前回の記事の続きです。

 

実家の母のことを少し・・・。両親は、仲良いと言える関係ではなく、どちらかというと、母が父に対して愛想を尽かしていたような状態だった。だからか、父が亡くなっても、母は淡々としていた感じだった。ただ、認知能力は問題ないが、判断力は弱ってきているかもしれない。

 

父の戒名の話になったとき、母は「戒名って、絶対、付けなきゃいけないものなの?」と言い出した。そんな風だったので、喪主である弟と、母は、お坊さんに提示された表から、費用が高くない戒名をお願いした。しかし、弟によると、告別式の最中に、母は「戒名に〇の字を付けたほうが良かったかな。」などと言っていたそうだ。その場では「今更、無理」と弟は答えて、母も諦めたのかと思っていた。だが、その後、お墓とお位牌に戒名の刻字を注文してしばらくしてから、母はどうしても戒名を変更したくなったらしく、弟に電話をかけ、弟が、お寺に連絡し、墓店と仏壇店に変更を依頼した。変更が間に合うか心配だったが、ぎりぎり間に合ったらしい、特にお墓のほうは一日、遅れたら無理だった。四十九日の法事では、戒名の差額もお坊さんにお渡しすることになった。

 

また、叔母さん達3人は、ホテルで同じ部屋にしてほしいとのことで、一つの部屋を先に予約していた。で、お通夜の日の朝に、叔父さんが来られない代わりにその長女さん(私から見るといとこ)が来てくれるという連絡が長女叔母さんから母へ入ったのだが、母は「4人だから、ホテルを二人部屋、二つに。」と言った。私は「叔母さん達は一つの部屋で、〇〇ちゃん(いとこ)はシングル追加のほうがいいんじゃない?」と言ったが、「いや、長女叔母さんに確かめたら、そう言った。」と。母は一人っ子なので、きょうだいのいる感覚がわからないのだと思うが、それはないだろう。弟に電話すると、「二人部屋だと、お互い気まずいだろうから、シングル一部屋を追加する。」と言って、シングルを追加した。で、実際には、告別式の日、午後1時過ぎに解散したが、長女叔母さんと三女叔母さんは、ホテルに一日、延泊した。三女叔母さんは、昔・・・地下鉄がまだない頃・・・、神戸に住んでいたことがあり、土地勘がない訳ではないが、二人は観光に出かけずに、久しぶりの再会を心ゆくまで?しゃべって過ごしていたようだ。

 

そんな頼りなくなった母だったが、孫のことは気にかけてくれていた。父の死でいちばん泣いていたのは、息子だったが、「□□くん、大丈夫かな。」と心配していたし、息子のことを「優しい」とも言っていた。息子は初孫だったので、すごくかわいがってもらっていたからなぁ。父は”優しいおじいちゃん”だったし。

 

 

おまけの話

 

通夜の日、息子が自分のスマホを見て、「えっ」と声を出した。どうしたのか訊くと、研究室でコロナ感染者が出たと。彼が濃厚接触者になったのは、少なくとも2回目。私も心配したが、そのときはかからなかった。が、それから1か月近く経った頃、息子がコロナに感染した。どこで感染したかわからないらしい。娘のときは、自分で救急車を呼ぶほど、大変だったが、息子は発熱期間も短く、熱が下がってから診てもらったら、陽性だったそう。咳は長引いたらしいが、お陰様で、息子も娘も後遺症はないようで、ほっとしている。