「あなたをフォローし始めました」が「あなたを尊敬し始めました」に見えてしょーがない俺。


脳みその電気信号が、身体に影響を与え、身体が、作品に、影響を与えてしまう。これは、本来の作品性における身体性ではない。平たく言うと、瀕死の状態で、喜劇を書くことこそが、作品に身体性を与えるのである。俺は、まったく、またまだである。


昭和の喜劇王、エノケンは、息子が、死んだ時に舞台にたっていた。泣きながら、芸をやった。観客に、同情され、もういいよ、と言われたという。エノケンは、挫折したのだ。観客に人生を見透かされてはいけない。作家は、その覚悟を持ち得るかどーかだ。俺はカート・コバーンになるつもりはない。


さあ、ミッドナイトランブラーの話をしよう! 俺はアイホン片手に家の中でミッドナイトランブリングする。ジャック・ザ・リッパーや売春婦にとっては、とても生きづらい世の中になってしまったけど。


俺は見上げることがない漆黒の夜空の下、黄宋時代の人肉工場を思う。自我をこよなく愛す人は、幸せだが、同時に悲惨である。大切な自我も含め、単なる肉塊でしか、ないのだから。そして、自我は、己の肉体とともに、ミンチにされる。


八甲田から、奇跡の生還を果たした兵士たち。彼らのその後は、どうなったのか? 凍傷で、手足を失った彼らは、「だるま」と、呼ばれた。蔑まれたのか? 否、日本中から、縁談が、殺到したのである。何故なら、彼らは、「奉国の士」として、崇められたからである。



危篤なう。死ねな、俺。がんばれゴトーちゃんジャパン!


カミナリなう。俺に、落ちそーな気配。すごい強迫観念中。