「心にゆとりを」
である。
とても無理だな。
銀行行って残高みて、
無理だな、と思った。
資本主義における
「心のゆとり」
は
「懐のゆとり」
と、正比例している。
いや、現今では、
「心のゆとり」を
Xとし、
「懐のゆとり」を
Yにすると、
X=2Yないし、X=3Y ぐらかもしれんな。
したがって、
X=-5Yぐらいの俺は、
「心のゆとり」などというものは、
全く存在しない。
「心のメモリ」は、
外付けハードディスクである。
「愛のメモリ」はあるけどな。
ああ、ほしい。
「心のゆとり」。
ユトリロの絵でも持っていたら、
それを売り飛ばし、
懐のユトリロも
心のユトリロも
大変満足できると思う。
ああ、ユトリロの絵がほしい。
粗大ゴミの日に近所をさがしてみよー。