昨日の記事の続きです。

 

父が亡くなったと連絡が入ったので、そのとき持っていた仕事をキャンセルし・・・パソコンで・・・、夫の会社に電話を入れ、子ども二人にはLINEで連絡を入れた。その後、「死因は敗血症」という連絡が入ったが、亡くなった、えっ?そんな急に?、 敗血症? 何それ?、名前は聞いたことがあるけれど、という感じだった。その日の夜中、夫運転の車で葬儀会館へ向かい、そこで一晩、過ごした。

 

あくる日、通夜はその翌日、告別式は翌々日と決まった。母は一人っ子だが、父は6人きょうだいの第二子次男で、通夜に、父のきょうだいが来ると聞き、伯父さん叔母さん達が心配になった。20年くらい会ってないけれど、伯父さんは九十代、叔母さん達もかなりのお年だから。去年秋のこちら(夫側)の親戚の不幸があったとき、義母(86歳、7人きょうだいの第一子長女)の姉妹で杖無しで来たのは、第四子・四女の叔母・・・今年80歳・・・だけで、第六子・六女叔母さんの面倒も見ていたが、義母を含む他の姉妹は自分のことで精いっぱいだった。その四女の叔母さんですら、お葬式の日、「鞄に入れたはずの数珠がない」とずっと騒いでいた、後で鞄の奥から見つかったけれど。それでも、私に「のし袋、余分に持ってきてないか? 持ってる? なら、〇子(六女)が持ってきてないから、名前も書いたってくれるか。」と、いちばん頼りない妹の世話をしていた。

 

また、父のきょうだいは、皆、遠方に住んでいて、新幹線の新神戸駅で待ち合わせて来るということで、上の妹が新神戸駅まで迎えに行った、伯父さんの荷物持ちも兼ねた、乗り換えの案内役として。ところで、父のきょうだいには3人の妹がいて、姉妹をしきっているのは第3子・長女叔母さんで、電話とショートメールでやり取りしたが、絵文字いっぱいの乙女チックなメッセージが来るのだけれど、毎回、返信の内容が少しズレていた。若い=頭がしっかりしているだろう、という点では、第5子・三女叔母さんなのだが、私の弟曰く「□子おばちゃんは天然だからダメ。」と。次女叔母さんがしっかり者なんだけれどな、昔から。でも次女叔母さんと連絡を取る理由がない。

 

通夜、告別式ともに、最前列に、喪主である弟と、母が座り、二列目に伯父さん叔母さん3人、叔父さん(末っ子)の代わりに埼玉から来てくれた、叔父さんの長女さん(私から見るといとこ)が座り、その後ろの列に私達家族が座った。父のことを悲しむより、「伯父さん達、大丈夫かな。」と心配するほうが気持ちとしては大きかった。

 

ここに書けないようなこともあったのだが、まず、伯父さん、葬儀会館に入ったときから、革靴のかかとのプラスチック部分が劣化していて、ボロボロ、そのくずが落ちていた。結局、通夜の後、父の靴を、宿泊していたホテルまで、下の妹が届けた。

 

また、通夜の焼香の際、係員が「お二人、お願いします。」と叔母さん達に声をかけても、叔母さん達、動かない。もう一回、係員が「お二人、お願いします。」と言っても座ったまま。『次、動かなかったら、後ろから言ってあげなきゃ』と思っていたとき、「お二人、お願います。」の声で、今度は叔母さん全員3人が立って焼香へ向かっていった。安心したと同時に、不謹慎ながら『コントか?』と心の隅で思った。

 

それから、告別式は、お坊さんの都合で早い時間からだったのだが、始まる前に、長女叔母さん「いいお葬式だったわ。」と。いや、まだ始まってもいないんだけれど。始まったら始まったで、伯父さんが独り言にしては大きな声で「なんで、あれが光っているんだろう?」などと話しだし、隣の叔母さんが慌てて止めていた。

 

といろいろあったが、叔母さん達は全員、スマホを持ち、私以上に使いこなしている様子だった。前にも書いたが、夫は「年とっても一人で来るだけえらい!」と褒め称えて(?!)いた。在来線と新幹線を乗り継いで、関東&北陸&四国から、はるばる来て下さったのだから。金沢から来てくれた叔母さんは、旦那さん(九十代)と来方を巡って喧嘩したそうで、叔母さんは「そんなややこしい乗り換えはできないって言ったの。」と。

 

 

しっかりとしていると思っていた母も、実際は、かなり頼りなくなっていて、それはまた書きます。