぶっ飛ばされたらしい。

当然、作者である、

野坂さんの回答こそが、

大正解なわけであるけど、

これは、学校では、

アウトなのである。


なにも、小説とかに限ったことではない。

新作映画のインタビューなんかもそーである。

「主人公の●●は、どんな男性なんですか?」

って、役者に聞いてもしょーがねーだろ?

それは、原作者か、

脚本家に聞くべき質問である。


AVの女優さん、男優さん、

はたまた風俗関係にお勤めの、

皆さんもそーであると推察する。

いちいちいちいち

「心をこめていたら」

身体がいくつあっても足りんのである。

むしろ、淡々と仕事をこなしつつ、

「本気に見える」という感じを醸成することが、

プロの技術である。


俺は、どーか?

俺もそーである。

書く文章に、

思いを込め過ぎると、

ろくでもねー文章になる。

むしろ、無風状態で、

カラカラに乾燥した状態で

書くことを心がけている。

その、ドライアップした精神状態のときこそ、

「風が吹いてくる」のである。

そんで、そんな原稿ほど、

褒められたりする。


シェフだってそーである。

「愛情こめてつくりました」

というのは、家庭料理、

お袋の味っちゅーやつである。

お金を取って料理をつくる以上、

クオリティの均一性を追究しなくてはいけないわけだからね。


そーゆー意味では、

太宰やゴッホ、芥川などは、

逆に珍しいタイプの作家だと、

断じざるを得ない。


思い出した。

かつて、

白州正子が、

北大路魯山人を称して、

「究極のど素人」

と言った。

うまい!

うますぎる!

と、俺は膝を打ったのであった。


って、俺は、

一体、何を書いているのだろー?