当時、団塊世代のおっさん達の退職ラッシュの波が押し寄せていた。後10年ほどで大半のおっさんが退職を迎えるのだ。
昭和の物作りを支えてきたおっさん達は、本当に辛抱強かったと思う。そして、こよなく休憩時間を愛していた。私が高校を卒業し、就職氷河期に入社出来た会社の仕事場は金型製造部門だった。
現場の人員構成というと、親子ほど年の離れたおっさんと若手社員、と、極端な年齢構成だった。
そして、就職氷河期の影響を受けて同年代の層は非常に薄い。逆を言えば、ライバルがいない。その逆を言えば、比べられるプレッシャーもない。
そう。おっさん達が正義だった。
中卒、転職、コネ。
同じ物差しで振るいに掛けられた訳ではない、フリーダムなおっさん達だが、仕事を片付けるのは早かった。
おっさん達は、その上のおっさん達からこっぴどく怒られながら、仕事を片付ける技能を身に付けていったのだろ。
むしろ、身に付いてしまったんだろう。
そんな辛抱強く、休憩時間をこよなく愛するおっさんどもの現場に配属された私は、非常に可愛がってもらった。
むしろ、おっさん達が面白く、自ら話しかけに行くようにしていた。
私の性格は…
人懐っこい、頭が悪い、お調子者の、正義感の強い、小心者。と言った所だろう。
ひろゆき氏の言う、
"やる気のある無能は今すぐ殺せ"
は、まさに私の事であろう。
そんなやる気に満ち溢れた新入社員の私は、おっさん達に誉められたいが為に、色々な仕事を貰いながら、失敗と後悔と懺悔をしながら日々過ごしていた。
そこに、上長の登場だ。
「国家技能検定を受けないか?」
と言うものだった。
今までそんなものを持っていなくても、与えられた事はこなしているツ・モ・リだった。
若気の至りもあったであろう。
「そんなものは必要ないと思います。
運転免許書の様に、それがないと仕事が出来ないのであれば受けますが、取得して何の意味があるんですか?」と。
生意気な事を言っていたのを今でも覚えている。
そんなスタンスで、その後数年間過ごしていたが、いよいよおっさん達の退職ラッシュがスタートした。と、同時に30歳を目前にある感覚が芽生え始める。
・もし会社が潰れた時、何が残るのだろうか。
・履歴書に社歴は書けるが、具体的な資格は何もない。
・おっさん達から継承出来るものは、全て受け継いだのか?
もう。当時の私には国家技能検定を受けない選択肢はなかった。
なぜなら、おっさん達の中でも、ごく限られたおっさんしか取得していない資格であったこと。また、そのおっさん以降、誰もその資格を受けた事がない。
そんな理由から、
おっさん。その経験値受け継ぐぜ。と。
そこからはまぁ、悲惨だった。
口は出すが、手は出さない。(出せない。)
そら、当然だ。
ブランクがありすぎた。
そして、基本他人事なのだ。
標準時間:3時間
打ち切り終了時間:3時間30分
要は課題製作開始から3時30分を過ぎてしまうと、その時点で終了。不合格の烙印を押されるのだ。
そしてその課題とは、
厚さ5ミリの鉄板2枚から、所定の形状に削り出す時代錯誤な検定だ。課題図面には寸法公差(この間に入っていればOKという意味)が書いてあるが、±0.01だ。
なぜ、時代錯誤かと言うと、
ノコギリとヤスリ(鉄を削る道具)を使うた、
己の手のみで、全てを加工するものだからである。
基本的には高い所をいち早く見抜き、己の感覚で削って寸法公差に入れる。これの繰り返し作業となる。
そして、極めつけは本番の日程である。
当時はだいたい8月3週目の土曜日が本番となるが、この日程の為、盆休みは心が休まることがない。
練習開始は5月からスタートし、削っては測定、削っては測定。あぁぁ。
その内気付き始めるのよ。
組み合わせ寸法と言うものを確保すためには、±0.01では担保出来ないと言う事を。
そして、ノーマルのヤスリだと削り残しが出来てしまうことも。
色々とやってみて、感じて、対策して、
また繰り返す。
結局は15セットを練習で削ったさ。
盆休みも削ったさ。
そして、無事実技合格。
翌週に控える学科試験も無事合格。
よき青春の1ページだったと思う。
合格すれば、厚生労働省大臣から表彰してもらえ、仕上げ技能士と謳える。
特に自慢出来る事では無いが、
・測定精度の向上
・美的感覚
・はめあい感覚の習得
・工作機械のありがたみ
は体得出来ると思う。
そして、何より。
見守ってくれたおっさんからの
「おめでとう。やるやないか。」は、
格別の褒め言葉となり、ただただ嬉しかった。
そんな治工具仕上げ1級だったよ。
これからもし、受ける人が居るのであれば、
根気勝負であることと、ヨーカン(6面体ブロック)を上手く使うこと。
日ムラがあるため、練習の過程では常に平均点を伸ばすように心掛けること。
んじゃ。また書くよ。