「無駄遣いを正す」

だそーだ。


俺は無駄遣い甚だしき男である。

ゴトーと言えば無駄遣い、

無駄遣いと言えばゴトーと、

世間から言われ続けてきた

俺である。

骨の髄から無駄遣いな人間である。


もし、俺がハスボーのご亭主だったら、

もし、俺が枝野の奥方だったら、

絞殺され、

その後身体を仕分けされ、

ビニール袋に詰められ、

博多湾に投棄されるであろー。


しかし、一方で、

「無駄」とは何か?

という問題も考えなければならんだろー ?


金八先生如きの人物は

「世の中には無駄な人間なんていないんだ !」

「腐ったみかんなんていないんだ !」

と、錯乱しながら、

「無駄」という概念を全否定するであろー。


また

「もったいない運動」の創始者の方(お名前失念)などは、

「無駄なものなどアリマセン」

と、これまた「無駄」を全否定するだろー。


あるいは、

「人参や大根の皮で逸品料理が得意な奥さん」も

「無駄なところなどないんですよ」

と、「無駄」を全否定するだろー。


佐賀のがばいばあちゃんは、

「無駄全否定のカリスマ」である。


このように、

人格者というのは、

「無駄」を全否定するタイプが多い。


したがって、

俺如きが、

「無駄を正してしまったら」

せっかくの善意が「無駄」になるであろー。


そんなことを熟考する日になるであろー。