私、これでお金貰ってんの?仕事が「体験、時々遊び」になった。 | しいたけ。のブログ

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夫 大芋(2011年生 女)小芋(2013年生 男)の四人家族。
ドタバタな日々に、元々の鳥頭(3歩歩けば忘れる)が絶賛進行中。
ホ・オポノポノのクリーニングで自由の感覚を日々上書き中。
イラスト描いたりクリーニングして引きこもりライフ満喫中です。

こんにちは。
鳥頭母ちゃんこと、しいたけです。






心屋さんのブログで紹介されたこの記事

人を喜ばすために頑張っているって実は、機嫌のいい人を自分の安心のために利用しているだけ・・かも。 |☆藍色シアン Beの法則 心屋性格リフォームリセット心理学
http://s.ameblo.jp/aiiro161true/entry-12115966001.html


苦い汁が混じった笑いと共に
アイタタタ…と読んでいました。

病院勤務時代の自分や、
関わった様々な人が思い浮かびました。



私、新人看護師の時から

「患者さんのため」「~してあげる」

って言葉が大っ嫌いでした。

「~してあげる」って言う看護師はたまにしかいませんでしたけどね。
だってそれが仕事だもんね。


自己完結、自己充足の臭いが
受け付けなかったんですね。

自分の中の、自己満足の部分にも無自覚な

「患者さんのために
こんなことしてあげたの。
私っていい看護した~♪」

って鈍感さと傲慢さがもう…嗚呼、毒が止まらない…


そう、私は患者さんの体拭き一つでも

「これは私がしたいからするの。
患者さんのためでもあるけど、
私のためにもするの。」

と、頭で確認してから動くような
めんどくせー頭でっかちの女でした。

特に清潔ケアや
シモに関わる身辺の世話といった
「ありがとう」という言葉や
感謝などが発生しがちな看護行為では
自分でも面倒くせぇなぁ私と思いながらも

「私のため」

って言葉を言い聞かせていました。

そうやって、自己満足に陥るのを
自分で回避してたと思ってました。

「ありがとう」って言葉や感謝を
無意識にでも期待しないように
自分を律していたと思ってました。




しかしシアンさんの記事を読んで、
どうやら違ったようだ、と気付きました。

私は人一倍、人に喜んで貰いたかったし
人に感謝されたかったんです。

逆に言うと、私は人一倍
人の不機嫌にいたたまれなかったし
人の怒りや無視に耐えられなかった。

人からの感謝や喜び=自分の価値と
信じていたから。

人からの怒りや無視=自分が無価値だと
信じていたから。

もし、よかれと思って差し出したものを
鼻で笑われたり、受け取られなかったら
心が砕けて、立ち上がれない。


無防備な状態で、人からの
怒りや不機嫌、拒否を食らわないように

これは私のためにもやることなんだ

だから喜ばれなかったり
感謝されなかったり
無視されたとしても

別にどうってことない。

だって「私がしたかったから」した
「私のために」したんだから。



そうやって、自分の心を守ってたんですね。

まぁこの鎧も段々心もとなくなってきて
私は次に「金のため」という
鎧をまといます。

何があっても、「金のため」

この鎧は中々有効でした。
ただし情緒がカッスカスに痩せて、
バキバキの感情麻痺になりましたが。

そして血の色青い、冷血看護師の出来上がり。


しかしこの鎧が結果的に、いびつながらも
私の境界線を引いてくれて
自分をぎりぎりで保てていたのも
事実でありました。


一緒に働いた、様々な人を思い出しました。

患者さんの言いなりになって
召し使い状態になっていた先輩。
しょっちゅう売店にパシらされていた。

新人に対しても注意出来なかった主任。

でも影では悪口を言う。


担当患者の専属カウンセラー状態になり
自宅でまで電話で話を聞いていた同期。
結局心身の限界がきて、辞めていった。


「私」のせいで

「私以外の人」が

怒ったり、不機嫌になるくらいなら

いくらでも自分を殺す。


そして「私以外の人」が

機嫌良く、笑顔でいてくれたら
私が安心できる。

私の安心のためにも、何としてでも
「私以外の人」に、喜んで貰って
機嫌良くいてもらわなければならない。


おぉぉ……キツイなー……

自分もまともに刺さった……ゲボハッ






さてサクサク切り替えて、
現在の仕事面の変化ですが。



感情を感じて、感じきって。

そうすると自然に、やりたくないことが
やれなくなりました。

具体的に言うと

「これ何で誰もやらないわけ?
もーいい!ワシがやる!!」

っていうノリで、勝手に抱えてた業務を
完全放置。

スタッフに聞かれたら

「あ、それ、私出来ない。
皆でお願いします。」

とサラッと答える。

手を付けていない業務が目についても
自分の仕事以外は、基本放置。
もちろん事故防止とか、緊急性があるもの以外。

そうすると自分が手を出さなくても
自然に何とかなっている。
まぁなんかあったとしても
私が負うべきものじゃない。

私のことが、なんか言われてるかもしれないし
言われてないかもしれない。

割と本気で、どっちでもいい。


笑顔も減りました。

正確に言うと、作り笑顔が無くなりました。

なので不機嫌な時は、
一人で不機嫌に浸り、すーはーしてます。
多分仏頂面です。

笑った時の声が、アハハウフフから
けらけらゲラゲラに変わりました。

生理的に無理!!って人には
極力、徹底して近付かない。
(以前はこの生理的に無理!!って感覚も
抑え込んでいた。)

社交辞令も言えなくなりました。
なので、そういう会話をしていた人とは
自然に喋らなくなりました。


要するに、内面と外面のズレが
無くなってきたんですね。




そうすると、ある日突然仕事中

「あれ?もしかして私、
これでお金貰ってんの!?」

ってびっくりしました。


今までの私にとって、仕事のイメージは

「時間と労力の切り売り」

「嫌なことがあっても我慢すること」

「多少の負担、ストレスは標準装備」

みたいな感じだったんですが
だとしたら今は、まるで当てはまらない。

強いて言えば

「色んな体験してる。
時々遊んでる」

って感じです。

文字通り遊んでるんじゃないですよ。
普段のルーティンの仕事が
時々遊んでるっぽい感覚になるんです。



看護師という職業、そしてこの職場

「得意だけど好きじゃない」

ってことに気付いて、
さぁいつどのタイミングで辞めようかと
思った矢先のこの心境の変化。

この先、どういう流れになるかは
全く分かりませんが、少なくとも
捨て台詞を吐いて、後ろ足で砂かけるような
辞め方にはならないようです。