2キロほど痩せたいんですけど、めっちゃお腹が空くんです( ̄▽ ̄;)
寒いからかな。。。(・・?
雪が積もったし。。。
けさ、3時半に、けっこうがっつり白米食べたのに、
朝の8時には、ガッツリ空腹感
ま、4時間半たってるから、お腹すくわな
腹が減っては戦はできぬってことで、ラーメン作って食べました((´∀`))ケラケラ
あ。起きたの午前3時なので。((´∀`))ケラケラ
きのう、長距離運転して(300キロほど)、きょう出かけるのに、雪
が気になるし、股関節が痛むし
あまり眠れなかった。。。
10月8日のことです。
福岡県大牟田市の神社を訪れました。
まず、繁華街のアーケードから入る大牟田神社、
それから、重要文化財の石塔がある駛馬(はやめ)天満宮
その次に伺ったのが、大牟田熊野神社だったのですけど、、、
大牟田熊野神社の境内に隣接していて、立派な神社が御鎮座でした。
福岡県大牟田市鳥塚町88に鎮座します
三池藩総鎮守 三笠神社でした。
ここが、ですね、またまたものすごく道に迷ったんです。
ナビが、たぶん、距離的に近い方の道を選んでしまうんですね。
神社の裏の方の狭い道をクネクネと案内するから、くねくねぐるぐると迷ってしまいました。
そして、最後は、地元のお店の人に聞いて、教えてもらいました(;^_^A
ホームページより
ご祭神
三池藩藩祖 高橋紹運公(性海霊神)、
初代藩主 立花直次公(花岳霊神)、
宋雲院(玉峰霊神)
創建
天保6(1835)年
福岡観光Webクロスロードふくおかからのコピペです<m(__)m>
御祭神は旧三池藩祖高橋紹運公、初代藩主立花直次公、宋雲院(齋藤兵部太夫鎭實の妹)の三柱です。高橋紹運公は筑前岩屋城・宝満城主として主家大友宗麟に忠節を誓い大友家を支え守り抜きました。
天正14年(1586)夏、九州制圧をかけ北上する島津軍5万の大軍を迎え討った紹運公の手勢は763名。「一日で攻め落とす」と豪語する島津氏と14日間の戦国史上稀に見る激戦の末、玉砕しました(岩屋城の戦い)。紹運公の人柄は『高橋記』に「文武に通じ徳智謀達し、諸人に情深く忠賞も時宜に応じ私欲無く古今稀なる名将と記されています。
豊臣秀吉公は「乱世に咲く花」と紹運公を称え長男立花宗茂公に柳川藩を次男立花直次公に三池藩1万8千石を与えました。直次公は剣術に優れ柳生宗矩の門弟となり「新陰治源流」を開祖、宋雲院(紹運公の妻)は二男四女を産み温和な優しい人柄と家中より慕われました。
七代藩主立花種周公の時代、三池藩は文化2年(1805)奥州伊達郡下手渡村(福島県伊達市)へ移封となりました。その下手渡村で天保6年(1835)祖先の義烈を顕彰すべく
三笠神社が創建されました。
なんか、、、百獣の王の貫禄が漂う狛犬様です
こちらは、笑顔が可愛い狛犬様
表参道は、こんなに広い道なのに、なんで道に迷っちゃうんだ
遠くに一の鳥居が見えました
拝殿
いやぁ、風格のある社殿ですね
チラ見の御本殿
大きな木に守られて、摂社が並んでました
水神様
正一位荒熊稲荷大神様
素敵な大木
境内の続きに、熊野神社が御鎮座です。
熊野神社の、赤い柱の手水舎が見えています。
私の旅の相棒も写ってます
木が素敵です