「貧乏」とは一体全体、どのような状況をさすのであろうか。
私などは、いわゆる世間で言わんとする貧乏なる輩であることは疑うべくもないのではあるが、しかし、一方で、自分が「貧乏」であると客体的に認識せしめられる日常的瞬間というものは、意外と少ない。
例えば、懐具合が寂しくて欲しいものが買えないとか、月末に家賃その他諸々の支払いをすべく銀行に赴き、減りゆく残金を確認したときぐらいしか「はっきりとした貧乏」を認識することはない。
普段、感じているのは「なんとなく貧乏」という茫漠としていて果てしない「気分」だけである。
古今東西において「貧乏」と呼ばれる状況というのは、主に「金銭的に」ゆとりがあるか否か、ということに基した話らしい。
「ということに基した話らしい」などと言うと、まったくもって安穏とし、浮世離れした「痴れ者」風情であるからこそ、かくの如き貧乏を余儀なくされているのである、と、まあ、評されても仕方あるまい。
ところが、金銭的に不遇なる状況をもってして、「貧乏」とするのであれば、これ総体的に、出納がマイナスになっていなければならん。
数学とも呼べぬ、簡単な一次関数により自然数としてプラスが「非貧乏」マイナスが「貧乏」、ゼロは本来どちらともよべないはずであるが、これは社会の仕組みとして「貧乏」に属する。
このような区分は、戦後の未曾有の「資本主義の発達」によるもので、人々をして、なかなか「貧乏」から脱却できないのは、あらかじめ将来支払うべき、なんらかの金銭が「手形」として存在しているからである。
それは、家賃であったり、子供の給食費であったり、様々な割賦ローンの類であったり、商いをやっている者であれば、仕入れ金や店舗構築費用だったりする。
また、近年ではクレジット・カードによる商いも盛んであるので、商人でなくともクレジット会社から「アドバンス」を借り受けて商品を手に入れ、カードを持ってして「手形」を振り出すことも容易になった。
(続く)