宮市神社 この神社の神さまは、毎日、霊峰大山を眺めてる(*'▽') | 晴れたり、曇ったり、雨だったり、嵐だったり。。。

晴れたり、曇ったり、雨だったり、嵐だったり。。。

人生にはいろんなことがあって、いろんな日がありますよね~

8月5日のことです。

 

この日は、あさイチに、広島県庄原市に御鎮座の、意加美(おかみ)神社からの、

蘇羅比古神社(そらひこじんじゃ)から、口和町に御鎮座の多加意加美本宮神社(たかおかみほんぐうじんじゃ)を参拝した後、もう一社、存在をうっかり忘れるとこだった西城町の迩比都賣神社(にひつひめじんじゃ)からの、鳥取県日南町の多理(たり)神社を参拝しました。爆  笑

 

ここまでで、5社ですね。上差し

 

 

そして、今度は国道482号線を走っていて、またしても鳥居に遭遇しました神社目

 

 

鳥取県日野郡江府(こうふ)町大字宮市498に鎮座します

宮市神社(みやいちじんじゃ)でした上差し

 

この日の6社目ですウインク上差し

 

 

 

 

後ろを振り返ると、

霊峰大山が見えます目アップ

 

      

 

      

 

 

      伯耆国日野郡細原庄一之宮って書いてあるみたいウインク上差し

      

 

      彫刻が立派ですびっくり

      

 

      

 

写りが悪いんですけど、麒麟だそうですウインク      

 

御祭神は、

伊弉冉命さま

事解男命さま

速玉男命さま

 

高靇命さま(龍神様龍

菅原道眞さま

 

熊野権現の神様と、龍神様と天神様ですねウインク上差し

 

鳥取県の神社庁より

由緒

由緒往古より若一王子権現と称し、日野郡宮壹庄12ケ村総氏神である。天暦年間(950頃)、この地を開拓した豪族進氏(紀氏の別名)の産土神として紀州熊野より勧請したと伝えられる(社伝旧記)。その後、文明年間(1480頃)尼子氏家臣蜂塚安房守江美在城以来、二代三河守、三代丹波守、四代右衛門尉に至る80余年間崇敬が篤く、社領高13石6斗5升3合の寄進があった。永禄8年(1565)8月、蜂塚氏は毛利氏の臣吉川元春に滅ぼされ、これにより社領を失い社殿等も荒廃に至った。藩政時代池田氏により社領1石4斗一升3合の寄進が幕末まで行われた。明治初年、宮市神社と改称し、境内末社を合祀。昭和28年11月5日未明、放火により社殿が焼失した。昭和63年11月、社殿を旧態通り復元建立した。宮市地区に字聖(ヒズリ)と云う地名があり、進氏がこの高原を開拓したとき、御在所として自ら指揮を執った伝え、現在は御旅所となっている。地域住民はヒジリさんと呼んで大切に管理している。

 

      

 

      

 

 

 

どこかの遥拝所みたいですウインク

 

      ん~、神荒魂之宮遥拝之〇  最後の漢字がわからないショボーン 

      って書いてあるかなはてなマークはてなマーク

      

 

      栗爆  笑

      

 

摂社 北野神社 天満宮かなはてなマーク

 

この摂社も、彫刻が見事ですびっくりアップ

 

      

 

      

 

      御神木はてなマーク      

      

 

 

 

近況

老人ホームに入所していた母が、8月末に体調を壊しました。

そして、9月11日に入院しました。

 

私は、3日に一度ぐらい一泊2日で、母に会いに行っております。

そのついでに、そっち方面(北部九州)の神社を巡っております。

 

面会制限があって、少しの時間しか面会できないので、時間を有効利用してます。

だから、ちょっと疲れる日々を過ごしております。ニコニコ

疲れるのは、長距離運転のせいです( ̄▽ ̄;)