世界金融危機について
世界金融危機に至るまで
2000年にITバブル が崩壊し、インターネット・情報技術関連企業の上場が多い米国NASDAQ 市場は大暴落を見せ[5] 、その影響から2001年4-6月期からは米国GDPが3四半期連続のマイナス成長となり、失業率も増加の一途をたどり、米財政赤字は拡大を続け、米国経済は停滞していた。米国政府は経済対策として大規模所得減税を実施し、FRB は2000年末から利下げをくり返していた。
その中で2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件 が発生した。被害に遭ったワールドトレードセンター には多くの金融機関が入居していたことから業務の遂行に支障を来す恐れがあると判断したニューヨーク証券取引市場は太平洋戦争 以来の市場閉鎖を行い、4日間休場した。
既にFRBは年初から7回利下げを実施していたが、事件後の9月17日に緊急利下げをおこない、12月までにさらに4回の利下げを実施して、本格的金融緩和政策を鮮明とした。この結果、2001年FRBの政策金利は誘導目標を年初の6.5%から12月の1.75%まで引き下げを行い、米国金融史上で最も低い低金利政策となった[7] [8] 。 最終的には2004年5月まで1%という低金利政策が続いた[8] 。この低金利政策は当初は正当視されていたものの、その後、不動産、住宅、債券などの資産バブルが明らかになると、ITバブル崩壊後の行き過ぎた低金利政策が資産バブルの温床となったとして批判の的となった[9] 。
BRICs を中心とした途上国の経済発展を背景に、エネルギー需要、食料需要などの資源需要の高まりにより、原油価格の上昇も加速された。産油国は莫大な利益を上げ、その利益はヨーロッパや米国のヘッジファンドなどの金融部門へと流れ、結果世界的な金余り現象が発生する。また新興経済発展諸国の外貨準備 高も増加し、その資金運用が米国に向かい、世界的な資金がアメリカ合衆国に集中するようになった。これが米ドル高となり、米国国内に流入した過剰流動資金が米国不動産 市場にも流れてサブプライムローンに代表される住宅バブルを構築する土壌ともなった。
またイラク戦争 において、これまで非公式に輸出されていた世界第2位の埋蔵量を誇ったイラク の原油 輸出が不可能となり、原油をはじめとした商品(先物)市場を通じた資源投機に拍車をかける材料となった。資源 価格が上昇したと共に、豪ドル やカナダドル に代表される資源国通貨も全面高となった。OPEC 非加盟国であったロシア は原油価格の高騰で採算に難があった北極油田の採掘が可能となり、サウジアラビア を抜いて世界一の産油国となり、原油の輸出により、これまでの債務 国から債権 国に転じた。
原油取引は米ドル決済で行われていることから当初は基軸通貨 として安定した米ドルでの取引においては産油国の量的な規制は緩やかなものであったが、高騰する原油価格によって、世界経済全体ではエネルギー 価格や資源価格の上昇から、インフレーション の懸念や代替燃料としてバイオマスエタノール 等の開発が促進されたことで家畜飼料となる穀物価格が上昇して食料危機の兆候が出始めた。各国はインフレ警戒感から金融引き締めに転じ、米国との金利格差が生じることになったことや、イラク戦争当時指導者であったサッダーム・フセイン 大統領が2006年 12月30日に処刑 されたことから、イラクの政情安定の見通しが拡がり、翌2007年 から為替市場では米国からより金利の高い通貨国への資金移動が起こり始め、米ドルは下落に転じるようになった。
元々、双子の赤字 と言われる財政 赤字と経常収支 赤字を抱える米国経済にとって、それまでの米ドルの高騰は砂上の楼閣のような存在であり、戦費の出費は米国連邦政府の財政を蝕んでいた。米ドルの下落が進んだことで、米ドル決済で行う原油取引において原油売却代金の実質収入が減少に転じ、その対策からOPEC非加盟国であるロシアや中南米諸国は原油の量的規制を強化して価格の一段の上昇を図った。これにより新興経済発展諸国の経済成長による実需の増加や折からの商品市況への投機熱も相まって原油価格 は2008年 7月には147.27ドル/バレル(WTI先物)まで上昇した[10] [11] 。産油国では余剰利益の資金滞留が起こり、資金の循環が進まず、また、各国の金融引き締めから景気の鈍化が起こり、世界経済の停滞が始まった。
米国では2004年 6月30日のFOMCから政策金利の引き上げに転じ、また住宅価格の伸びが停滞しはじめた2006年頃からサブプライムローン の借り手の破綻が話題になり始めた。2004年-2006年にかけて米国では住宅ブームが生じ、金利が安いあいだに低利の2段階変額ローンにより募集された不動産担保ローンが大量に組成された。これは最初の3年は低利固定型の返済で残金は4年目以降に変額型金利ローンとなる契約のものが中心で、住宅価格が上昇する間は短期で住宅を転売することにより有利に住宅を購入でき、あるいは転売益が期待できるというものであった。また値上がりによる担保価値の上昇分を担保にさらにクレジットローンを提供するサービスなども登場し、少なからぬ利用者が住宅価格の上昇の恩恵を受けた。この住宅ローンの個別債権は証券化(不動産担保証券 :MBS)され高利回りの金融商品 として世界各国に販売された。MBSの販売には格付け機関 が信用力の調査情報を提供し、貸し倒れに対する保証としてはクレジットデリバティブ (債務担保証券 :CDOやクレジット・デフォルト・スワップ :CDS)などの金融商品が利用された。
このローンは借り換え期の4年目以降に急激に金利が上昇する設計となっているため当初からその危険性は指摘されていたが、住宅価格が上昇する局面ではその警鐘はかき消される格好となり、住宅価格[12] かげりが見え始めた2006年1月頃(ちょうどブーム3年目にかかる)から不動産担保証券の貸し倒れリスクが注目され始めた。
ではここで、日本の経済状況について
日本では1990年代以降、マスコミの報道などにより国民の間で財政再建の機運やインフレを嫌う傾向が高まったことにより、政府は公共事業などの適切な財政政策や市場への資金供給などの適切な金融政策が行えず、消費の低迷や国内への投資を喚起できなかった。しかし2003年、小泉政権において大規模な為替介入が行われたことにより円相場の実質実効為替レートは低下傾向を示した[17] 。結果、輸出系企業は国内に積極的な投資を行った[18] 。この間、輸出系企業は米国およびBRICs などの新興国、また、中東・オーストラリアをはじめとした資源国など、特に経済成長が著しい国家を主要販売先として、外需依存型の経営を行なっていた。
しかし、海外で好調であっても、国内ではインフレが起きなかったため、2000年代の雇用報酬は伸び悩んだ。また、失業率や有効求人倍率は改善したが、退職給与引当金の損金繰り入れが廃止されたことや、非正規雇用の規制緩和などにより、企業が正社員よりも低賃金・低待遇ですむ非正規雇用 者の採用を進めたこともあり、個人消費 は伸び悩んだ。そして企業がバブル崩壊後の借金経営に対する批判から、大規模な借金によるレバレッジ 投資を控え、儲けた利益の範囲内で投資を行ったため、雇用報酬は伸び悩んだ。これらの現象は「実感なき経済回復」と総称された。
2006年以後、日銀はデフレを脱したと判断して、不況対策としての量的金融緩和政策を解除した。これ以後、企業倒産件数は増加傾向にあり、さらに建築基準法改正や原油・原材料価格の高騰によるコスト増などで、景気後半でようやく盛り上がった建設・不動産・運輸業は低迷していた。
そのような時に、今回の金融危機が訪れた。そしてアメリカ向け外需のみならず、アメリカへの輸出を主な収益源としていた新興国や資源国向けの外需も低迷し、回復のメドは立っていない。さらに金融商品に変わる投資先として通貨、特に日本円が注目されて急激に円買いが進んだ結果、予想外の急速な円高 が生じた。円相場は一時は1ドル=87円にまで達し、その後も90円台を推移している。その結果、輸出企業は外需低迷ばかりか莫大な為替差損をも抱え込むことになり、2008年度の決算を大幅な黒字から赤字へと下方修正、そして赤字から大幅な赤字へと再度下方修正せざるを得なくなった。
企業は外需の収益悪化・受注減少、2009年問題 などにより、派遣社員 や期間工 、そして正社員の人員削減を進めざるをえない状況となり、2009年 3月末までに失われた非正規労働者の雇用は19万人に達した[19] 。この人員削減が個人消費を落ち込ませ、内需を悪化させることで更なる人員削減を招くという悪循環が生じるとの分析もある[20] 。
日本の2008年10-12月期の実質国内総生産
(GDP)速報値は前期比3.3%(年率換算で12.7%)のマイナスとなり、第一次石油危機
に次ぐ約35年ぶりの下落幅を記録した。これは危機の震源地アメリカをも超える大幅下落であり、外需の成長に依存し内需を軽視してきた日本経済が弱点を突かれた形となった。しかし日本経済は、中国や韓国ほど外需に依存しているわけではない。また、続く2009年1-3月期は前期比4.0%(年率換算で15.2%)減と第一次石油危機を超える下落幅となった。
しかし急激な円高は高騰していた原料・燃料の価格を下げる効果ももたらした。これに麻生内閣による自家用車高速道路優遇措置が加わり、日本国内における消費の低迷にはある程度の歯止めがかかった。もとより収益を国内販売に頼っていたスズキ 、ダイハツ工業 (トヨタ との連結前)、本田技研工業 等は黒字に踏みとどまった。また輸入ブランド品の末端販売価格の引き下げが可能となりこれらを取り扱う流通業者では増収となった。このため一時期7000円台にまで落ち込んだ日経平均株価は2009年6月の段階で10000円台にまで上げており、先進国の中では素早い回復であった。米国ゼネラルモーターズ 社破綻で起こり得ると予測されたショック安は日本では起こらなかった。失業率も米国を始めとする多くの先進国で倍増する中、2ポイント増程度で歯止めがかかりつつあった。が、現実の失業率は5%台という戦後最高の水準にあり、そして2009年7月の失業率は戦後最悪の5.7%、完全失業者数は359万人に達した[21] 。結局、景気回復は「歯止めがかかりつつある」「きざしが見える」など単なるレトリックの域を出ていない。それに対し、企業内で不要とされる「過剰雇用者」、つまり失業者予備軍がさらに607万人(約7%)存在するという推計もあり、雇用環境の悪化が消費減退を招き、さらに企業に雇用調整を促すという悪循環さえも予想され[22] 予断を許さない情勢が続き、さらに強力な財政政策による内需拡大、大規模な金融緩和による景気刺激策が求められた[23] 。
こんなに不況になるとは思いもしなかったですね。
当たり前にあった会社がどんどん潰れていき、従業員も少なくなっていく。
一刻も早く平和になってほしいですね。
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