元の氏神様の「妻崎神社」に久々に参拝する(*^-^*) | 晴れたり、曇ったり、雨だったり、嵐だったり。。。

晴れたり、曇ったり、雨だったり、嵐だったり。。。

人生にはいろんなことがあって、いろんな日がありますよね~

山口県宇部市の妻崎開作(つまざきがいさく)に鎮座する

「妻崎(つまざき)神社」

 

      

 

高圧塔が、目障りですね(+_+)

 

        

 

           

 

          これは二の鳥居。一の鳥居は遠いので行きませんでした。

          

       

 

御祭神は

 

      

 

 宗像三女神さま

 少童大明神(わたつみだいみょうじん)さま=綿津見神さま

 豊玉姫大神さま   

 

海の神様が勢ぞろいでいらっしゃいます。

 

この地は「開作(かいさく)」なんです。

開作とは、海を埋め立てた干拓地です。

 

宇部市は、江戸時代頃から、海岸線をじわりじわりと埋めて、新しい土地を得てきたのです。

だから、海の神様なのです。

 

      

 

      

 

      

 

      観音堂もあります。

      

 

上の写真の本殿裏の、少し高くなっている土手が、干拓するために海をせき止めた堤防跡なんです。

 

      

 

      中野開作堤防跡と書いてあります。

      

 

      堤防の上

      

 

 

ここは、昭和17年の台風で、この近くの「厚東川」の堤防が決壊し、水害が起きたところなんです。

その時の水位は、下の写真の追悼の碑の左の棒の上のところで、2.3mと書いてあります。 

 

300人以上が犠牲になりました。

     

         

 

         

 

9年前に亡くなった義父は、お兄さんと一緒に、庭の木に登って助かったそうです。

なんです。

それと、台風の記念碑もこの神社にあるんです。

 

で、近郊の小学生が、郷土の勉強を兼ねて、遠足というか見学というか、毎年たくさん訪れています。

そのせいで、けっこうきれいに整備されてるようですね~

 

 

で、うちはですね、江戸時代に、開作によって作られた新しいこの地に、120年ぐらいずっと住んでた家なんですよ。

地元では、昔からある家です。

なのに、なんと、私の発案で引っ越しました、3年前に(´艸`*)

 

ここね、地盤が悪いんです。

だって、元は海ですもんね。波

 

博多湾の玄海島地震のときも、熊本地震の時も、地鳴りがすごかったんです。滝汗

熊本地震の時なんか、家がゆっさゆっさ揺れて、わたしゃ倒壊するんじゃないかと思って、夜中に猫黒猫を抱えて、家を飛び出しました。

 

外に出たら、私しかいませんでしたけど(*´Д`)

 

それに、ある日、庭を掘ったら、下は砂なんです。

砂ばっかりだったので、その砂で、孫のために砂場を作っちゃいました(´艸`*)

 

そして、さっきの台風の時に堤防が決壊した川は、家からけっこう近くにあるんです。

で、家の一方に、もう1つ川があって、その間に住んでたんです。

 

海抜3メートルぐらいしかないので、津波が川をさかのぼってきたら、間違いなく家は流されますよね。滝汗

 

で、災害が怖いので、引っ越しました。照れ

今は、標高16mで水害の心配ないし、それに、長女の家のすぐ近くなんです。

 

 

妻崎神社。

このすぐ横の小道を通って、週に4回、ゴミ捨てに行ってたんです。

35年間ずっとね。

 

神社の御神域を通って、ゴミ捨てに(´艸`*)

何百回も、お参りしたと思います。お願い

 

いやぁ、お世話になりました<m(__)m>

 

 

久しぶりに訪れて、なんか懐かしいなぁって思ってしまいました。ニコニコ

以前からですけど、この日も同じように、神社のパワーは、ほのかに感じました。キラキラ

 

 

余談

  同居していた義母は、32年前に子宮頸がんで、57歳で亡くなりました。

  それ以来、義父のお世話を23年して、義父は9年前に86歳で亡くなりました。

 

  義父は、亡くなる前日まで自宅で過ごしました。

  私、義父のことが大嫌いだったんです(*´Д`)

 

  なのに、逃げずに世話をしました。必要最低限の世話ですけど。

  そのストレスで、なんかいろいろ変な病気になりました。

 

  ストレスによる免疫低下による病気です。

  義父が亡くなったあとしばらくして、その病気はすっかり治りましたとさ。

 

  逃げなくてよかったって、思いました。

  義父と別居したり、施設に入ってもらったりせずに、自宅で最後まで過ごしてもらえたのでね。

  でも、すごく嫌いだったんですよ、ほんとに(*´Д`)

 

  実家の母に言わせると、私は苦労したらしいです( ´艸`)