1つ前のブログで元寇防塁を紹介しました。
元寇、つまり、中国の元王朝が二度にわたり日本に侵攻してきたんです。
そして、二回目に「神風」と呼ばれる暴風雨で、元の船がたくさん沈没して、日本を攻めるのを諦めたわけです。
その「神風」ですけど、ほんとに神風だったらしいですよ( ̄▽ ̄;)
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2025年10月20日のことです。
用事があって、福岡県福岡市を訪れました。![]()
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私のふるさとです![]()
この日の朝、ホテルをチェックアウトして、朝のうちに用事を済ませて、その後に訪れたのは、
福岡県福岡市西区生の松原1-9-3に鎮座されます
壱岐神社(いきじんじゃ)です![]()
福岡市西区のホームページ(西区の宝)からコピペ<m(__)m>
「日本書紀」に登場する壱岐値真根子(いきのあたいまねこ)をまつる神社です。
武内宿禰(たけのうちのすくね)(大和朝廷の初期に活躍したという伝承上の人物)は、都を留守にしている間に反乱の罪を着せられましたが、応神天皇の刺客に殺されようとしたとき、その身代わりとなったのが壱岐値真根子でした。やがて無実であることがわかり、壱岐真根子が自分の命を犠牲にしてまで武内宿禰につくしたことから、ここに祭神としてまつられました。
また、伝説では、生の松原の地名は、神功皇后が三韓出兵の折、松の小枝を逆さに挿して、戦勝を祈ったとき、その松が不思識なことに生きて栄えたことから名付けられたと伝えられています。後年その松は逆松といわれていましたが今は枯れ、幹だけが壱岐神社に奉納されています。
一の鳥居は、なんと「生の松原海水浴場」の波打ち際
のすぐそばにあるんです![]()
前回のブログの、一の鳥居から、壱岐神社の紹介を続けますね![]()
松原の中の、波打ち際の一の鳥居
一の鳥居からテクテク歩いて、途中で振り返った景色
そして、明治通りという道路を渡って、注連柱をくぐります。
注連柱のすぐ向こうにドーーーんと、肥前鳥居のような重厚感のある鳥居が立ってます。
そして、松原の中の参道をテクテク![]()
海岸の一の鳥居からの参道と合わせると、けっこう距離がありました。
立派な参道ですけど、車は通れません。
参道沿いの緑地に、松の木の小さな苗が飢えてありました![]()
鳥居と松が、なんか寄り添い合ってるようで、良いですね~![]()
境内の南側には、JR筑肥線が通ってます![]()
社殿も手水舎も真新しいです![]()
摂社 詳細不明
レゴブロック
で作った車が、たくさん供えてありました。
お団子も![]()
鳥の鳴き声がするので、上を見上げたら、、、高い木の枝に、カラス![]()
駐車場の前にあった、焼きそばやさん「想夫恋(そうふれん)」![]()
大分県の日田発祥の焼きそばで、もやしと豚の角切りの具材だけで、パリパリっと焼き上げた焼きそばです。
名前が素敵ですよね![]()
美味しいですよ![]()
テイクアウトして食べました![]()


























