「好きなものに金かけろ」
である。
当たり前である。
俺は、
「大して好きでもないもの」に
金をかけられるほど、
生活に余裕はねーのだ。
更に、
「金をかける」
ためには、
絶対条件として、
「かけられるだけの金を持っている」
ということがある。
ない。
以上。
まあ、ここで、
やめてしまうのは、
もったいねーな。
少しだけ、
考えよう。
可処分所得というものがある。
例えば、1000円で昼飯を食うとする。
俺は、ほぼ好き嫌いがない、
いい子ちゃんのゴトーちゃんではあるが、
レバーはちょっと苦手である。
しかし、ハンガリー産のフォアグラは、
ちょっとうまいなぁとおもったりする、
生意気なゴトーちゃんである。
であるからして、
1000円の大枚をはたいて、
レバニラ定食を食う気にはなれん。
そもそも、俺は食欲というものが大してないのである。
欲求の赴かないところに、
お金はかけられないのである。
ならば、その1000円で、
本とかCDとか、
エロビデオとか買ったほうがいいなぁ、
とおもうわけである。
しかし、非常に無念なことに、
その1000円が危機に瀕しているのである。
であるからして、
「好きなもの」を増殖させることは、
生活破綻と直結するのである。
そーなのであった。
生活を維持するためには、
「好きなもの」を増やしてはいけないのだ。
むしろ、
「嫌いなもの」をどんどん増やしていけば、
俺は、金持ちになるかもしれん。
なるほど、これがヘーゲルが提唱した
『精神現象学』なのかもね、と得心した次第である。
とても、ややこしくなった俺の運勢である。
ところで、
筒井康隆先生と角川映画の
不朽の名作に
「時をかける少女」というのがある。
「金をかける少女」は、
援助交際を助長するアイデアなので、
きわめて慎重にならざるを得ない。
どうも、
俺は今、錯乱しているみたいだ。