「人の言葉にアタフタ」

である。


今更、何をかいわんや、である。

俺は、これまで、「アタフタ人生」を歩んできた。

いわば、「アタフタ名人」であり、

突然「アタフタするでしょう」などと言われても、

アタフタなどしないのである。

ざまあみやがれ、である。


加えて、俺は、

本日「柔の道」を習得する予定である。


「柔の道」こそが

アウフへーベンであるのだ。

すなわち、

立ち技で攻めるときは、

どっしり「充実」した気持ちで攻める。

寝技をかけられた時は、

それを外そうとして、アタフタする。

まさに、「否定の否定」を内包した、

アウフヘーベンの立証である。


かく言う俺も皆様から、

「気が狂っているやつだ」と

きっと思われていると思う。

しかし、一方で、

水道代金など、一度も滞納したことのない、

常識的社会人でもあるのだ。


このよーに、

「どっしりとアタフタ」

「狂気と常識」

というものは、

俺だけでなく、

亀井や、

石原良純にも内在しているものである、

ということを、

俺は、ヘーゲルの弁証法によって、

さっき立証したのである。


俺一人で立証したわけではない。

柔道の山下さんの力を借りて立証した。


なので、手柄を山下さんと分けなくてはいけない。


俺はどのぐらいの配分で分けなれば、いけないか

という問題についてアタフタする。

なんせ、俺はアタフタ名人である。


俺は、羊羹を使って実験する。

まず、半分に分けてみる。

しかし、羊羹が均一の質量バランスで、

形成されているとは限らない。

したがって、

「長さ」で分けるか、

「重さ」で分けるかで、

俺はアタフタする。

一人悩んでも仕方ないので、

羊羹屋のばあさんに聞いてみようと思う。


すると、羊羹屋のばあさんは、

目分量で、両手でバリっと、そして、にゅるっと、

羊羹を真っ二つにする。

アタフタする俺。

しかし、ばあさんも「柔の道」を究めた人らしい。

泰然としている。


ばあさんは言う。

「人生とは羊羹が真っ二つが如きなり」

俺は、ばあさんの得体の知れない、

「悟りの境地」に再度アタフタするのである。