私はアメリカナイズされた女よ。


最初にアメリカナイズされたのは、

17歳のときに、

父ちゃんに頼み込んで、借金してもらい、

オクラホマのジャガイモ生産農家のところに、

ホームステイしたところから始まったの。




ホストファミリーは、

食うや食わずの生活をしていたわ。

パパ、ママ、グランパ、グランマ、そして幼い弟妹たち。

私の境遇とそっくりだったわ。

私は親近感を覚えたの。

キンドレー一家というファミリーだったの。


私は、日本でいつも食べていた、

「芋雑炊」を毎晩のよーに作ってあげたの。

そしら、パパのトムが、

あはは、いくらアメリカのクソど田舎っていったって、

トムってことはないわよね。

でも、そのトムが私の芋雑炊を一番喜んでくれた。

「おみつ、あんたはいい嫁になるよ」だって。

いつも言われていたわ。



キンドレー家には、私より一つ年上の、

ベンという息子がいたの。

地元のハイスクールを追試に次ぐ追試で、

やっと卒業したベンは、

すぐにジャガイモをつくり始めたらしいの。

もう、立派な百姓だったわ。



ある日、ベンに夕食後、呼び出されたの。

「おみつ、オラの嫁になってくれないか」って。

芋のツルで編んだネックレスを差し出して。


それから、子供のときにクリスマスプレゼントで買ってもらった、

シアーズの玩具のギターを取り出して、

歌ってくれた。

弦は3本ぐらいしか残っていなかった。

だけど「オクラホマのアイダホ芋娘」という歌を歌ってくれたの。

ベンの作詞・作曲だって言ってた。



でもね、私、若かったのよね。

こんなところにいたら、

アメリカナイズどころか、

ただのアメリカの田舎者に落ちぶれるって。。。




ベンが歌ってくれた翌日、

私は書置きを残し、NYへと旅立ったの。



ものすごい、大雑把な流れだけど、

これもアメリカナイズのせいね。




で、私はNYの回転すし店でアルバイトし始めたの。

フィフスアベニューをこっちから行って右に曲がって、

その次の角を左に曲がって、更に斜め左にまがったところに、

すし屋があったわ。




なんだか、疲れちゃった、

結構アメリカナイズの話って疲れるのよね。



もう、いいかしら。




明日は朝から、子供に、

ピーナッツバターサンドイッチを作ってやらなきゃいけないの。

続きはまたね。