”患者を殺してもいい” | しいたけ。のブログ

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夫 大芋(2011年生 女)小芋(2013年生 男)の四人家族。
ドタバタな日々に、元々の鳥頭(3歩歩けば忘れる)が絶賛進行中。
ホ・オポノポノのクリーニングで自由の感覚を日々上書き中。
イラスト描いたりクリーニングして引きこもりライフ満喫中です。

こんにちは。

アトリエ little willow
イラストレーターしいたけです🍄








堀江さんのブログのリンク先の記事だけど
本当、看護師現役時代に読みたかったな。

私が最後にいた科は、血液内科。
血液の癌の専門病棟。

同じ病院内でも当然
特殊性が強い科ってのはあって

血液内科ってのはまさにそう。
1年目に配属された膠原病内科もそう。
そういえば5年いた○○科なんか
特殊中の特殊じゃないか……!!
(特定される位特殊だから伏せる)

まぁそうはいっても他科も受け入れてたから
その科だけってことは無かったけど

何というか特殊で専門性が高いから
どうしても閉鎖的になるんですよ。
外の空気や情報が入ってきづらい。

私が病院辞めたきっかけって
そりゃまあ蓄積された諸々が主要因ですが
血液内科勤務ってのが大きいかな。

他の科だったらもしかして
まだ続けていたかもしれない。

私が勤務してた時は
例えば○○(血液癌)が発覚したら即入院し
確定診断のための骨髄検査、と並行して
とりあえず癌細胞を叩く化学療法開始し
問答無用で患者さんは無菌室に入室。

って流れでした。

もちろんその間に病状説明はされますが
外来からいきなり無菌室に運ばれて
クリアに理解出来る人なんて皆無です。

そういうのが日常茶飯事でした。

20代の若者も80代のおじいちゃんも
化学療法をやる以外の選択肢がない環境。
(もちろん内容は大幅に変わる)

とここで私は化学療法を悪だと思ってません。
何年越しでフルにやりきって
完全寛解に至った人もいます。

私は多分化学療法を選択しないけど
それが正しいなんて全く思ってない。
どの人のどんな選択も
その時の決めたこととして尊重する。

ただね。

この科には



緩和ケア


の概念がない、と感じたんです。




最後まで、本当に息を引き取る最後まで
抗がん剤を投与する体験をしていくうちに

もう私、
スッカスカのカッスカスになりました。

緩和ケアに切り替えるタイミングが遅い。
致命的に遅い。
もしくはしない。


他科の終末期の治療、というか
緩和ケアへの移行を見ていると
もうその落差には目を覆いたくなりました。
(拠点病院だったから
本格的な緩和ケアの場ではなかったけど)

緩和ケアセミナー受ければ
エビデンスなんかはっきり無くてもいい
患者さんが少しでも楽になればいい

とばかりのケアの試行錯誤を聞いて
現状とのギャップに暗澹として。



86才のおじいちゃん(患者さん)。
もう意識は無くて
余命数日でも抗がん剤投与中。

そんな中主治医から採血の指示。

もうカッスカスのスッカスカだった私は

「そんなのは先生のエゴです。
私採血はしません。」

とボヤッと先生の顔を見て言いました。
(さっきまで一緒に文句を言ってた
先輩お局は顔伏せて何も言わんかったwww)

結局主治医は自分で採血しました。
まぁこのように誰かはやるんだから
あんまり意味ない行為だったけど。


ええと何が言いたいのか。
思い出が湧き出してきて収拾つかん。



ええと。
要するに。











もう

何もしないで

死なせてやれよ



ってことです。

まぁこの言葉も非常におこがましいんですが
当時の本音中の本音でした。

なんでお前がそんなこと言えるんだ
というのもごもっとも。
自分で決めるのが理想なんでしょうが
そうもいかないのが人生。

だったらね。

せめて医療者が
人の命を終わらせる覚悟を持って
目の前の人に向き合うしかない訳で。
(なんて今私看護師やってませんが)

「病気に負けてもいい」

この言葉を受け入れるくらいの
謙虚さがあってちょうどいい。



もう本当に、こういうブログ読むと

愛から発する言葉以外は
ほんとどーでもいい

って、心底思います。
タイトルとは裏腹に、愛しか感じない。



あ〜……

また一つ過去の思い出が
成仏した感じがあります。