亡くなった猫と癒やしの話。 | しいたけ。のブログ

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夫 大芋(2011年生 女)小芋(2013年生 男)の四人家族。
ドタバタな日々に、元々の鳥頭(3歩歩けば忘れる)が絶賛進行中。
ホ・オポノポノのクリーニングで自由の感覚を日々上書き中。
イラスト描いたりクリーニングして引きこもりライフ満喫中です。

こんにちは。

「アトリエ Little willow」
イラストレーターしいたけです。








ある日いつものようにお子らを自転車に乗せ
幼稚園に向かう途中、道路の真ん中に
亡くなった猫が横たわっていました。


どうやら車に轢かれたようです。


「ネコさんどうしたの?」

と聞いてくるお子らに言葉少なに返し
お子らを幼稚園の先生に預け

自転車を漕いでいると曲がり角に着きました。

右に曲がると、猫の亡骸がある道路。
まっすぐ行くと
遠回りだけど何の変哲もない道路。

少し考えたあと、自転車を直進させ
遠回りして家に帰りました。

自転車を漕ぎながら
あの猫がいる道路に思いを馳せ

自然と白とかピンクとか金が混じった
何か良さげなもん送っときました。

そうするとこれまた自然に
轢かれた猫の生前の姿らしきものが
自分の亡骸の周りを
不思議そうに歩いてる姿が浮かびました。


家にいる時も、ふと思い付いた時など
あったかそうなもん、キラキラしてるものを
あの場所に送っていましたら

あの猫の周りに虹が見え
全体的に光が満ち明るくなったところで
もう終わりにしました。




あの時。

以前の自分だったら
無理にでも右に曲がっていただろうな。

そして猫の亡骸を道路からどかし
何だったら埋めていたかもしれない。

死から逃げること、目を逸らすことは
死への冒涜、生命への冒涜
と思っていたから

歯を食いしばり、ムカつきを抑え、心を殺し
あえて自分から向かっていってた。


でも、もう私は充分味わった。

死の手触り
死の味わい
死のにおいを。

もう、自分から選ばない。
自分から死に向けて
スポットライトを当てるようなことはしない。


花さんのセッション時に言われた言葉

「今までは 死 貧困 に
フォーカスを当ててきた」

それを聞いた時に、自分の暗闇に
サッと光が射した感じがした。

自分の心が逃げたがっても、目を背けても
見つめて只中に入り込むことが
愛なんだと思っていた。


でも、あの時曲がり角にいた私は
自分への愛を選択した。

ほんの少しの疚しさ
後ろめたさを感じながらも
自分の本音をすくい取った。


何の努力も集中も意図も無しに
元気な猫の姿、光が浮かんだことが
涙が出るくらい嬉しい。

私がイメージしたことが
本当か嘘かなんてどうでも良い。

私は、死に向けて自動調整になっていた
ライトの当て先を、変えられたんだ。


「私」

死も 暴力も
貧困も 差別も

「ある」「思っている」


ってことを

知っている。



なんか自分がマトリョーシカになったみたい。

外側の自分が
内部の入れ子の自分を見てるみたい。



自分がフォーカスしたものが
現実世界に現れる

という言葉は散々見聞きしましたが

無意識にフォーカスしていたものが癒され
違う世界への扉が見えたことに
しみじみ嬉しさを感じました。





お子らをお迎えに幼稚園に向かうと
猫の亡骸はどなたかが対処してくれたのか
すでに無く

その場を通っても変な気分になることなく
むしろほの明るい光の残像を感じ
ホッとしながら自転車を漕ぎ続けました。