今年(2025年)の7月3日のことです。
この日の一社目の神社は、
山口県防府市に五社ある玉祖神社(たまのおやじんじゃ)のうち、三社目の参拝になる田島の玉祖神社でした
二社目は、防府市の玉祖神社の四社目の参拝になる
防府市切畑の玉祖神社でした
三社目は、切畑の玉祖神社から近い、防府市台道の小俣八幡宮(おまたはちまんぐう)
四社目は、防府市惣社町の佐波神社(さばじんじゃ)
そして、次は、神社ではなくお寺を参拝しました。
山口県防府市国分寺町2-67
周防国分寺(すおうこくぶじ)
この前に参拝した佐波神社の前の旧山陽道を、西進すると、間もなく見えてくるのが
国分寺でした。
あまりのすばらしさに、足を止めずには、いえ、車を止めずにはいられませでした
裏の方の駐車所まで入って、参拝することにしました
楼門(仁王門)
私は、お寺には、あまり行きません。
お寺は、本堂が開いてないことが多く、御本尊と対峙することが難しいんです。
神社は、鳥居をくぐったときや、境内に足を入れたときに、パワーを感じることができます。
お寺は、仏像を、直に目にしないとパワーを受け取れないことが多いんです。
もちろん、山門をくぐったとき、あるいは、駐車場にまでパワーが満ちているお寺もありますけど、多くはないです。
それで、何となく、お寺の参拝は二の次になってしまうのです。。。
だけど、この風景に魅せられて
、参拝することにしました
国分寺のホームページからコピペ<m(__)m>
歴史
国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願(詔)によって諸国に68ケ寺建立された官立の寺院です。
その詔の中に『国泰らかに人楽しみ、災除き福至る』と国民の幸せを祈念され、当時流行っていた、疫病・戦乱から国民を守り、五穀の豊作の世となるようにと諸国に建立されました。
創建当初の国分寺は、寺域2町四方、その中に、南大門・中門・回廊・金堂・講堂・七重塔などの七堂伽藍がありました。また、本尊は、丈六の釈迦如来でした。
国分寺の正式名称は、
“金光明四天王護国の寺”といいます。
現在の伽藍は、奈良時代の創建時の位置に立っており、全国的に珍しいお寺です。
この度の、金堂の解体修理の過程での発掘調査で、現在修復している金堂は奈良時代、創建当初の金堂の上に再建されおり、創建当初から、その位置が動いてないことが、判明致しました。
現在の寺域は、東西に約1町、南北に2町の寺域を保持し、その中に、仁王門・金堂・聖天堂・二の門・持仏堂・庫裏・長屋・土蔵を現在に伝えています。
ご本尊は、室町時代の薬師如来坐像(重要文化財)で、その他に平安時代初期の日光・月光菩薩(重要文化財)、藤原時代初期の四天王(重要文化財)など、数多くの仏像を安置しています。
宗派は、高野山真言宗(別格本山)に属しています。
駐車場から見えた空
この前に訪れた佐波神社で見えた龍神雲です。
同じ場所にとどまっていました。
写真の右端の山は「天神山」
天神山の南の麓に、防府天満宮が御鎮座です
広い境内の向こう見える金堂
内側から見る楼門
金堂
金堂の前から見る楼門
大権現
聖天堂
たぶん、30年ぶり二度目の参拝です。
参拝できて、良かった