大学2年生の正月、

「年賀状配達」の

アルバイトをやった。


なんか、

家で、

ゴロゴロしててもしょーがねーし、

ってんで、

確か、父親が申し込んでくれたのだとおもう。


台数が足りねーってんで、

カブは支給されず、

チャリで配達。

配達後は、

郵便物の仕分け作業。

元日前の通常配達もやらされた。


俺は、

存外に「仕事覚え」が早いほうである。

2日目にして、

全部の地図を覚え、

朝、9時ぐらいに、

チャリで出発。

11時には、

配達を終え、

局に帰還していた。

帰還後は仕分け。

それも3時ぐらいには終え、

終業まで、

違うことをやらされた。


元日の本番は、

あちこちで、

「お年玉」を頂戴した。

きちんとポチ袋に入った

1000円だったり、

タバコだったり。

いい時代であった。

なんで、そんなものをもらえたのか。

コレは、俺独自で開発した、

配達システムが効を奏したのである。


すなわち、

ただ、ポストに、

ポトンと入れるだけでは、

お年玉はもらえるわけがない。

そこで、一考。

俺は、

一軒一軒、

「おめでとうございます!お年賀状持ってまいりましたぁ!」

と、声掛けして回ったのである。

そしたら、意外なほど、

お年玉がもらえた。

だはは、と高笑いしたものである。


なんせ、大学生が時給450円だったかで、

高校生にいたっては、

350円ぐらいの、

もう、なんつーか最賃無視的なペイだったからね。


一週間もしないうちに、

俺は、課長クラスの局員と、

昼飯を毎日ともにするよーな関係になっていた。


あれは、

最終日だったか。

「ウチの局に来ない?

試験さえ受けてもらえば、

口利きするから」

ってマジに言われた。

俺は、丁重に辞退させていただいた。


今、おもうと、

とても安定した人生になったことだろー。


だが、

2週間のバイトを終えて、

「もらったギャラ」から、

郵便局までの

「交通費」を差っぴいたら、

純利はスズメの涙であった。


郵便局はノー・フューチャーだと、

感じ入った20歳のお正月であった。