イェー !

各種支払してきたぜ、ベイベー!

銀行空いてたぜ !


ロケンロール支払である。

しかし、ロケンロール振込みは

どこからもなかった。


ロケンロール支払をしながら、

街の、つっても駅前の様子を

取材してきた。


渋谷は、

東京で一番のサッカーゲトーな街なので、

まあ、基準にはならんだろー。


俺の駅前は、

当たり前だが、

号泣している人も、

発狂している人もいなかった。


皆さん、普通に淡々と、

学校や会社や朝キャバなどへ

急いでいた。

お百姓さんは、野良仕事。

魚屋はマグロの解体を始めていた。


俺は、一度、父親に、

「玉音放送を聴いてどー思ったか」

と、尋ねたことがある。

驚くべき答えが返ってきた。

「なんとも思わなかった」


まあ、こんな俺の父親だからして、

栴檀は双葉より出でてなんとやら、

なので、

まあ、相当変わっておる。

が、しかし、

「なんとも思わなかった」はねーだろーよ。

と、思ったものたが、

よくよく考えてみると、

戦争の直接的な被害を受けていない人間にとっては、

もしかしたら、

こーいうフィーリングもあったのかも知れない、

と思い直した。

もちろん、被害にあった方の心中如何ばかりか、

と拝察する。


しかし、日本人はもともとドライなのである。


明治維新で、

日本中が大揺れ !

がんばれ ! 龍馬ジャパン !

みたいなことになっていたかというと、

全然その逆で、

ほとんどの日本人にとっては、

何が起こっているのかすら、

知らんかったし、

別にご一新になろーが、

どーでもいいことであった。


このよーなメンタリティだからこそ、

敗戦のショックも覚めやらぬうち、

世界でも類を見ない発展を遂げたのである。


一億玉砕から

「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ」

までの道のりは、

信じられないほど短かった。


俺は、日本人のそんなところが好きである。


しかし、早くも4年後を語り始めた、

松木は嫌いである。