友達と恋人、どっちといる時間が長い? ブログネタ:友達と恋人、どっちといる時間が長い? 参加中
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前回の日記の続きをやはり今回は書かない。
っていうか、そんな気分じゃないや。

最近、ドラマの再放送でロングバケーションがやっていて、家に小説があったから読んでみた。
おぉ~というような人がけっこう出てるけど、(竹野内好きだけど)、何より、稲森いずみさんが今とはちょっと違う人みたいに感じる!かわいいね!稲森いずみにはまりそうです(謎)
「森にお花を摘みに行ってます~アッチョンブリケ!」
の留守電しちゃう桃ちゃんのキャラが好きです。

ピンクの花

ここからブログネタを少し書くと。
友達と恋人なら、後者のほうが多いかな。
友達まとめてなら、友達だけど。
浅い付き合いの友達っぽい人を友達って言うならね。

実際のところは一人でいる時間がとっても多い。
正直、誰かと一緒にいるよりも一人でいたい。一人のほうが自由に動けたりする。
でも、ずっと一人だとさびしい。だから誰かといる。

今日けっこう古い付き合いかもしれない友人に、オタクで腐女子だとカミングアウトされた。
(そんなにおおごとじゃないけど)でも、本人にしたらその告白は勇気がいることだったみたい。

私は彼女がそういう人だということを、実はずっと気がついていた。それが特別変わったことだと思わないから、話に出したりしなかった。でも、彼女にとっては気づいてるって言ってあげたほうが良かったのかな。楽だったのかな。

もし言ったら態度が変わると思ったとか、軽蔑されると思ったって言ってた。私はそんなことしない。誰が何を好きでも良いし、構わない。むしろ、何かに熱中できることは才能だと本気で思うし羨ましい。

そう思った。でも、そう思うのと同時に、彼女が何を好きでも構わない。どうでもいい。あなたの趣味に興味はないとも思っていた。その気持ちを自分にはごまかせなくて、本当に自分が冷たい人だと思った。私は彼女にあまり興味がないのだ。これって友達って言えるの。私はだいたい多くの人に興味がない。

ちょっとしたことが気に入らないと許せないし、うまくいかない。人に興味が持てなければ、持てたとしても一歩引いてしまって思うように人と仲良くなれない。人付き合いが本当におっくう。苦手。広くもなく狭くもない人間関係でただ浅く浅い。知り合いばかり。

ついでに、彼女はコスプレが趣味らしい。それが恥ずかしいことだと思っているらしい。別に楽しいなら仲間がいるなら、明るく笑ってればいいのに。
私自身はガンダム好きだし、アニメや漫画もそこそこ知っている。でも、知識はそこそこ。はまっているわけじゃない。面白いなぁーちょっと好きだなぁ程度。以前、自称オタクで腐女子の友達数人に、私はオタクではないし、今後もオタクにはならいだろうと予言された。理由は、周りにオタクがいてそういう話をしていてもずっと染まらないから。
確かに私は誰かの趣味にきれいに染まったことはない。影響はもちろん受けるけど、のめりこまない。意識してそうしているんじゃない、ただ夢中になれないから。何に対しても。中途半端だと思う。
こんな風に趣味にも、友達にも冷めていて、適当。こういう自分は本当にいやだと思う。

でも、無理に変わらなくてもいいんだよとかだいたい言われる。本当は無理にでも変わりたい。
彼女の趣味には興味がないけれど、オタクと自分を言えることについては羨ましく思ってる。私はオタクも腐女子も羨ましい。何かに夢中になりたい。羨ましがってばっかりだ。
私は友達と呼べる人がいなさ過ぎて、よく友達ってなんだろうと考えている。
恋人がいない時も、彼氏と同じくらい友達がほしいと思った。こんな自分は現代の病にかかっているとちょっと思っている。孤独といって寂しがる現代病はあると思う。

自分から相手を大切にすれば良いのに、そこから始めればいいのに、それがうまくできないから。
表面的に穏やかかもしれないけれど、本当はいつだってどうしていいかよく分からない。
どうしたら嫌われないんだろうとか、いつも不安。自分に自信がないわけじゃない。どちらかといえばプライドが高い。自分のことがとっても面倒くさい。
1日だけドラえもんが出てきたら、何を出してもらう? ブログネタ:1日だけドラえもんが出てきたら、何を出してもらう? 参加中
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もしもドラえもんが一日だけいたら、普通にデートしてみたいですドラえもん
私はそんなにかわいくないからアレだけど、猫のみーちゃんに対してみたいにデレデレしてほしい。
道具は、別に出してくれなくてもいい。もし出してくれるなら、ドラえもんが自分のために何を出してくれるのかとか、どんな楽しませ方をしてくれるのかが楽しみだと思う。妄想超特急鈴
☆  ☆  ☆  ☆  ☆
そして、今日の自己満足日記の本題。
謙虚とは何か。どういうことかということ。っていうよりも、なぜ謙虚が大切だと思うのかを少し書きたい。

最近、アウトロー文庫になっている本を一冊読んだ。私はその本の評価と同時に、アウトロー文庫にその本が位置づけられていることに驚いたし、やっぱりそうなのかとも思った。でも、社会の問題なのか、そのことをその場所を率先してアウトロー文庫として世間にだすのはどうなのかと思う。

確かに、一般論ではその問題(場所)は、異質なものとして認識されているかもしれない。実際に異質なのかもしれない。しかし、それをアウトローと発言力のあるメディアで出すのはどうなのか。そのことが疑問だし、悪意はなくとも、悪意があるように勘ぐってしまう。嫌な気持ちになる。理解なくしていることだったら、更にひどい。正直腹が立つ気持ちを私は持った。

アウトローって自分たちで言うのはいい。でも、まわりの人がいうことなの?アウトローは「無法者、法律無視」とかいう意味だよ(新明解より)
私はある特定の場所・人に対して、簡単にそういう言葉を使うことを許せない。もしかしたら、自分だってしっかりとした理解もなく間違えてしまうかもしれないけれど、仮にも出版社とか人に影響を与えるところが簡単に使うことは本当に腹立たしい。

だんだん書いていて腹が立ってきたので、だいぶ本題とは違う話をしてしまった。というより、本題にはまだ入っていない。けれど、今日はもう時間がなくて続きが書けない。続く。

(修正あり。次回は脱線ついでに外国人について少し思うことから)

アウトロー文庫はアウトロー大賞からできたんだろうなぁと思います。カタカナにすれば、本来言葉の持つ意味が和らぐとでも思っているのか。それとも不明快なものにしているのか。いろんな意味で疑問。

決断できずに悩んでいる時、こっちで平気かなと聞いてしまう。

そんなときは、それで大丈夫と言ってほしい。


間に合うかわからない時、不安なことがある時、本当に大丈夫かなと聞いてしまう。

そんなときは、きっと大丈夫と背中をぽんとたたいてほしい。


私にとって「大丈夫」は前に進むための呪文になっている。


man  くも  kumo☆☆  くもり  くも


でも本当は、大丈夫って言ってくれないほうがいいのかもしれない。

ダメだよ、もっと頑張りなよって言われたほうが、良い結果を出せるかもしれない。

もしくは、無理だよと言われたほうがきっぱり諦められていいのかもしれない。


「大丈夫」と言ってくれない人も、私のことを思って言ってくれたことならば嬉しい。


雲


でも、私はどうしても甘えてしまう。

「大丈夫」と言ってくれる人に自然と大丈夫かなって聞いてしまう。

私のことを思ってくれていても、くれてなくても、大丈夫といわれると安心するから。


逆に、私のためを思って大丈夫じゃないと言ってくれる人に腹を立ててしまったりする。

そんなこと分かっているよとか、少しくらい応援してよとか。

ただ単に言葉がきつい人にはげんなりする。でも、大丈夫じゃないって言ってくれる人こそ貴重なのかもしれないね。


くも  くも  くも


「大丈夫」と言ってくれないのはだいたい親。

でも、私のことを心配してくれてるからだっていうのは、ちゃんと分かってる。

分かってても、素直に聞けない。まだまだ子どもなのかも。


「大丈夫」って言ってくれるのは相方。だから、不安な時にはすぐ大丈夫かなって聞いちゃう。

大丈夫って言われると心強くなるから。


そういえば、面白いのはKさん。

私が大丈夫かなって相談をした時、「それが大丈夫かは自分(kさん)にはわからない。私自身で決めることだ。」って言われてしまった。その場を和ませるために大丈夫と言ってくれるのでもなく、間違ってると指摘してくれているわけでもない。でも、自分で決めることだし、自分で分かってることだから大丈夫って。そんな言葉に聞こえた。

もしかしたら、自分で決められるくらい自立しなくちゃだめだという意味なのかもしれないけど‥

あんまり、そういう風に言われたことがなかったから、おかしくなって笑えてくる。予想外。


まだまだ甘えて大丈夫かなって聞いてしまうけれど、大丈夫・大丈夫じゃない・自分で考えるって言ってくれる人がいるうちは、何度聞いても良いのかなって思えた。